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日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く 松岡正剛  講談社現代新書

「あ、そうだ、これ」と家からの出がけに息子がいったん前抱きにしたバッグを降ろして貸してくれたのがこの「日本文化の核心」。

 松岡正剛かあ。松岡正剛の本っていうとどれも細かい字がびっしり詰まった本というイメージを抱いていた。老眼で大丈夫かな。でもこの本は新書なので字のサイズは普通だった。

 「これは、読むのに時間かかると思うから、ゆっくりとね。」と息子。では、読み始めよう。

★はじめに

 (引用)
 日本は一途で多様な文化をつくってきました。しかし、何が一途なのか、どこが多様なのかを見究める必要があります。日本人はディープな日本に降りないで日本を語れると思いすぎたのです。これはムリです。安易な日本論ほど日本をミスリードしていきます。本書がその歯止めの一助になればと思っています。」(引用終わり)

 幕末の志士たちが国のことを思って居ても立ってもいられなかった気持ちを松岡正剛も抱えているんだと思う。幕末ならいざしらず、これほど本があふれかえっている世の中で新書版を1冊出すことの影響力は、誰よりも本人がよく分かっているのだろう。それでも書かずにいられない。

 私の母方の実家には古文書がいろいろあった。中でも親しまれていたのが幕末の志士、長三洲の書だった。豊後(大分県)の同郷人だからである。私も彼の字は好きだったな。素直に好きだった。長三洲の字を見るつもりで松岡正剛の本を読んでゆこうと思う。

 ところで、豊後の母親の実家の人たちはとてもまっとうな判断力を持つ人たちだと思っているのだが、一点だけ、どういうものかなあと感じることがある。

 同家が所蔵している絵の中に元寇の「蒙古襲来絵詞」がある。武器「てっはう」などが出てくる日本人で知らぬ人はいないだろうあの絵だ。この絵詞については2021年7月16日に文化審議会が文部科学大臣に国宝に指定するよう答申しているので、まもなく国宝になると思われる。

 「蒙古襲来絵詞という国宝級のものが我が家にはあるのだ」と母親の実家一族は誇りにしているし、「ヨソの国宝なにするものぞ」くらいの気持ちを持っている。ところが、である。私もこれは何度か見せてもらっているけど、どうみても模写なのだ。どんなに古くても明治より前には行かないと思う。私はまったくの素人だが、素人目に見たって、あるいは同族としてのひいき目にみたって、そうである。

 なのに、どうしてこれが模写ということが分からないのだろう。あれほど実直かつまっすぐな判断を示す人たちが、気取って自分を大きく見せようとは決してしない謙虚な人たちが、なぜこれを国宝級の本物と信じて疑わないのだろう。分からぬ。

★第一講 柱を立てる

 私が小学生の頃に住んでいた福岡県柳川市には「三柱神社」(みはしらじんじゃ)がある。なぜ三柱という名前かというと3柱の神様が祀られているからである。初代柳川藩主の立花宗茂公、その岳父の戸次道雪公、そして宗茂室の誾千代姫の三神。「やみちよ」さまじゃありませんよ、「ぎんちよ」さまですよ。門構えの中は「言」という字。確実に存在したことが記録で証明できる唯一の戦国女城主である。

 神様を数える単位になぜ「柱」を使うのか。松岡正剛は林屋辰三郎が唱えた「日本の古代文化は柱の文化である」という説に賛同している。古代日本では柱が大切にされ、村づくり、国づくりなど、すべてはまず柱を立てることから始まった。そういう大切なものだから神様も「柱」単位で数えるというのである。柱を立てることに由来して、身を立てる、志を立てるなどというのだ、という説を松岡は展開している。

 私は林屋辰三郎の説はまったく知らないので、なんとも言えないけれど、そして柱が重要であることに異論はないけれど、なんでもかんでも立てると言えば柱から来ているというのは、ちょっと思いが行き過ぎていないかなあという感じはする。

★第二講 和漢の境をまたぐ

 第二講ではいくつもの日本のコンセプトが日本と中国の交流・融合から生まれた上で日本に合わせてローカライズされたものであることが記述されている。禅宗における枯山水、茶道における侘茶、衝立や板戸からの襖や障子の発展など。

