京都アニメーションと宗教

京都アニメーションが、かつて90年代に新興宗教である幸福の科学の布教アニメや自己啓発アニメを作っていたのは周知の事実だ。
そして京都アニメーションの諸作品には、たびたび神や宗教への言及がみられる。
以下、京都アニメーションの作品履歴を辿りつつ、簡単に京都アニメーションと宗教の関わり合いを確認していくこととする。

・『フルメタル・パニック!ふもっふ』の7話である「やりすぎのウォークライ」において、ラクビーの練習前にラグビー部のメンバーがグラウンドで神に祈りを捧げるシーンが存在する。
・『ムントシリーズ』では、幸福の科学の布教アニメ『しあわせってなあに』で提示した世界観を踏襲していると言える。その世界観では、現世と天上世界が存在し、現世と天上世界は繋がっているという世界観である。
・『映画 中二病でも恋がしたい! -Take On Me-』において、富樫勇太と小鳥遊六花のふたりの旅は、富樫勇太の想像する神様に導かれることになる。
・『たまこまーけっと』の10話である「あの子のバトンに花が咲く」においても、常盤みどりが商店街の頭上に吊るされた巨大な魚にダンスのアイディアが出てくるように、柏手を打ちながら祈るシーンがある。
・『映画 聲の形』においてもマンションから投身自殺を試みる西宮硝子の腕をつかむ石田将也は、「神様・・・どうか、もうひと振り俺に力を下さい。もう嫌なことから逃げたりしません。明日から…みんなの顔をちゃんと見ます。明日からみんなの声もちゃんと聞きます。明日からちゃんとするから。」という台詞を口にしている。『映画 聲の形』においても「神様」に祈りを捧げるシーンは存在するのである。
・『リズと青い鳥』においても、リズと傘木希美の声が重なりながら、「ああ、神様どうして私にかごの開け方を教えたのですか。」という神に対する呪詛に似た言葉を投げかけるシーンがある。

このように、京都アニメーションの諸作品には神様や宗教への言及がなされているのだ。
特に『小林さんちのメイドラゴンS』は京都アニメーション作品における、神や宗教を考えるうえで、貴重な素材を提供してくれる。
『小林さんちのメイドラゴンS』の5話である「君と一緒に(まあ気が合えばですが)」は、現在の京都アニメーションにおける宗教を考えるうえで興味深いのだ。
このエピゾードでは、神様あるいはそれに準じた存在として人間の信仰の対象になっていたエルマと、人間によるそのような宗教や信仰のありようを否定するトールが対立しつつも、友情を深めていく様子が描かれている。
このエピソードでは、宗教はトールに否定されつつも星に願いを捧げる人間の営み自体は肯定されるという点が興味深い点であると言える。
このように、京都アニメーション作品と神様や宗教との関わりは深いものがある。

そして、京都アニメーションを退所された山田尚子監督の新作である『平家物語』においても、宗教色が濃く出ている。
『平家物語』の最終話である11話の「諸行無常」の結末において、後白河法皇は平徳子に対して「どうすれば、苦しみを超えることができるのかのう。」と尋ねる。それに対して徳子は「祈りを。わたくしにも、まだ忘れられぬ思いがございます。ですので、ただ、ただこうして皆を、愛する者を思い、そのご冥福を祈っているのでございます。」と答える。
そして後白河法皇は仏像の前にひれ伏し、思わず手を合わせる。
この結末においても、祈りを捧げることが平徳子の救いになると示唆されているのだ。

京都アニメーションおよび山田尚子監督作品において、今後、宗教や神様がどのように描かれるのか、興味は尽きない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?