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サ道 マンガで読むサウナ道 1~4巻 タナカカツキ 講談社


 息子はサウナ好きだ。時間を見つけてはホンダレブルに跨ってお気に入りのサウナに通っている。東京池袋の「かるまる」とか錦糸町の「黄金湯」とか。そういう息子から借りたのが「サ道 – マンガで読むサウナ道」。

 作者はタナカカツキ。タナカカツキ? 知らんなあ。調べた。

 1966年、大阪生まれ。漫画家。日本サウナ・スパ協会の公式サウナ大使。水槽水草レイアウトの世界ランカー。そして、なんと、あの「コップのフチ子さん」の生みの親だった。

 コップのフチに乗せるフィギュアなんて、どうやったら思いつくんだろう。凡人が10万人集まっても思いつかんよね。やっぱり天才が1人いないと。美術館についても同じことを思う。貧乏人が10万人集まっても美術館はできない。大金持ちが1人いないと。

 遍在と偏在の問題だね。ところで要らぬ心配をする。今は作家が自分で文字データを作って入稿するから、問題はないんだろうけど、手書きのころ、作家さんは「遍在」と「偏在」を編集者とか校正者が取り間違えないか、不安で仕方なかったんじゃないないかなあ。これらの単語を書くときはペンを持つ手が震えた、、っていうのは大げさとしても、なんとかして誤解されないように不必要に説明的な文脈にしたりあるいはわざわざ注を入れたりしたのではなかろうか。「烏」と「鳥」もしかり。

 私、サウナは大昔に1度行ったことがあるきりである。空気が熱くて熱くてとてもそのままでは肺に吸い込めないので両手でしっかり口鼻を覆って熱をやわらげた。いやあ、辛かった。

 タナカカツキも最初はサウナを敬遠しており、「サウナなんて全裸のオッサンらが犇めき合うストレス社会が生んだメタボゾンビの墓場」と思っていた。それが、こういう話の展開ではありがちなのだが、ひょんなことからサウナのよさを知ってしまったのだ。

 サウナは「整う」ことが最大の快楽である。と言っても、心身がリラックスして面白いなぞかけのオチを思いつくことではない。「整う」とは何か。別名、サウナトランスという。

 サウナではまずサウナ室で熱い目に会う。次に水風呂で冷たい目に会う。これらに耐えたあと、休憩室で椅子に座ったりしてゆったりできるのである。温冷交代浴そしてリラックス。これの繰り返しだ。

 温冷交代では、血管が開いたり収縮したりする。普段にはない血流が生じるわけである。交感神経と副交感神経が切り替わるという言い方をする人もいる。そしてリラックス時にやってくるサウナトランス。整った!

 整うとどういう気分になるのか。「サ道」にはいくつか紹介されている。

とてもイケメンなのだが頭髪が薄く、サウナの熱波師が送る風があたると髪が乱れて頭の地が出てしまうのをササッと直す男はこう言っている。

「私は幸福で満たされとったんです。身体は水と同化し、心は大きく広がり、すべてと繋がってゆく感覚。ああこれが即身即仏、悟りの境地かと。私は自分の人生を想いました。育ててくれた両親、親切にしてくれた友人。さまざまな支えの中で今の自分があるとゆーこと。ありがたい、、、ただただ、ありがたいと思っとったんです。私の話を聞いてくれた、あなたにもありがとう」

 会いたくもないのにサウナでしょっちゅう出会ってしまい、かつ、静かに時を過ごしたいのにのべつまくなしに話しかけてくる男はこう言っている。

 「最高にキマッたときは、ここの窓から見えているあの風力発電のプロペラが、ゆっくり回ってるのが、徐々に止まって見えて、逆に自分のほうがグルグルと回りはじめよるんです。そして、いろーんな子供の頃の想い出が、走馬燈のようにフラッシュバック」