 中でも最大のインパクトはなんと言っても漢字とその日本語化である。

 例えばこれが英語ならどうか。アルファベット文字をどう読むかというと、日本語訛りはあるにせよ、英語の通り読む。dogはドッグだしcatはキャットだ。これらをイヌとかネコとかは読まないし、他の読み方はない。しかし漢字は違う。訓読みが作り出されたからだ。訓読みでは犬はquǎnとは読まずイヌと読むし、猫はmāoではなくネコと読む。この英語の例は松岡が提示したものではないが、日本人は漢字に順応したのみならず漢字を日本人に順応させたと松岡は言っている。それだけでなく、日本人はさらに発展させて漢字から仮名とかなを発明し、漢字の意味を完全に骨抜きにして単なる表音文字としても使うようになった。松岡正剛はこれらを「文明的な転換がおこった」と評している。

★第三講 イノリとミノリ

 「豊後国風土記」の記事が紹介されている。

 富者が正月に搗いた餅が余ったので、枝にかけて弓矢の標的として遊んだところ、その餅が白鳥(しらとり)と変じて飛び去った。しばらくしてその富者の田畑は荒廃して、家が没落した。

 以前、市川猿之助(先代)のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観た。ラストシーンはヤマトタケルが白鳥となって天に戻る姿だった。そういう伝説があることを踏まえてのものである。白鳥伝説はいろいろな形で日本列島各地に存在する。松岡によれば、白鳥伝説は、日本人の魂は白鳥が遠くから運んでもたらしてきた穀物霊なのかもしれないと想像したところから生まれたのだという。白い穀物といえば、これはもう、米である。そしてご飯は「いただくもの」になった。

 ところで、私の父親は医者であった。体力をつけさせるため、「ご飯をたくさん食べてください」と患者に求めた。患者はわかりましたと返答した。その次、患者を診察したとき、「ご飯はたくさん食べましたか?」と聞くと、その患者は「はい、お茶碗に山盛り2杯食べました」と答えた。

 これ、あまりにできすぎているので、作った話のようにしか思えないが、実話なのだ。父親が勤務していた病院は田舎のほうだったからかな。田舎の患者で驚いたのにはこういうこともあった。眼科の視力検査のときである。ワッカの切れている方向を示すのに西とか東とか言う人たちが結構いた。「西も東もわからぬ」っていうのは比喩じゃなかった。事実、こういう東西感覚で生活が成り立っていたのだ。

★第四講 神と仏の習合

 我々夫婦の結婚式では東京の神田明神の神主さんの前で三々九度の盃をかわした。息子の安産祈願とお礼参りは人形町の水天宮に行った。

 私は福岡県久留米市の出身である。久留米市は江戸時代は有馬藩領であった。人形町の水天宮がある場所はもとは有馬藩の江戸藩邸の一隅だった。水天宮は壇ノ浦で海中に沈まれた安徳天皇を祀った神社で日本全国の総本社が久留米にある。有馬藩邸の水天宮は江戸時代から有名だったらしく、「恐れ入り谷の鬼子母神」と同じくらい「そうで有馬(ありま)の水天宮」と人口に膾炙していたようである。

 我が家の宗旨ということになると、どうなるのだろう。父親と母親ではお墓が違うところにあるのでややこしい。父親の墓があるのは浄土真宗のお寺、母親のお墓があるのは浄土宗のお寺だからだ。こういう場合、家の宗旨はどうなるのかな。私個人の宗教というと、曹洞宗になるだろうか。別に得度しているわけじゃないけど。もちろん、クリスマスケーキは食べる。そして、正月には簡易版だけど玄関に門松を飾る。新年2日には一家揃って鶴見の総持寺に初詣するのが毎年のならわしである。

 とにかく神聖で侵してはならない存在、人間を超えた存在がある、ということが重要であって、その内容が神か、仏か、教義は何かなんて、どうでもいいことだというのは日本人一般の通性のようであり、そして私は日本人である。

