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短歌のある日々

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短歌を一首掲げてエッセイを書きます。短歌の内容と関係あったりなかったりします。
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記事一覧

詩歌の魅力を語る難易度:オンライン読書会での挑戦

毎月オンライン読書会に参加している。気が付けばニ年ほど続いており、いい加減持ちネタが尽き…

しゅろ
1年前
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サラダ記念日と現代短歌:俵万智を含む10首の紹介

ちょっと時期は過ぎてしまったが、先日7月6日はサラダ記念日だった。 知らない方のために一応…

しゅろ
2年前
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短歌で挑む表現の限界:ゑ・ぬ・∞が生み出す深い詩情

わずか三十一文字で可能な限りの表現方法を試すのが短歌。中でも今回はとっておきの変化球を使…

しゅろ
2年前
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キャベツ、バラ、ズリ、皮、つくね、ハツ、ネギ/短歌のある日々

短歌のひとつの特徴として、普通の人が当たり前過ぎて気にもしないことをわざわざ書き留めると…

しゅろ
2年前
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野田さんじゃない/短歌のある日々

人を役職名や肩書で呼ぶのは日本人の特徴のひとつである。 今ではあえて「さん」で統一するこ…

しゅろ
2年前
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本当の空/短歌のある日々

世の中には良い作品と呼ばれるものでも、ニ種類に分かれると思う。 ひとつは誰が見ても良い作…

しゅろ
2年前
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システムに対するささやかな抵抗―短歌で表現された日常のズレ

建物のあちこちで見かける赤いアレ。確かに「強く押す」と書いてあるが、弱く押せば大丈夫というわけではない。 火災報知器をそっと押し、ジリジリ鳴り響くなか佇んでいる人物の姿が浮かんでくる。「え、僕のせいですか」とでも言い出しかねないこの人。社会システムに対する反抗と言うほど大きなことではないが、やっちゃいけないことをしたくなることは誰だってある。 歌集『サイレンと犀』には、システムに対する「おどけ」とでも言うべき歌がこの歌の前後に並んで収められている。 これはインスタを意識

いっぱい笑う

スクールカーストという言葉が浸透して早十数年。同い年の同じ括りに見える学生たちも、カース…

しゅろ
2年前

四季と香りの話

またひとり、読書会メンバーが共同マガジンに初投稿したことにあやかって、近いテーマで一本書…

しゅろ
2年前
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「和歌の掛詞」―時代を超える表現美とその驚くべき英訳

都を離れこれから因幡へ向かう私だが、松が生い茂る因幡にちなんで、都のみなが待っていると聞…

しゅろ
2年前
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『いまどきの女子のことば』/400字エッセイ

語尾に「よ」、「わ」、「ね」を付けて話す女性は少なくなった。YouTubeなどを見ていても、男…

しゅろ
2年前
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『物語』/400字エッセイ

『嘘みたいな本当の話』という本の中に、たった一行の作品が出てくる。 これを読んだとき、物…

しゅろ
2年前
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小さな不便さに潜む大きな学び―予想外の出来事から考える日常生活

些細な出来事なのに、その人にとっては一大事という現象は多々ある。 昼食に弁当を頼んでいる…

しゅろ
2年前
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忘れ忘れて

作者最晩年の作品。老いによって次から次へと忘れてしまう生活のなか、今生きている自分の命すら忘れてしまうのではないか、と歌う。今から50年以上前の作品ながら、超高齢社会を迎えた今に通じる内容だ。 ここでひとつ、認知症が進んでいく様を当事者の視点から描いた短編を紹介したい。 この文庫本に収められた「霧の中の終章」という作品。老人の一人称で書かれたとある一日の出来事、混濁していく記憶がおもしろおかしく描かれているが、読む人が読むと笑うに笑えなくなる。誰しも人はこうなってゆく。