システムに対するささやかな抵抗―短歌で表現された日常のズレ
建物のあちこちで見かける赤いアレ。確かに「強く押す」と書いてあるが、弱く押せば大丈夫というわけではない。
火災報知器をそっと押し、ジリジリ鳴り響くなか佇んでいる人物の姿が浮かんでくる。「え、僕のせいですか」とでも言い出しかねないこの人。社会システムに対する反抗と言うほど大きなことではないが、やっちゃいけないことをしたくなることは誰だってある。
歌集『サイレンと犀』には、システムに対する「おどけ」とでも言うべき歌がこの歌の前後に並んで収められている。
これはインスタを意識しているのだろう。誰もが走馬灯を見ている世界の終わりに、インスタをやっちゃう世界線。
Twitterの「いいね」などもそうだが、どう解釈しても「よくない」内容の記事がたくさん「いいね」されているのを見ると、とても困惑する。この記事にいいねをつけた人は、本当に良いと思ってつけたのか。「あとで見よう」とか、「印象に残った」という意味で「いいね」をつけた、ということもあるだろうが、それにしたって「いいね」の本来の意味を逸脱している。システムに対する違和感はないのだろうか。
三首とも強いメッセージ性があるわけではないが、「普通」の感覚に対するちょっとした違和感の表現がとてもうまい。
ふふっと笑ってからふと首を傾げる。そんな短歌もおもしろい。
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