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【冥王星の波動】1280年の疫病サイクル

Uの字状で表す歴史の原点回帰

私たちは今厳しい局面に直面していますが、乗り越え方や考え方を歴史を紐解きながら考えてみたいと思います。

歴史というのは必ずしも一直線上に後を振り返ることなく流れていくのではなく、いくつかの類似点を持って原点回帰のように時々戻りながら進んでいくようなところがあります。

似た特徴を持つ二つの時代

平安は貴族文化を中心に雅が花開いた時代。

片や平成は少々浮かれたバブル享楽の時代。

鎌倉は源頼朝が作った鎌倉幕府に対して忠誠心を持ってお仕えする時代。

片や昭和は戦前は天皇陛下、戦後は利益社会や会社組織への忠実度が問われた時代。

室町は足利尊氏が打ち立てた室町幕府は、鎌倉のように一糸乱れず足利政権に対して忠誠を尽くしたのではなく、各地方に散らばる武士たちが二段構え三段構えで日本を統治し、足利政権と末端の武士たちの関係はそれほど強固ではなかった。当時造られた豪華絢爛な建築を誇る金閣寺や銀閣寺は一部の権力者が楽しむだけで、反抗的な地方の武士たちによるギクシャクとした争いや小競り合いが多く発生した時代。

片や大正は大正デモクラシーという言葉がありますが、資本家と労働者の関係の軋轢があった時代。労働ストライキなどに表されるように末端労働者が資本家に対して少し牙を向くなど物騒な時代。中央政権と武士との間が流動的で必ずしも忠誠心を持って仕えたわけではない室町と、大正の資本家と労働者の関係はよく似た社会構造になっています。

戦国時代は各地に武田信玄や上杉謙信などの自分が天下を取る戦国大名が多く出てきた。下層の身分でも天下を取れるかもしれないとのし上っていく一言で表すと下刻上。下の身分の人間が上の身分の人間に挑みかかり社会がまさに激動の坩堝に入った時代。

片や明治は産業の向上、科学技術力の向上、軍事力の向上など近代国家を目指し西洋の文明文化に一刻も早く追いつこうとした。バルチック艦隊のように小さな島国の日本が大国ロシアに対して挑むなど西洋列強諸国に挑む構図。戦国時代は国内、明治時代は国外の出来事ですが、下が上に挑むという点でほぼ似ています。

折り返し地点となる1600年頃

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このように時代ごとの区分をUの字状にしてみると、令和の時代は奈良時代と類似点がありそうです。

Uの字の上にある江戸時代については、1600年前後というのは世界史的に見ても大きな文明の転換点になっています。

1600年以降は、徐々に「近代的自我」というものが確立された時代です。

「近代的自我」とは、観念よりも行動に重きを置いた時に、その行為をする「私」とは何か? 自分とは何かという疑問追求が起きました。

それまでは完全に一つの国家に縛られた存在としての自分しか考えられませんでしたが、もしかしたら自分の幸福についても考えていいのでは?となり始めたのが1600年を過ぎたあたりからです。 

1637年、ルネ・デカルトが『方法序説』を書きました。感情的にならずに理性的にあるいは理論的に考えるとは何か?と説いたのが『方法序説』です。

1687年、アイザック・ニュートンの「自然哲学の数学的諸原理」は、今で言う力学の基礎をほとんど作ってしまいました。

要するに、1600年という時代は、日本だと関ヶ原の戦いがありその3年後の1603年に江戸幕府ができますが、どうも1600年というのは特殊な時代で、ここを折り返し地点として時代が様変わりしていきます。日本だけではなく世界も様変わりしていきました。

集団意識と個人意識

Uの字の左側は集団重視の時代で、右側の1600年を過ぎたあたりは個人重視の時代です。

もちろん昭和の戦争の時期は個人の自由などは無いとされた時代もありましたが、1600年を過ぎると徐々に個人の意識というものが自覚されていきました。このように時代を読み取ることができます。

令和の時代と奈良時代の類似点

そうすると、令和の時代の舵取りは奈良時代にヒントがあるのではないか?時代がそっくりそのままコピーされるわけではありませんが、個人という視点を重要視して、奈良時代には何が起きたのか読み解いてみましょう。

