岡本太郎「自分の中に毒を持て」を読む

shuriと申します。
今回は、岡本太郎「自分の中に毒を持て」を読んでいこうと思いました。
自分なりに解釈を日記みたいな形で残していこうと思います。

もし興味が出れば皆さんも読んでみてください。
それではよろしくお願いします。




第1章

意外な発想を持たないと あなたの価値は出ない

私は内向的な方だ。個性を出せずに雰囲気を重んじるタイプ。典型的な日本人と言えるだろう。この本を読んだときは壊された。自分の価値はなんであるのか。もっとも言えることは何かをしないと価値が出ないこと。周りに合わせた行為だと無個性のまま。では、何をやるべきか。。。何をやるべきかわからない時は、とにかく本を読む。それ以外は心に従うべきである。

第2章

個性は出し方、薬になるか毒になるか

「出る杭は打たれる」
度々このワードが出てくる。出る杭とは己の情熱であ理、情熱を打ち消そうとしてくる奴らがいる。それは「できっこない」・「お前は異端だ」という声。杭は打たれ折れても、決して引いてはいけない。

「矛盾」
これもよく使われる。社会が要請するものと個人が欲するもの。これが一致しないが、社会で生き抜くためには要請に応じないといけない。そんな辛い世界を耐えるのは酷なことだが、やり切るしかない。自分には何もないのではなくて、何もないのが自分であり、何かができるのも自分である。ただやらずにはいられない衝動に身を任せるべきである。

「冒険」
人生100年時代。「冒険」とは、短期的な目的のためなされている。
成さねばやらないこと。やらないといけないこと。そんな抑制の中で本質的に自分がやりたいことを、追求し、主張する。人間性を物事に捧げても、無くしてはいけない。だからと言って、一時的な快楽のため、社会からはみ出た行為をするのではない。それではいけない。長く絶望するこの人生の中で、日常的に私たちは出る杭になり、虚無に打ち勝たないといけない。

最後に、自分は社会や周りに流されず闘い続けなければならない。

第3章

相手の中から引き出す自分、それが愛

失礼だな。純愛だよ。それだけ。
自然体で他者を愛することができるそれが純愛、何かを誤魔化し共生をすることはない。

第4章

あなたは常識人間を捨てられるか

「美しさ」と「綺麗」の違いについて。すごく納得のいく回答であった。
美とは絶対的なものである。一見の醜悪にすら美は宿っている。しかし、綺麗は相対的。その時代の美人に似ているから綺麗と呼ばれる。つまり、綺麗は可変なのだ。
詰まるところ、芸術の綺麗は表面上でしかなぞれていなく、なんの核にも触れられていない。

「芸術は爆発だ」
人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発し続けるべきだ。命の本当の在り方だ。爆発よりも、放出、拡散。それが勢いのあるイメージ。何も煙をあげて爆風が上がる様子ではない。

最後に、私は自分の中の芸術家を飼い殺したくはない。芸術家とはエゴで、欲望で、荒ぶる野性。その解放を爆発とする。これを忘れて生きていきたくない。

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