宇宙電流の中はメビウスの帯
生と死の二つを味方につける
宇宙の創造神が、生と死という二つのキーを持っています。
私たちは、生とか、輝くとか、成功しかキーを得ようとしません。
瓊瓊杵命が木花咲耶姫を選び、磐長姫を手放しました。そこに間違いがありました。
光と闇、成功と失敗、生と死は同じ実体の異なる側面です。それを見破れば、動じることはなくなるはずです。
そういう気持ちで、ほがらかに、堂々と、自己の中の良いところも悪いところも、長所も弱点も、微笑んで見つめて、背中の羽を広げて大空を舞う。
こんな優雅な魂の悠久の歴史を、送ってみたいと思います。
自己の探求からはじまる
私には自信がありません。
自分には自信がない、と言ったときの自分とは何なのか?
このように意識する人は、なかなかいないでしょう。
おそらく、西郷隆盛も、沖永良部島で、損して悲しんだり、得して喜んだりする自分とは何だろう? と考えたはずです。
偉人の生涯というものは、自己の探求からはじまるのです。
世界の探求の前に、社会的事業の前に、自己の世界を掘り下げる。自己の探求からはじまる。
自分はどの階層を生きているのか
僕も自分なりに、自分とは何だろう? と考えて、確立した人間観というのがああります。
それが「多次元人間観」です。
実は人間というものは、目に見える肉体以外にも実体があって、それが幾重にも重なっています。
そして、それが、真実の人間なのです。
一体自分というものは、どの階層を指していうのでしょうか?
世界で一番最初に出会うのは自分
偉大な聖者たちも、必ず自分を掘り下げるところからはじまったはずです。
モーゼは砂漠で瞑想修行をした、お釈迦様もピッパラの樹の下で、イエスキリストも砂漠で自己の追求をしました。
まず、世界で一番最初に出会うのは自分です。この自分に素手で入っていくことです。
七つの領域にまたがる広大無辺な存在
これは僕の考え方ですが、人間の実体というのは、七つの領域にまたがる広大無辺な存在です。
三次元の幽体
欲しいから動く
幽体から発するエネルギーを「気・氣」と言います。やる気、活気、元気と前向きな気が出てくるところです。
幽体から湧いてくる思いというのは、なぜそれをやるのか? というと、欲しいから動く、やってみたいから動くという、欲望という形で、人間の目覚めというのが起きます。
ところが創造神には、低次元にとどまらせない働き、というのがあります。
「お前さんの存在はね、そんな低次元じゃないよ。もっと高次元のお前さんがあるよ」
人生というのは、何度も何度も試練や失敗を重ねる毎に、一皮向け二皮向けて、高次の自分が出てきます。
それが、人間の生涯というものです。
四次元の霊体
自信がついたら動く
霊体からは多彩な色彩が放射されています。これがオーラで、一種の電気的信号です。
霊体というのは、感情でできている、あるいは感情を司っています。
自信がなくてできなかったのが、ある日突然自信がついて、霊体にエネルギーが溜まったら動く。
これは霊体的な人間観、霊体的な人生で、次元はそんなに高くありません。浮き沈み、成功も失敗も、数限りなく繰り返していきます。
気分や感情の影響を受ける。気圧や気象の変化も受ける。自分というものを自信があるかないかだけで捉えている。
しかし、自信があるかないかのレベルにとどまってはいけません。
五次元の神体
使命感で動く
神体とは、これは自分がやるべきだろうと、使命感のようなものを感じて動きます。
資本も無い、友人も知人もコネクションも無い、だけどやるべきだなと思ってやる。
このやるべきだろうというのは、誰かに強制されたわけではなく、自分でアンテナを立てるのです。
それは、自信のあるなしを越える。
だから自信をつけようとするのではなく、さらに次元の高い、やるべきかやらざるべきかで考えること。
そうすると、自信があるかないかで葛藤する人生から、やるべきかやらざるべきかのレベルの人生に発展していきます。
自信がある面とない面と、両方あるのが普通の人間で、神体に目覚めると、自信があるかないかというのは問題にしない、やるべきかやらざるべきかだけです。