歴史を紐解いてみると、疫病が日本書紀に出てくるのは、奈良時代の「天平の疫病(天然痘 735年〜738年)」です。

天占易学による時代の読み解き

僕は昔「天占易学」というのを開発したのですが、これは個人の運命だけでなく国家の運命も占うことができます。

「天占易学」では、80年に1回の周期で個人の運命を占います。
80×2=160
80×4=320
80×6=480
80×8=640
80×10=800
80×12=960
80×14=1120
80×16=1280

冥王星が示す法律・審判の波動

最後の80×16=1280年を1周期とするのが冥王星が示す波動です。
その代表的な波動は「法律」です。法律の仕組みがどう変わるのか?

もう一つの波動は「審判」です。つまりそれまでに積み重ねてきた人間たちの想念や行為に対して審判的なものがくだされます。その周期が1280年です。

天平の疫病とコロナの関係

さて、2020年の初めから発生した「コロナ」について、2020−1280=740年になります。

ほぼ「天平の疫病(735年〜738年)」と同じ時期にあたります。このあたりが「天占易学」の不思議なところであります。

つまりどう考えても、「コロナ」がちょうど1280年くらい前に起きた「天平の疫病」と同じような役目を持っていることが天占易学から見えてきます。

こういった点からも令和の時代と奈良の時代の類似点があることが言えます。

祟りとされた天然痘

実は藤原不比等の4人の息子である藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)は天然痘に罹り、権力者たちがバタバタと死んでいったのが「天平の疫病」と呼ばれるものです。

当時の人々はこれを祟りだとしましたが、冷静に見てみると、奈良時代というのは、進んだ唐の文化を都市建築に大幅に取り入れた時代でした。

天然痘で死んだ人は100万人〜150万人とデータが残っています。当時の人口の約2割くらいの人が亡くなったようです。

九頭龍神で疫病を封印する

当時は様々なおまじないをしたようです。おまじないの中には、頭が九つある「九頭龍神」を呼んで疫病を封印するのもあったようです。

「最後の審判」人類社会への警告

このように見てみると、Uの字の歴史の対比はあながち荒唐無稽ではないように思われます。

「コロナ」というのが、最後の審判的な人類社会に対する大きな警告として捉えることができます。

個々が主体的にルールを定める令和

一つには奈良時代というのは、律令制度と言って法律や組織ががんじがらめになった時代です。

細かいルールのような、今でいう法律「六法全書」のようなものが国家に忠実に振る舞うために作られました。

その奈良時代に対して令和という時代も国家に尽くすような時代になるのでしょうか?

一人ひとりがルールを自覚するというのは受け継ぎますが、1600年の折り返しから個人となっているのでそれから言えることは、「一人ひとりが自分でルールを決める」という主体的な時代が令和に始まると見て解くことができます。

奈良時代は国家が決めたルールに全国民が従っていましたが、令和の時代は自分たちがルールを決める。

誰かがルールを決めてそれに従う風潮だったのが、今から必要なのはルールを自覚して自分で決め事を作ることです。

見下された日本から目覚めの日本へ

さて、それらを踏まえて私たちはどう生きたら良いのでしょうか?

日本は幕末の時に不平等条約を結ばされますが、その原因は日本が独自の法律、完全な法体系を自分たちで作ることができないだろうと西欧列強諸国から見下されたました。

もし日本人が目覚め、自分たちでルールを決める動きが起きたとしたら、この長い歴史の中で画期的な時代が始まるのではないでしょうか。

過密都市から地方都市の時代へ

もう一つは「天平の疫病」は当時はおまじないで鎮めようとしましたが、実は都市が過密になればなるほど疫病が流行りやすい。

都市化が進んだことが原因だったわけですから、令和の時代は地方都市が活性化し、自分たちでルールを決めることが大事です。

個々が行動や考えを決める

ではどういう考え方で過ごせば良いかというと、自分たちで行動、考え方、祈り方などを決めることです。

それについては次のセクションでお話しいたします。

2021年1月12日 Dr.Shu 五島秀一(撮影協力 足立療術院)

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