生きたい時は生きるけど、嫌になった時はどうするのが正解か誰も知らない世界で今日も生きてる。
こんばんは、shurinのUです。
何度トライしても文章が書けませんでした。
頭の中でガラスが割れたような状態でした。
映画館で見た彼はある役ではとても勇ましく、また違う役では誰もがきゅんとする笑顔の人でした。
時が経ち、嘘か本当かわからない報道を見聞きし、ご友人たちの追悼の気持ちを読み、自分なりに考えが落ち着いてきたように思います。
今を生きている私たちは東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨など、たくさんの災害と向き合ってきました。
わたしの知人はその少しあと自殺でこの世を去りました。
旦那さんの後を追って。
旦那さんも自殺でした。
生前、笑顔の時間もあったけど、寂しさを消し去ることが誰にもできなかった。
また、ALSという病気で大切な方を数年前亡くしました。
子どものころから大好きだった人。
いつも優しくて、家庭的で、学校の先生をしていました。
徐々に動かなくなる身体。
筋力がなくなっていくので、徐々に笑顔もつくれなくなりました。
そして亡くなる間際にはすごく小さな身体になってしまった。
それでも、目を動かして言葉を伝える機械に入力したのは
「あ り が と う」
という言葉だったとご家族に聞きました。
最期まで大好きな人だし、いつも想っています。
そんなふうにいろんな形の命の終わり方に遭遇してきたけれど、わたしは自殺した人を責めたり、死なない方が良かったのにと言うことがどうしてもできないな、と思うようになりました。
ALSの患者さんが安楽死を望まれ、嘱託殺人のような事件が起きました。
そこでたくさん目にした意見が
「誰もが生き続けたいと思えない社会が悪い」
というものでした。
そういう一面もある一方で、その考えもやはり自由を奪う考え方だと恐怖を覚えました。
先程お話したように、わたしもALSという病気に大切な人を奪われた経験をしました。
その方は最後の最後まで全身全霊で生きられました。
でも、ご家族や周りの人の理解とサポートが充分に得られない方、また、大切な人の手をどうしても煩わせたくない、全てのお世話を受けることへの恥ずかしさを乗り越えることができない、そういう人って0人なんだろうか、、、。
海外では厳しい基準を定めた上で安楽死を認めているところもあります。
死刑と同じラインで話すと怒られるかもしれませんが、同じ「他人が命を終わらせる」ことに変わりがないとするならば、なかなか話しづらかったりしますが、命の大切さを教えていただく機会を得た今、たくさん考えていきたいと思いました。
写真は3月11日に東日本大震災で津波の被害に遭った宮城県名取市の閖上という街で撮ったものです。
またいつか、このことにも触れようと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます🌈繋がれて嬉しいです!!良かったら他の記事もお時間あるときに読んでみてくださいね✨