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天を摩するがごとくに成長する
自分の周りが金色の空気に包まれますと、心は果てしない世界に広がります。
そこは、自分でも他人でもない世界。
人は皆、死後の世界において、このような自分でもなく他人でもなく、それでいて、自分が失われない世界を体験します。
そしていまあなたはこの、宇宙の大海の一滴となり、すべての生命が手を取り合っている様を思い浮かべます。
これは二千六百年以上の昔、ラジャグリハにおいて、お釈迦様が説法されていた当時の模様です。
お釈迦様が、何気無く午後の休息の時に、森の中を散歩しておられました。
周りを弟子が取り囲み、お釈迦様の行くすえに小石がないかどうか、いちいちそれをどけて、お釈迦様にケガがないようにしておりました。
そのとき、森の奥の方で、小さな少年が一所懸命、石を並べて作業をしておりました。
弟子たちは皆、不思議そうな目で見ておりましたが、お釈迦様がお通りになるので、その小石をどけようといたしました。
すると少年はカンカンになって怒ります。
何をするんだ!
弟子は言いました。
いまから悟りを得られた貴いお方がお通りになる。足元に万が一があってはならぬ。
すると少年は胸を張ってこう言うではありませんか。
その方が悟りを開いたかどうか、それは、この私が判断する。
話し声を聞きつけて、釈尊はゆっくりと歩を進められます。
どうしたのじゃ?
はい、このものが、石を並べております。危険なので、撤去しようといたしましたら、カンカンになって怒る始末でございます。
お釈迦様は、涼やかな顔で少年の顔をご覧になりました。
その方か?
そうだ、お前は誰だ?
わたくしは、ゴータマ・シッタルダと申すもの。かつて王家の人間でしたが、今では人の生きる道を説いております。
そうか、それなら俺がここに石を並べる理由がわかるだろう。
すると、こともあろうにお釈迦様は身をかがめ、地面すれすれに顔を近づけて、その石をしっかりとご覧になりました。
弟子たちは慌てました。
お釈迦様、衣服が汚れます。
構わぬ、構わぬ。
そしてしばらくすると、お釈迦様は立ち上がってこう仰いました。
わかったぞ、その石はどけてはならぬ。
少年は驚きました。
意味がわかるのか?
私には意味はすぐわかりませんが、その石から立ちのぼる、光の色で理解しました。
なに?この石から光が出ていると?
さようです。その石の光は、真っ直ぐに空に向かって伸びております。
そして上の方を見ますと、まるで空と一つに溶け合っております。
おそらく、その小さな石の下に、小さな小さな生命体が存在するのでありましょう。その生命体が発する息吹が、立ちのぼる光となって空に上がります。
最初は小さなかたまりが、やがて大きな群れをつくり、水蒸気を含んで、雲を厚く、雨を降らせる。
すると少年は、ハタと膝を叩いて言いました。
そうだったのか!
いや実はな、この俺だって、なんのためにこんなところに石を、円形に並べるのか、意味がわからなかった。先祖の代からずっと教えられてきたことをやってきた。
俺の親父どのは、この森の主人だ。この森はいま、何日も続く乾燥で、死に絶えようとしている。そんなときに、先祖代々の石を並べて、祈りを捧げたと言う。
実は、今で言いますところ、その小石の下には粘菌と呼ばれる菌がおりました。その菌の吐き出すガスが、大きな立ちのぼる虹のように空に差し掛かりまして、雨雲を呼ぶのでありました。
実に釈尊は、少年の所作、行いだけで、この天地の理(ことわり)を理解したのであります。まさに宗教上の大天才と言わざるおえません。
釈尊は、小さな小さな生命体が、大自然を支配していることを、とっさに理解されたのであります。
これはなにを意味するかと言いますと、実はお釈迦様は、偉い人の話にはあまり耳を傾けませんでした。
もちろん悟りを得られた覚者でありますから、たくさんの国王や知識人が毎日のように、良い知らせ、良い情報を持ってきましたが、釈尊はむしろ、小さな子どもや、老人や、学のないものの話を、熱心に聴いておりました。
なにも知らない、専門家ではない素人の方が、現実を肌で知っております。
どんな人の話にも熱心に耳を傾けていくうちに、それらすべてがヒントとなって、新しい道を切り開く。
そのように釈尊はこう仰いました。
見よ、天を貫く巨大な木があるだろう。あの木はどうして巨大になったのかわかるかな?
上を見たからではない。むしろ常に、足元を足元を眺めているうちに、自然に大きくなったのじゃ。
もし自分よりも背の高い木に気を取られて、どうして自分には芽が出ないのだろう。いつになったら自分にチャンスが巡ってくるのか。そうした競争心ばかりに眼を取られて気をとられていたら、決して大木にはならなかったであろう。
大木は常に自分自身と対話する。
自分が生まれ育った土壌から決して動くことはできない。
自分を支えている無数の生命体に感謝する、無数の出会いに感謝する。
見よ、自分を支えているものを知るものは、やがては、天を摩するがごとくに大木に成長するのである。
これからあなたは、たくさんの人々と出会います。
地位、名誉、身分の如何に関わらず、むしろ、幼きものや何も知らないものたちが、無意識に放った言葉の中から、意味を汲み取り、そのものたちに心から頭をさげるなれば、あなたの運が、天を摩するほどに成長していきましょう。
己れを支えるすべての存在に感謝する
それは人だけではありません。
家も土地も車もすべてであります。
己れを支える一切のものに感謝
オム ナマハ シバーヤ
オム ナマハ シバーヤ
Dr.Shu 五島秀一
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