見出し画像

仕事と休暇の理想的な関係:ラッセルの哲学で見つける心の平穏

ゆっくりとした時間が取れるとすぐ考え事をする。

何かおもしろいことはないか、この時間を最も有意義に過ごすにはどうするか、明日のブログのネタはどうするか、今読んでいる本が終わったら次はどうするか、ピアノでも弾こうか、買い物はいつ行こうか。

振り返ってみると考え事というほどのものでもなく、その時間を実行に移していれば効率が良かったと思うようなことはたくさんある。それはそうなのだが、膨大な無駄を出して過ごす時間こそが休むということであり、結果と効率が求められる仕事とは対極にあるものなのだ。

土日の行動を思い返す。Twitterを眺めて30分、なんだか眠くなって1時間。思い出したように本を開いて、また眠くなって。ふと、これで良いのだろうか、という考えがもたげる。

ラッセルという哲学者が、著書『幸福論』の中で、「幸福をもたらすもの」の項目のひとつに「仕事」を置いている。

仕事を幸福の原因の一つに数えるべきか、それとも、不幸の原因の一つに数えるべきかは、あるいは疑わしい問題だとみなされるかもしれない。確かに、たまらなくいやな仕事もたくさんあるし、また、仕事が多すぎるのもいつも大変つらいものだ。けれども私見によれば、量が過多でないかぎり、どんなに退屈な仕事でさえ、たいていの人びとにとっては無為ほどには苦痛ではない。

ラッセル『幸福論』230頁(岩波文庫)

数年前に読んだときはそんなにピンとこなかったのだが、今はけっこうわかる。

たいていの人は自分の時間を勝手に好きなようにつぶしてもよいと言われると、やりがいのある楽しいことを思いつくのに困ってしまうものだ。そして、どんなことに決定したとしても、何か別なことのほうがもっと楽しかったのじゃないか、という思いに悩まされる。余暇を知的につぶすことができることは、 文明の最後の産物であって、現在、このレベルに達している人はほとんどいない。

ラッセル『幸福論』230頁(岩波文庫)

打ち明けると、自分はそのレベルに達していると思い込んでいたクチなのだが、勘違いもいいところである。「何か別なことのほうがもっと楽しかったのじゃないか」のところが刺さる。図星だ。

仕事は、だから、何よりもまず、退屈の予防策として望ましいものだ。というのはおもしろくはないが、どうしてもしなければならない仕事をしているときに感じる退屈などは、日々何ひとつすることがないときに感じる退屈と比べれば、ゼロに等しいからである。

ラッセル『幸福論』231頁(岩波文庫)

仕事のこうした長所には、もう一つの長所が結びついている。すなわち、仕事をしていれば、休日になったときにそれがずっと楽しいものになる、ということだ。気力もなえるほど激しい仕事をしなくても済むのであれば、人は、のらくらしている人間にはとても望めないような強い熱意を自由な時間に感じることができそうである。

ラッセル『幸福論』231-232頁(岩波文庫)

人生において仕事は苦痛を伴いがちではあるが、それ以上に無為というのは厄介なものである。何もしていない時間が幸福なのは、普段何かしているからであり、年がら年中何もしなくてもいいと言われたら発狂するだろう。

平日あれだけ望んでいた休みも、こんなたわいもないことを考えて終わってしまうのだから、良き人生とはなんと難しいことか。認めたくはないが、やはり仕事は大切なのだ。

とはいえ、仕事ばかりだと『幸福論』を読み返そうとも思わないわけだから、そこはバランス。実際素晴らしい本なので、是非読んでみてはいかがでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?