昔の写真③2005年:青春18きっぷで武蔵小杉~下関/宮島・秋吉台観光など
はじめに
過去の鉄道旅写真。その③は2005年撮影分です。
横浜駅(東急)
時期:2005年1月
なんてことのないコンコースの写真。なんでこんな物が…と思って撮影時刻を確認すると、午前5時過ぎ。この写真とセットで何かの飲み会の写真が保管してあったので、おそらくオール明けで「朝早すぎてガラガラの横浜駅の図」が撮りたかったのかもしれない(終電近くもこんな風景だから珍しくもないのですが)。この頃は東横線ホームの地下化&みなとみらい線開通から1年も経ってないのでピカピカだったはずです。
武蔵小杉~下関 2泊4日の旅
時期:2005年3月
これは個人的には過去最長規模の旅程で、
・1日目:武蔵小杉→広島(宿泊)
・2日目:広島→宮島観光→下関(宿泊)
・3日目:下関→秋芳洞/秋吉台観光→大垣(ムーンライトながら)
・4日目:大垣→東京→京葉線/成東線/総武本線経由→武蔵小杉
という最後のほうが明らかにオマケ感が漂ってますがw、適度に観光を含めた旅行らしい旅行でした。
1日目:南武線(武蔵小杉-川崎)
青春18きっぷで出発です。ホームの時計の針は朝5時20分。まだ空がやっと明るくなってきた頃のようです。ここから川崎まで乗車。
1日目:東海道本線(川崎-沼津-豊橋-米原?-姫路?)
乗車距離が長すぎてどこで乗り継いだかが全く思い出せませんが、川崎で南武線から東海道線に乗り換え。ひたすら西を目指します。
途中のどこかで撮った写真があったのですが、窓に映りこんでいる「コーヒー 生ビール」という売店の看板からすると沼津駅かと思われます。たしか川崎から乗ったのがいつもの東海道線の車両でなかった気がするので、特急車両の普通列車運用だった(沼津で乗り換える際に、乗ってきた車両を撮った)のかなと思います。
おそらく沼津で乗り換えて、次の写真はこちら。
豊橋で乗り換えたのでしょう。次の写真はこちら。
意図して撮ったものか怪しいですが、ドア上に「Gamagori」と表示されているのでその辺りです。この日は、以降の写真が一切残っておらず、正直どこで乗り換えたのか覚えていないのですが、普通に考えると、豊橋→米原→大阪方面と進んだはずです。その後、赤穂線に乗った覚えがあるので、米原→姫路→(直通)→岡山まで進行。その後、山陽本線で岡山→糸崎 or 三原→広島、という感じ。広島駅に着いたのはすっかり夜だった気がします。1日目は広島駅付近で宿泊。夕飯の写真がありました。
岡山駅の駅弁「桃太郎の祭ずし」です。宿のテレビに映る天気予報の写真も撮ってありました。これは地方に行くとどこでもそうですけど、ローカル放送だと普段見慣れない地域の表示がされるので、ついつい見てしまいます。
2日目:広電宮島線~JR宮島フェリー~観光~山陽本線(宮島口-下関)
2日目は宿泊先付近から広電宮島線で宮島口に直行。青春18きっぷで乗れるJR西日本宮島フェリーで宮島に向かいました。
島に到着すると、当たり前のように闊歩する鹿の洗礼を受けつつ宮島水族館へ。
この凄い像は、その後の改修工事で現在は別の場所に移設されてるとのこと。この時は改修前なので、昭和っぽい味のある雰囲気が楽しめました。
その後は厳島神社へ。この時は、前年の台風による被害がかなり残っていました。
この時に限らずなんですけど、観光地に行くと、意図せず団体ツアーの集団に紛れ込んでしまってガイドをタダ聞きしてしまう状況ってありますよね。
砂浜の方に行ってみました。
のんびり海を見ながらおやつでも食べようかと、バッグからローズネットクッキー(山パン)を取り出したところ…
速攻で鹿が近づいてたので、ここで食べるのは止めました。観光はこの程度で、再びフェリーで本土に戻ります。
