技術安定主義と未来評価主義

多分、"普通の人"と俗に言う"イノベーター"と呼ばれる人たちの考え方において決定的に違う部分。

それは技術安定主義か、未来評価主義か。
技術安定主義は、現状評価主義とも言い換えられる。つまり今評価されている技術やモノを作る人たちのこと。自分を安定させるため、褒められるため、今の価値を重視する。
未来評価主義は、未来から過去の自分の行動を褒めるように、未来に生きる人の為を思って今日行動を起こす人のことをいう。おそらく人によって、その未来のレンジが異なる。ビル・ゲイツはそのレンジが最も長い人の一人だろう。本人達は褒められたいなどと思っていないかもしれないが。

中学生時代から、全く何を残すこともなく生きてきた。何かを残そうと考えたこともあったはずだ。でもやらなかった。それは、技術安定主義であったからだ。新しいことをやらず、同じことをやり続けて評価される方がより褒められると考えていたからだ。今の価値観に従い、同じ土俵の相手を出し抜き、レッドオーシャンをさらに赤く染めあげて自分が頂点に立つ状態が理想だと、そう考えていたからだった。人より何かを上達したり理解したりするのが早いと信じてきた。自分なら誰もを出し抜くことができると信じていた。
そういう意味で、ゲーム、特にランクマッチは中学校時代から今まで私を魅了し続けた。実力の数字による可視化。これほど甘美な響きはあるだろうか。これこそが自分の技術を伸ばす場所であり、安定して評価を得られると思っていた。
ところで私は自分のことをそれほど愛せてはいない。これの理由についてすごく大きいと感じるのは、私は自分の体の機能に感謝している部分が大きいことが挙げられる。体の生存に感謝するほうがより自分を愛せるのだろうなと思う。

この技術安定主義と未来評価主義のように、いままで自分の中に存在しなかったがモヤモヤしていたものに言語という形を与えることで日々の行動から変わっていく。
今後の目標は、新しい言葉を作ること。モヤモヤに形を与えてあげると世界が変わって見えるかもしれないから。

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