★第五講 和する/荒ぶる

 「日本」は「にほん」か、「にっぽん」か。これは随分昔から随分大勢の人たちが取り組んできた問題である。が、決着はついていない。つまり、わからん、ということである。というより「どっちでもいい」っていうことだ。前の章で出てきた神でも仏でもどっちでもいい、っていう態度と似ている。日本人は実におおらかな民族なのだと思う。

 私の家ではこれまで3匹の犬を飼った。2匹は柴犬(つまり日本犬)で1匹はダックスフント(つまり洋犬)。ダックスフントは家族大好きで家族と一緒に過ごすことこそが自分の幸せ、という犬だった。柴犬たちも基本的にはそうだが、ときとして「フン、飼い主がどれほどのもんじゃい」という態度を見せることがあった。その土地の犬がその土地の人間の気質を反映しているものならば、日本人も他との協調を重視する一方で独立不羈の精神も持った民族だと言えないだろうか。和すると荒ぶるの併存である。

 日本で「和」と言えば真っ先に思い浮かぶのは聖徳太子の十七条の憲法であろう。第一条「和をもって貴しとなす」を知らぬ人はいない。しかし、第二条以降を知っている人はほとんどいない。教科書には参考として枠の中に載ってただろうけど一瞥して終わりだったはず。が、この十七条の憲法、歴史の試験用ではなくてもっと実体として大切にされてよいと思う。例えば第十条。

人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。相共賢愚。如鐶无端。

 人には皆それぞれの心があり、それぞれにこだわりを持っている。相手が良いと思うことでも自分にとっては良くなかったり、自分が良いと思うことでも相手にとっては良くないことがあるものだ。自分がすぐれていて相手がバカだと決まっているわけではない。どちらも凡夫だ。お互いに賢人でもあれば愚人でもある。その様子は両端がつながっている環のようなものだ。

 これ、知らない人に聞かせたら現代思想としか思えないだろう。

★第六講 漂白と辺境

松岡正剛は、今の日本は東京一極集中状態にあるものの従来は地方が大切にされてきたとして、その例に「伊勢物語」、「更級日記」、「土佐日記」などを挙げている。

伊勢物語!! この物語は面白いのだ。中でも私が好きなのは第21段。以下、21段について語らせてもらう。

伊勢物語といえば出だしは「昔、男ありけり」というイメージだが第21段は違う。

むかし、男をんな、
いとかしこく思ひかはして
こと心なかりけり。
 
昔、男と女がいた。男は在原業平である。スカイツリーのお膝元の地名、業平のもとにもなった人だ。女はどういう人か分からない。その男女が熱烈に互いに想い合っており、異心を抱くことはなかった。つまり互いに他の男のことや他の女のことは1ミリも考えなかった。「私、あなたのために生まれてきたの」。「月を見ても星を見ても想うはお前のことばかり」とか言い交わしてたんだろうなあ。書いてないけど。

さるを、いかなる事かありけむ、
いさゝかなることにつけて、
世の中をうしと思ひて、
出でていなむと思ひて、
かかる歌をなむよみて、
ものに書きつけける。

 それなのに、どうしたというのだろう。とりたててこれがこうだっていうこともないけれどなんだかイヤになってしまって、女は家を出てゆくことにした。そして書置きを書いたのだ。

いでていなば心かるしと言ひやせむ
世のありさまを人は知らねば

とよみおきて、出でていにけり。

 こうやってわたしが家を出て言ったら、なんて気持ちの軽い女だと世間の人は謗ることでしょう。でもね、男女の間のことなんて、他人には分かりっこないのよ。こういう書置きを残して女は出て行った。

この女かく書きおきたるを、
けしう、心おくべきことを覚えぬを、
なにによりてかかゝらむと、
いといたう泣きて、
いづ方に求めゆかむと、
門にいでて、とみかうみ、見けれど、
いづこをはかりとも覚えざりければ、
かへりいりて、

 女はこう書いて出て行ったが、男には、さっぱりわけが分からない。まったく心あたりがない。なんでこういうことになったんだろうと男は涙が止まらない。どこに行ったのかと家の門まで走り出て、あちこち見渡しても女の姿はない。追いかけていきたいけど、どっちに行ったか分からないので、すごすごと家の中に入った。

