【TAOの流れ】エミール大師の見守る生き方
人が目を閉じて瞑想を好むのは、聖なる意識に触れたいがゆえである。
それは、日常の感覚では辿り着けない世界である。
人々は、日々のたつきの活動をしばしやめて、流れる雲、風の流れ、最初はそれらを皮膚の感覚、すなわち五感を通して感じながら、やがては五感を超えた世界に到達します。
このような形で、自然現象というものを己の内面世界に置き換えようとしたのが、今日我々が表層的に学ぶ「ヨガ、すなわちユガ」というものである。
ユガという言葉は、聖なるものと俗なる物質が結びつく、融合する、という意味である。
自然界には寿命はないが、人間には寿命がある。
その差はいったいどこから来るのか。
数多くの聖者がこの謎に挑んだ。
ヒマラヤに住まう、数多くの聖者は今もなお生きている。
そして未だ、修行途上の者もいる。
彼らは、儚い三界の世界を超えて、肉の身を永遠宇宙のそれと一致させようとする。
どのような方法でか?
一心集中なのか?
身体の力や心の力を完全に抜いてリラックスすれば、この深淵なる宇宙が、己の心にしかと映ってくるのだ。
様々なアーサナや呼吸法が編み出されたのは、そのためであった。
決して届くはずのない肉の身が、ある瞬間に永遠の宇宙の炎と触れるとすれば、それはおそらく無限の喜びであり、この地上のいかなる体験によっても決して満足されることのない 至高の喜びである。
そのような聖者になるための試みを、何度も何度もしたものがいた。
そうだ。今から2300年前においても、そのような永遠に挑む若者がいた。
彼の名は「エミール」といった。
その頃あなたは、そのヒマラヤの麓でのどかに自然と共に生活していた。
20日以上前に、このヒマラヤの頂上を目指して、一人の若者がスタスタと登って行った。
命知らずといえばそれまでであるが、永遠に解けない謎ほど我々の心を魅了し、我々の心を鷲掴みにするものはあるまい。
有限の寿命をもつ存在が、永遠無限の存在となろうとすることほど愚かなことはないはずなのに、それでも私たちの中の何者かが、それを探求せざるを得ないのである。
今から2300年前といえば、すでに北⻄の領域より、かのアーリア人がインドに侵入し、 全く新たな鉄器を中心とした文化文明を築き始めていた頃だ。
その頃インドの聖者たちは、他⺠族に侵略されることを全く意に介さず、彼らは他⺠族を征服するのではなく、己の魂の高峰によじ登ろうとして必死であった。
実はインドにおいて、ヨーガというものが発達したその根本原因は、自分たちが悟りの高みに達すれば、決して他⺠族に侵されることのない、威厳ある国になるはずだという信念があったからである。
この点は、今日においても、ヨガの修行をするものによって見落とされがちである。
そうした生きる上での切ない動機がなければ、何ゆえに精神の探究に入ろうか。
彼らには、差し迫った課題があったのである。
しかし今日においても、その望みは達せられたかというと、全く甚だ疑わしい。
今日インドも⻄洋文明に毒され、かつての多⺠族の侵入から、このインドを守ろうとした数多くの聖者の心構えを、その何人が心に保持したままであるかというと、甚だ心寒いものがあるのだ。
今日、少しでもヨガをかじろうとするものがいるのならば、その先人たちがヨガの修行にかけた熱い思いを知るべきではあるまいか。
さてこのようなわけで、そのエミールという⻘年は、着のみ着のままヒマラヤの頂上に挑んだのである。
しかし、ヒマラヤはあまりにも気高く、かつ厳しかった。
冬の寒さと共に、ヒマラヤの山はエミールという若者に対して敢然と彼を突き返すのだ。
吹雪と飢えと死の恐怖がまさにエミールを襲った。
かくて水も飲まず食事もとらない状態が約21日間続くと、ついに彼は絶命してしまった。
若者の帰りが遅かった、そのことを知ったあなたは、禁を犯して頂上を目指して登って行ったのである。
自分を必要とするものがあると、どこにでもいかなければならない、そんな熱い信念が君の中にあったからである。
さて、この心の衝動は、生まれ変わった今日においても、持続されている。
自分が必要とされた仕事なら、他の何人も手を放し逃げたとしても、やらねばならぬという思いが自分を突き動かすのである。
その度しばしば損な役回りをさせられることがあっても、生きる上では不適応な心の傾向ではあるが、魂の進化向上という目で見るなら、これほど人間を進化に駆り立てる心の衝動はあるまい。
やがて山の中腹において、君は絶命したヨガ僧エミールを発見した。
心の臓に耳を当てても全く何の音も聞こえない。
この状況から察するに、おそらくは絶命して三日は経っているであろう。
しかし、その極寒の気候のおかげで、死体は腐乱することはなかったのだ。
そこで彼の周りに薪を集め、一挙に彼の体を温めようとした。
すでに命の兆候はほとんど見られないのに関わらずだ。
何かが起きると、君は確かに心の奥で感じていたのである。
そして24時間寝ずの番をしていて、実に不思議なことが起きた。
現代医学風に言えば、おそらく彼は仮死状態にあったのであろう。
ついに彼は息を吹き返したのである。
そして、彼の両目からこぼれんばかりの涙が溢れているのに気がついた。
彼は目覚めるや否やすっくと立ち上がり、ヒマラヤの山に向かって咆哮した。
いや、絶叫したと言った方がはるかに近いものがあるであろう。
君は温めておいたやぎのミルクを彼に与えた。
しばらくすると、全身に血色が立ち戻り、にわかに彼は健やかさを取り戻したのである。
その瞬間、エミールははたと気がついた。
こうしてのちに、彼は家督を弟に譲り、もう一度このヒマラヤに挑戦いたします。
今度は思い通りにしようという気持ちを全て捨てて、「ただただ見守る、見守る」というその意識だけに、一心に集中いたしました。
こうして彼は、今でもこのヒマラヤで働き、聖なる白色同胞の一員として、エミール大師として全人類の進化を見守っております。
近年においては、ヨガのマスター、成瀬雅春氏を導き、そして数多くの神秘学者たちを導いております。
そうです。
道を求めるものが究極に到達するのは、自分の思い通りにしようとするのではなく見守る側に徹するということでした。
そもそも私たちがこの宇宙を創ったわけではありませんから、創ったわけでもないのに、それを自分の思い通りにしようとするところに、全ての間違いがありました。 エミールはそのことに気がついたのです。
このような縁があったわけですから、今生においても、あなたをこのエミールが守っておいでであります。
あなたの人生は、自分の思い通りにしようとすると、かえって邪魔が入り決してうまくはいきません。
しかしお任せして見守り、温かい心で包んでいると、全てが自分の計算の思惑をすべて超えた形で完璧な形にすべてが整い、水の流れの如くに流れて参ります。
このエミールは、今日、偉大な商人や経営者や指導者を守っております。
このタマシイヒーリングを聴かれた時から、あなたは自分の思い通りにしようとするすべてのカルマを捨てて、見守るという立場に徹するということによって、老子のいう「タオ」すなわち道の流れに乗り、自分で計画したわけではないのに全てが要所要所にぴたりと鋳型の形が自然にその場所に挟まるように、そして万物が速やかに決められた道を歩むように、あなたもまた、自然に、厳かに、荘厳で、かつ実り豊かな人生を送られることでありましょう。
このような前世における魂の不思議な出会いを通し、今世もまた、あなたの魂、すなわち命の歩みが、実り豊かなものでありますように。
2024年10月 香りと記憶「アロマタマシイヒーリング」by Dr.Shu