天を摩するがごとくに成長する
自分の周りが金色の空気に包まれますと、心は果てしない世界に広がります。
そこは、自分でも他人でもない世界。
人は皆、死後の世界において、このような自分でもなく他人でもなく、それでいて、自分が失われない世界を体験します。
そしていまあなたはこの、宇宙の大海の一滴となり、すべての生命が手を取り合っている様を思い浮かべます。
これは二千六百年以上の昔、ラジャグリハにおいて、お釈迦様が説法されていた当時の模様です。
お釈迦様が、何気無く午後の休息の時に、森の中を散歩しておられました。
周りを弟子が取り囲み、お釈迦様の行くすえに小石がないかどうか、いちいちそれをどけて、お釈迦様にケガがないようにしておりました。
そのとき、森の奥の方で、小さな少年が一所懸命、石を並べて作業をしておりました。
弟子たちは皆、不思議そうな目で見ておりましたが、お釈迦様がお通りになるので、その小石をどけようといたしました。
すると少年はカンカンになって怒ります。
弟子は言いました。
すると少年は胸を張ってこう言うではありませんか。
話し声を聞きつけて、釈尊はゆっくりと歩を進められます。
お釈迦様は、涼やかな顔で少年の顔をご覧になりました。
すると、こともあろうにお釈迦様は身をかがめ、地面すれすれに顔を近づけて、その石をしっかりとご覧になりました。
弟子たちは慌てました。
そしてしばらくすると、お釈迦様は立ち上がってこう仰いました。
少年は驚きました。
すると少年は、ハタと膝を叩いて言いました。
実は、今で言いますところ、その小石の下には粘菌と呼ばれる菌がおりました。その菌の吐き出すガスが、大きな立ちのぼる虹のように空に差し掛かりまして、雨雲を呼ぶのでありました。
実に釈尊は、少年の所作、行いだけで、この天地の理(ことわり)を理解したのであります。まさに宗教上の大天才と言わざるおえません。
釈尊は、小さな小さな生命体が、大自然を支配していることを、とっさに理解されたのであります。
これはなにを意味するかと言いますと、実はお釈迦様は、偉い人の話にはあまり耳を傾けませんでした。
もちろん悟りを得られた覚者でありますから、たくさんの国王や知識人が毎日のように、良い知らせ、良い情報を持ってきましたが、釈尊はむしろ、小さな子どもや、老人や、学のないものの話を、熱心に聴いておりました。
なにも知らない、専門家ではない素人の方が、現実を肌で知っております。
どんな人の話にも熱心に耳を傾けていくうちに、それらすべてがヒントとなって、新しい道を切り開く。
そのように釈尊はこう仰いました。
これからあなたは、たくさんの人々と出会います。
地位、名誉、身分の如何に関わらず、むしろ、幼きものや何も知らないものたちが、無意識に放った言葉の中から、意味を汲み取り、そのものたちに心から頭をさげるなれば、あなたの運が、天を摩するほどに成長していきましょう。
己れを支えるすべての存在に感謝する
それは人だけではありません。
家も土地も車もすべてであります。
己れを支える一切のものに感謝
オム ナマハ シバーヤ
オム ナマハ シバーヤ
Dr.Shu 五島秀一
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