 いやあ、ここが一番好き。女の後を追おうと外まで出たけど、結局どうしたらいいか分からないので肩を落としてしょんぼり家に戻る業平さん。男の可愛らしさ満開じゃありませんか。貴族といえども業平さん、この時は裸足だったに違いない。

平安貴族はなにかにつけて歌を詠む。まして男は在原業平。歌を詠んだ。

思ふかひ
なき世なりけり年月を
あだに契りて
我や住まひし

といひてながめをり。

愛し合ってたと思っていたけど、そうじゃなかったのかなあ。
あの年月はどういう意味があったんだろう。

そうつぶやきながらぼーっと窓の外を眺めて暮らしていた。

さらにこうも詠んだ。

人はいさ
思ひやすらむ玉かづら
面影にのみ
いとゞ見えつゝ

 彼女、私のことを考えてくれることもあるのかなあ。彼女の面影が目の前にちらついて仕方がないよ。

 業平さん、いじいじの日々である。

この女、いとひさしくありて、
念じわびてにやありけむ。
いひおこせたる。

 さて、この女。ずいぶん時間が経ったあと、何か思うところがあったのだろうか、歌を詠んで送ってきた。

今はとて
忘るゝ草のたねをだに
人の心に
まかせずもがな

 人のことを忘れることができるという草の種だけでもあなたに蒔かせたくはありません。

 これ、「私のことを忘れないでね」と言って寄越したという解釈もできるけど、そうするとこの女、あまりに身勝手な女ではなかろうか。そうじゃなくて「私を忘れるための忘れ草の種を蒔くというそういうことさえ、させたくありません」。業平が自分のことを忘れかねていることを風のたよりに聞いた女が、もう、きれいさっぱり忘れてくださいなと言って寄越したと思いたい。

 業平さん、そうあっさりはあきらめない。

忘草
植ふとだに聞くものならば
思ひけりとは
知りもしなまし

 あなたが私を忘れるために忘れ草の種を植えたと聞くことができたら、私を忘れないでいてくれたんだと思えるのに。

 これをきっかけに二人は歌を交わすようになった。すでにすっかり心が離れてしまった女となんとかすがりつきたい男。女は「しょうがないなあ。でも、業平さんらしい」とか思って歌のやり取りに付き合ったのかもしれぬ。

 業平さん、女に歌を送ります。

忘るらむ
と思ふ心のうたがひに
ありしよりけに
ものぞかなしき

 あなたが私を忘れているんじゃないかと思うと、苦しくてしかたがない。

 業平さん、粘り腰である。

これに対して女が歌を返してくる。女は冷静である。もうこれ以上はつきあいきれん、と思ったんじゃないか。

中空に
立ちゐる雲のあともなく
身のはかなくも
なりにけるかな 

 大空の雲はいずれ跡形もなく消えるものです。私も同じように消えたのです。

 このあと、二人はそれぞれ別の相手を見つけて、縁が切れる。業平さんは、なんというか、実に女々しい純情男である。業平さんはプレイボーイの代表のような人だけど、プレイボーイって相手の女に対してはこういう態度をとるものかもしれんね。

★第七講 型・間・拍子

 私は幼少期からバイオリンを習っていた。アマチュアの平均よりは上手であると自分では思っている。アマチュアオーケストラに入っていたので他の洋楽器のことも多少は分かる。が、しかし、邦楽器のことはさっぱり分からない。

 これっておかしくないかと思う。西洋楽器のことはわかっても邦楽器のことは分からない日本人。どうしてこうなっちゃったんだろ。

★第八講 小さきもの

 カプセルに入った小さなキャラクターであるポケモンのルーツはかぐや姫だ、桃太郎だ、一寸法師だと書いてある。なーるほど、そうだなあ。

 一時は道を歩けば小学生たちが「ピカチュー、カイリュー、ヤドラン、ピジョン、、、」と唱えていたものだ。息子がちょうどその世代だったので、この「ポケモン言えるかな?」の歌詞を私も一緒になって覚えた。「アーボ、イーブイ、ウツドン、エレブー、、、、」。カラオケにも当然この曲が入っていたが、オヤジ連中でちゃんと歌えるのは私以外にはいなかった。ちょっぴり得意であった。

