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忘れ忘れて

もの忘れまたうち忘れかくしつつ生命をさえや明日は忘れむ/太田水穂

作者最晩年の作品。老いによって次から次へと忘れてしまう生活のなか、今生きている自分の命すら忘れてしまうのではないか、と歌う。今から50年以上前の作品ながら、超高齢社会を迎えた今に通じる内容だ。

ここでひとつ、認知症が進んでいく様を当事者の視点から描いた短編を紹介したい。

この文庫本に収められた「霧の中の終章」という作品。老人の一人称で書かれたとある一日の出来事、混濁していく記憶がおもしろおかしく描かれているが、読む人が読むと笑うに笑えなくなる。誰しも人はこうなってゆく。

冒頭の歌は作者の実感からきたものなのだろうが、私はそこに悲壮感は感じない。次から次へと忘れてゆく我が身を冷静に見つめ、やがては無に帰していく運命への覚悟ができているかのようだ。

「忘れる」ことへのポジティブな機能を読む。忘れゆく自分、忘れゆく生命。そして歌だけが残るという一連の流れは、美しい。

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