2日目の観光は以上。さらに西へ向かうため、山陽本線で宮島口→岩国まで。岩国で乗換え待ちの時に駅前のミスドに入った覚えあり(ドーナツばっかり食べてる)。岩国からは終点・下関まで乗りっぱなしで、到着したのは夕方と言ってもまだ明るい時間帯(17時位)。シーモールで土産(巌流焼など)を買って、駅前の郵便局から自宅に発送しました。
この日は下関駅付近の古いホテルに宿泊。夕飯はまたも駅弁で「下関名物元祖ふくめし」。前日に続いて器が派手なやつをチョイス。調べたら現在は販売終了しているそうな。
3日目:秋芳洞/秋吉台~山陽新幹線(新山口-岡山)~山陽本線/東海道本線~大垣
この日は4時台に起きて、往路では乗れなかった小野田線・宇部線を経由して新山口へ行き、その後秋吉台観光とする・・・はずだったのですが、まんまと寝坊してしまって計画を変更。小野田線・宇部線を諦めて素直に山陽本線で新山口に向かいました。寝坊したとはいえ、8時半には新山口に着いていました。
この「猿すべり」というポイントを通り過ぎるときに、足元が湿気ていて文字通りズザーッと滑ってしまいました。すると、その様子を明らかに目にしていただろう、背後の方にいた中年のご夫婦がこの表示に気付いて立ち止まり、「猿すべりだって…」と口にしたのが聞こえて、絶対に直前の私の滑りっぷりがオーバーラップしただろうな…と思い、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。
黒谷口からこの山道を経由して展望台に向かうルートは、全く人影がなく、周りは木ばかりで、結構真面目に遭難するか山賊にでもやられるかと不安になりましたが、進んでいくと展望台駐車場に停まる観光バスが目に入りホッとしました。
秋吉台は地下も地上も、本当に素晴らしいところでした。展望台からは、同じルートで戻るのも何なので車道経由で歩いて下りました。結構時間がかかって疲れた記憶があります。
再びバスで新山口駅まで戻りました。この時点で13時半辺り。ここからは寝坊した分の調整も兼ねて新幹線で岡山まで移動しました。
岡山からは在来線に復帰。大垣まで粛々と乗り継いで行きます。なぜか「神戸ドーナツ」の袋の写真が撮ってあったのですが、道中でろくにご当地らしい食事も買い物もしていなかったので、せめてもの記念に駅売店で「神戸」の文字が入った食べ物を買ったのかと思います。
大垣に到着。当然、ムーンライトながらに乗車します。23時台の発車ですが、それまで1時間位は余裕があった記憶。朝に大幅に寝坊というアクシデントがありつつ、我ながらスマホもない時代だったのに臨機応変に旅程変更が出来たなあと思います。
4日目:ムーンライトながら(大垣-東京)~京葉線/成東線/総武本線とか
この日は窓側の乗車でしたが、まだ3月だったのでちょっと寒かった気がします。車内も明るいままなので、爆睡とまでは行かず、寝たり起きたりしながら東京まで戻りました。
東京駅に着いたのはこの時間。まだ朝5時前で、そのまま家に帰るには青春18きっぷのこの日の分がもったいないと思い、動いてる電車にとりあえず乗ってみることにしました。
京葉線(東京-蘇我)から東金線(蘇我-成東)と、朝日の中をほとんど頭が働いていない状態で乗車。
この旅の最後の写真が、この成東駅でした。この後は、千葉駅を経由した覚えがあるので、総武本線で東京まで戻り、東海道線で川崎まで行き、南武線で武蔵小杉まで、というJRしばりルートにしたはずです(18きっぷ有効活用のため)。全体を振り返ると、東海道本線を全区間乗車した旅だったようですね。当時の自分、お疲れさまでした。
高崎駅3番線
時期:2005年4月
長旅の記録のあとにショボい写真ですが、高崎線の4番線の奥にひっそり佇む3番線(八高線)。このホームの佇まいは可愛いです。
その③は以上。
次回は2006-2007年です。
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