★第九講 まねび/まなび

 私の若いころ、大人たちはたいていが「お謡」(おうたい)を習っていた。謡とは能の声楽部分である。結婚式のときは関係者の誰かがめでたいお謡をして祝うのが常であった。祝言の小謡といえばもう、「高砂や~、この浦舟に帆を上げて~」である。私たち夫婦のときも母親の弟である叔父に高砂をやってもらった。新郎新婦が座る席が高砂と呼ばれるのはここからきている。室町時代から学び真似て伝えられてきた高砂。その恩恵をたしかに私たち夫婦も受けた。

 私の母も観世流のお謡を習っていた。私が高校生のとき、お謡の本を代わりに買ってきてほしいと頼まれたことがあった。

 私「観世流のお謡の本をください」
 女店員「はい、何の本を?」
 私「『恋重荷』を。」
 女店員「まあ、おほほ」

★第一〇講 或るおおもと

 この章で松岡正剛は日本人とおおもとたる家について考察している。国家からはじまり、清水の次郎長などの一家、そして森鷗外や島崎藤村が描いた家の崩壊などである。

 私はずっと核家族の育ちなので、「家」というものを意識するのは結婚式の「〇〇家」っていうときと、あとは「○○家墓」くらいだ。なので家紋を大切にして機会があれば使うようにしている。我が家の家紋は「抱き柊」である。

 私の配偶者は千葉県いすみ市の出身だ。今はひらがな表記になってしまってつまらないが、もとは漢字で夷隅であった。蝦夷地の隅っこだから、というのが私の解釈である。蝦夷地ということで容易に想像がつくように、配偶者のところは部落単位での行動が多く、部落を構成する単位としての家がはっきり存在する。配偶者のところの家号は「そうぜんどん」である。先祖に惣左衛門という人がいたからだ。お隣の家号は「あさえんどん」。先祖に浅右衛門さんがいたから。

 ところで、森鷗外。学校の試験ではよく書かせられる名前であるが「鷗」は普段書き慣れない字である。そこで私はいつも森鷗外と書かせられるときには本名の「森林太郎」と書いていた。慣れない字を書いて間違えるより、よく知っている字のほうが安全だからだ。最初に書いたときはこれで先生が〇をくれるものか確信がなかったが、〇がもらえることがわかり、それからずっと森林太郎。森鷗外と同じくらい有名でかつ同じくらい名前を書かせられる文豪に夏目漱石がいる。彼も「漱」の字が面倒くさい。よって、こちらも本名作戦でゆくことにした。夏目漱石という名前を書かせられる問題が出たときは「キタキタ」とほくそ笑んで「夏目金之介」と書いた。が、これは×をくらった。「介」を消して大きく赤で「助」と訂正してあった。生兵法は怪我の元。

★第一一講 かぶいて候

 私が過ごした福岡県南部(筑後地方)の方言に「ばさらか」がある。多量にとか過大にとか言う意味である。日本の中世には婆娑羅(ばさら)と呼ばれる武士の集団がいた。この婆娑羅も同じ意味である。婆娑羅大名と呼ばれた佐々木道誉は宴会を開くときは座敷に大きな桜の木をそのままどーんと飾って派手な連中を集め、大きな盃で酒を飲み干したという。

 九州弁って、室町時代の日本語と共通点が多い。なので、九州人は古文はだいたい分かるのである。日本の中心であった京都から時間をかけて時代とともに言葉が日本の端に向けて伝わっていって、京都の室町時代の言葉が今、九州で使われているというのは、まるっきりの嘘ではない。

 これに便乗して、こういうジョークを作ったことがある。東京から九州まで電波が伝わるのには時間がかかるし、気象や地勢の影響を受ける。だから東京で電波塔から送り出されたときは長調であった曲が九州に着いたときは短調になっている。

