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『聖書』についてのおはなし

『聖書』というのはキリスト教の「教典」です。キリスト教の教えの基礎が記された書物ということです。ちなみに「経典」というのは、信仰の規範が記された書物ということです。仏教などでは仏陀の説いた教えが記されている書物ということですが、キリスト教の教典である聖書にはキリストの説いた教えが記されているのではなくてキリスト教信仰についての言葉が記されているという点で違います。

「聖」とは

この「聖」という言葉は、それ自体が「きよい」とか「尊い」というような意味がありますけれども、キリスト教で「聖」と言うと、「神によって特別に分けられたもの」とか「神のもの」という意味になります。

時々、『聖書』そのものがまるで神仏ででもあるかのように扱う人がいます。聖書はキリスト教の教え、神の言葉が記されている書物ですけれども、それ自体は単なる「本」です。もちろん本は大切に扱った方が良いですけれども、他の本と何ら変わらないものなのです。

大切なのは、聖書そのものではなくて、そこに記されている言葉なのです。もう少し丁寧に言えば、そこに記されている言葉の中に隠されてるものが大切なのです。

読んでわかる?

正直に言えば、読んでも分かりません。書いてあること自体は読むことが出来ますし、書いてあることは分かります。けれども、それが何を意味するものなのかということについては読んでも分かりません。

もし、読んで書かれてあることの意味が分かるものなら教会も牧師もいりません。教会の空気に触れたり、そこに集まる人たちの雰囲気を感じたり、牧師が説くお話しを聞かなければ分からないものなのです。

だからといって読むのは無駄というわけではありません。大いに読んでいただきたいと心から思います。読んでそこに書かれてあることの意味までたどり着くために教会や牧師のお話しを聞くところまでいって欲しいと思います。

色々な翻訳がある

聖書には色々な翻訳があります。そのどれを読んでも構いません。翻訳が違っていても意味することは変わらないからです。おそらく多くの教会では「新共同訳聖書」というものが使われているのではないかと思います。最近新しい翻訳も出ました。広く使われるようになるまではまだ少し時間がかかるのではないかと思います。

それと、もし出来るなら、他言語の聖書も読んでみたら良いと思います。日本語では翻訳しにくい言葉が他言語であれば分かるということもあります。

おわり

聖書はなんとなく身構えて読むもののように感じる人もいるかもしれませんけれども、そんなことはありません。適当にパッと開いたところから読んでも構いません。章や節で区切られていますからその部分だけ読んでみるというのでも構いません。

今後ここで聖書の書物、章や節を追ってお話しを進めていきたいと思っています。



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