 サウナハットというサウナ室の高温から頭部を保護するためのハットを被った男はこう言っている。

 「じーんと身体がしびれてきて、ディープリラックスの状態がやってくる。血液が身体中を駆け巡り、脳に酸素がゆきわたる。脳内の快感物質的なものが出て、、、やがて多幸感、、、サウナトランス、、、ととのったああああああ」

 さらにベテランになると、こういう温冷交代手順は踏まなくてもよくなるらしく、こう言っている。

 「受付嬢が美人だと9割はととのうね」

 「サ道」でこういう話を読むと、整ってみるのも悪くはないと思う。ちゃんと手順を踏む正式バージョンでも、受付で整う簡略バージョンでもどっちでもいいけれど。

 サウナに行くとしたら、そこは密室だからなあ、コロナとの関連性はどうなんだろう。ネットで調べてみた。そうするとサウナは温度が高いからコロナは気にしなくていいという報告と危険ありという報告の2つの報告が併記されているページが多かった。要するに「分からん」っていうことじゃないか。一言で済むことを長々と。ばかばかしい。結局、サウナの実体験はやめにした。

実体験はあきらめた。それじゃあ、疑似体験だ。ネットで探す。「サ道」はテレビ東京でドラマ化されていた。主演はネプチューンの原田泰造。アマゾンプライムにあったので第1話を観てみた。

原作漫画を読んでいるので、新しい情報とか事柄はなかった。ま、当然か。原作のこの部分とこの部分を切り取ってここを繋げて、、、ていう操作が明白で分かりやすくて、それについては楽しめた。

 ただ、私にとって問題だったのは、腰をタオル一枚で覆っただけのおっさんたちの裸をひたすら見させられるっていうことだ。だんだんそれに耐えられなくなってきて、30分番組中20分位のところで観るのを中断しようかと人差し指が再生停止ボタンに伸びかかったが、かろうじて思いとどまった。疑似体験じゃなくて実際にサウナにいればもっと長い時間おっさんの裸を見てなきゃならなかったわけだし、途中で停止したらもう2度と観ないだろうから330円のレンタル料がもったいないという気持もあったからだ。そしてありがたいことに、この山場を越したら、おっさんたちのタオル腹が気にならなくなってきた。とはいえ、2話目以降は見ないことに決めた。

 口直しにネットで別のサウナ番組を探す。ユーチューブにきれいなお姉さんがサウナでクルリと水着になって汗をかく番組があった。これこれ、これですがな。

 ところで、漫画やドラマの「サ道」の影響も大きいのだろうが、現実のサウナは今ではもうメタボゾンビの墓場ではなくなっているらしい。原田泰造がドラマでホームサウナにしていた東京上野の「北欧」などは学生たちまでが押しよせ、列をつくって順番待ちということもあるという。さらに、ついこの間、6年ぶりにサウナ雑誌が復刊した。

 サウナの楽しみの一つは、各地のサウナ巡りをすることだ。廃校になった小学校のプールや横を流れる天然の川が水風呂として使われていたりして、趣向もさまざま。サウナーの「聖地」もあちこちにあるし、「ほうじ茶のサウナ」と言えば、それだけで「ああ、あそこね」と分かる人には分かる。

 これは「サ道」第1巻「番外編」に書かれている話。サウナ室で熱せられながら「昔ほどととのわなくなってきた」とぼやく男の上段にいた老人が言葉を重ねた。

「特別な状態を追い求めるな」
「ととのっただの、ととのわなかっただの、ある状態を追い求めるとそれに振り回されてしまわぬものか?」
「ある状態を求めれば、苦しみを生むだけではないか?」
「そんなことはもう、おしまいにしなさい。ある状態に囚われ巻き込まれなさんな」
「ある状態は手に入れてもやがて失ってしまう。現れては消える。状態を求めるな、信じるな。」
「ととのった状態などはじめから無い。ととのうなんてものはない!」
「そんなものを信じるな! サウナを信じるな!」

まるきり禅だね。


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