 このジョークに笑った人はまだいない。

★第一二講 市と庭

(引用)
日本の最初の市庭(市場)は人々が集まったところ、とくに古代では男女が交流する場に生まれました。万葉時代には海柘榴(つば)市が有名です。現在の奈良市桜井市の三輪山の南西の一角に男女が集い歌垣が催され、そのうち人々が持ち寄った穀物や野菜や生活品や産物が交換された。(引用終わり)

 つまり、商売をしようと思ったら、マーケットを作ろうと思ったら、まずは男女が集まる場を作るのがいい、っていうことだね。

 この章を読んでいて、霹靂というべき記述があった。

(引用)
「藩」という言葉は明治以降に公称として使われるようになった。(引用終わり)

 つまり、江戸時代に藩というものは存在しなかったのである。「幕藩体制」とか「廃藩置県」とかって学者が勝手に名前をつけた制度ということになるのかな。

 以下、ウィキベディアから引用する。

(引用)
藩について、当時の人々が実際に何と呼称していたかは詳しくはわかっていない。幕府からの命令は藩主個人名(例えば長州藩の場合は「松平大膳大夫殿」)に宛てて出されており、各藩側も自藩と他藩の区別さえできれば良かったので「当家」「他家」などの呼称で十分だったと考えられている。藩士についても「○○藩士」とは呼ばれず、例えば「仙台藩士」であれば公的には「松平陸奥守家来」と称された。また、「藩主」よりも封地名に「侯」をつけて呼び表わされることが多かった。例えば「仙台侯」、「尾張侯」、「姫路侯」といった具合である。(引用終わり)

 前に書いた水天宮、あれがあった場所はいったいどこだということになるのだろう。

★第一三講 ナリフリかまう

 ジャポニズム(日本趣味)、ジャパニズム(日本主義)、ジャパネスク(日本様式)の区別が紹介されている。私は今までこういう違いは意識していなかったので、意識しておくことは何かの役に立つだろうとは思う。具体的にどう役立つかは分からないけど。

★第一四講 ニュースとお笑い

 松岡正剛によればinformationが情報と訳されるようになったことには森林太郎(本では森鷗外)も一役果たしている。

 ところで、東京都江戸川区にある我が家から近くてよくお世話になっている総合病院に、隣の葛飾区所在の青砥慈恵会医科大学葛飾医療センターがある。病院の入り口には大きな写真が掲げてある。慈恵医大の創設者高木兼寛である。私は高木兼寛の像とか事跡とかを見ると、必ず森林太郎がセットで脳裏に思い浮かぶ。

 高木兼寛は海軍軍医総監まで務めている。同時期に森林太郎がいてこちらは陸軍軍医総監。両者の間で行われたのが脚気論争だった。脚気の原因は何か、ということである。高木は栄養説を唱え、森は細菌説を唱えて真っ向から対立した。当時は脚気による兵士の死亡が問題となっていたのだ。栄養説に基づく海軍の措置により脚気による海軍兵の死亡はなくなったのに対し、陸軍兵では死亡者が続いたことから、この論争は決着に至った。

 嗚呼、森林太郎が如き偉人は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を惜しむこゝろ今日までも残れりけり。

★第一五講 経世済民

 経済という言葉は経世済民が略されたものであり、経世済民とは「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という意味であった。それが経済と言えば金儲にばっかり特化されているのはおかしくないか、という松岡正剛の主張である。

★第一六講 面影を編集する

 松岡正剛は「編集工学」を提唱している。社会やその成り立ちを理解するには特定のテーマを立ててそれに沿って考察することでは不十分であり、さまざまな要素を複合させて編集する必要がある、あるいは世界はこのようにして編集されてきているのだ、という主張である。編集工学のモットーは「生命に学ぶ、歴史を展く、文化と遊ぶ」だ。

 松岡正剛は知性人として有名だし、編集工学研究所という彼の組織が続いていることから、その言説の価値を認めて資金を出す人が世の中にいるということは間違いない。しかし、正直に言えば、私は、「編集工学」という考え方がどういう新奇なものを見せてくれるのか分からない。哲学というより雑学に近いんじゃないだろうかという気がする。


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