自信があるかないかの感情の浮き沈みは完全に超えていきます。もちろん感情の波はあるけれど、それにとらわれない人生になっていきます。
六次元の菩薩体
人が喜ぶから動く
人が喜ぶから動く、いうのは、神体より上の六次元の菩薩体です。
この辺りまで来ると、すでに自信があるかないかというのは問題になりません。
山の下の方で見つけた祠が何時できたのか? 誰が作ったのか? などに興味を持ちますが、どんどん山を登って行くと、それらは視界の範疇に無くなるので、どうでもいいことになります。
解決しなくてよい問題というのもたくさんあります。
七次元の如来体
人の役に立つから動く
これをやったら、人の役に立つだろうと思ったらやる。
その分野に自信がないとしても、人の役に立つからやるし、やっていくうちに能力がついていく。
八次元の太陽体
未来のために動く
今、これをやっておくことが、十年後、二十年後の社会や地球のためになると思って動いたら、それは八次元の動機となり、未来を創っていきます。
これはもう、できるかできないかというレベルを、完全に超えていきます。
九次元の宇宙体
喜びが溢れるから動く
このように、多次元人間観というのは、自分を振り返ってみてどのレベルにいるのか?
欲しいから動くのか
自信がついてから動くのか
やるべきだから動くのか
人が喜ぶから動くのか
人の役に立つから動くのか
未来のために動くのか
喜びがあるから動くのか
このようにピラミッド状に考え方を掘り下げていき、ついに宇宙体まで行くと、軸がブレにくい価値観と人生観が生まれてきます。
人間は宇宙よりも大きな存在
人間というのは、肉体だけ見ると取るに足りない存在です。
心の面まで掘り下げていくと、とてつもない、富士山よりも大きな、宇宙よりも大きな存在です。
そのように自己を置く、自己の価値を高めていくことです。
自分の周りの人にも、本当のあなたはもっと心が大きな人ですよね、とお互いに掘り下げていくことで、もっともっと心の巨大な人間が誕生していくのではないでしょうか。
自分を振り返る。
小さなレベルでクヨクヨしない癖付けをしていく。
そうすると、人生に新たな可能性が開いていきます。
価値付けする意識
私たちが病気で死んだとします。その死ぬ自己とは次元の低い自己です。
もし私たちが何かで失敗して悲しむとします。それは私たちの次元の低い部分です。
成功しようが失敗しようが、健康になろうが病気になろうが、私たちの本質は不死身です。
生まれ変わり、死に変わりしながら、益々洗練されていくだけです。
それを断面だけ取ると、幸福、不幸、成功、失敗というように、価値付けをしてしまいます。
しかし魂の悠久の歴史から見たら、成功もなければ失敗もなく、健康もなければ病気もありません。
ただ悠々と、魂の無限の時空を飛んでいく、大空を悠々と飛んでいく鷲や鷹なのです。
生と死を超えたメビウスの帯
〇〇ボルトという宇宙電流があって、その宇宙電流が脊髄を貫く体験をしたときは、死ぬかもしれない、そういった修行もしています。
宇宙電流の中に飛び込むと、生も死もない、メビウスの帯になっていました。
なるほど、これが世界(宇宙)のカラクリなのかと。
そのような境地にならないと、風速50メートルの中でブレずに立っていることはできません。
人体のゼロポイントを見つけるのです。
拡大する意識と収束する意識
「宇宙則我」というのがあるけれど、僕の場合は「無限則我」でした。
無限大になると、自分は死ぬかもしれない。
自分と自分を観る自分が残る、そして無限の過去と無限の未来へ行きます。
拡大する意識がある一方で、収束する意識があることを発見します。
そこにあったのは「永遠の微笑み」でした。
Dr.shu 五島秀一 2021年11月16日
セミナー撮影協力 足立療術院
ロケ撮影協力 MIYUKI.KAKISHITA
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?