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写真や映像で仕事をしていきたい人たちへの話(半分自分の人生の話だけど) 前編

 最近、インターンの子と話す機会があり、どうやったら自分で写真や映像で生きていけるようになるのか、というような内容をばっくりと話していました(お金のことも、キャリアのこと、スキルのことも含め)。
 その中で、僕自身のキャリアについて、意外とインターンの子なども知らないということに気づきまして、そこを軸にどういう感じで成長していったかを話していたんですが、これってコンテンツとして出しておくのも有意義なのでは?ということを感じ、、、そこで今回は、自分のフリーランスとしてのキャリアステップの踏み方と、そこから見えてくる、クリエイティブで生きていきたい人たちへのアドバイスみたいなものを記していこうかと思っています。僕の人生ベースなので写真がメインですが、映像やデザインなどもある程度同じポイントをおさえてればいけると思います。
 僕のことを昔から知ってる人は、何回か擦ってるネタでもであるので、生暖かく見守ってください(笑)そして、人生興味ない人は、ポイントだけ読んでください(笑)

クリエイティブを目指した頃

 高校生の頃は、実は医学部で法医学をやりたいなと思っていました。法医学というのは、犯罪があった際などに死体を解剖する監察医になるためのもので、上野正彦さんの『死体は語る』シリーズや、CSIなどの海外ドラマに影響されたのが大きかったです。

 ただ、あまり内科や外科のようないわゆる「お医者さん」には興味がなかったので、そういう人間が医学に行くべきか突然悩み始めてしまい、そのまま迷い続けて結局浪人することに。。そこで、1年の猶予が出来たので、もう一回、本当にやりたい事ってなんだろうと考え直しました。結局友人が建築をやりたいと言っていたこともあり(その友人は、今、birdを手伝ってくれているP/PMの鈴木氏)、昔から興味のあったデザインなどの分野がいいかな、と思うに至りました。ただ、うちは両親がクリエイティブ関係の仕事だったため、そういう仕事は食べていくのが大変というのを刷り込まれていたし、自分自身、壊滅的にスケッチが下手なので(今もそうですが)、一般入試で入れて、建築とデザイン両方が勉強でき、かつ国立で学費が安いということで京都工芸繊維大学に入学しました。
 入学してみると、高校から建築とかデザインやっている人とか、もう社会人の人とかもいて既に何となく差を感じたり。その上、建築はとても好きだったのですが、建築の先生がみんな高圧的な感じなのがすごく嫌で(今になってみると、学生の方に問題もかなり多々ありましたが(笑)、結局3回生のゼミ選びの際は、一旦好きだったインテリアの研究室に入ったけど、そこから再度考え直して、写真の先生のゼミに入りました。写真自体は、全く大学入るまでは好きでなかったんですが、父がフォトグラファーだったこともあってカメラが身近にあったので、大学に入ってから少しずつ触り始めていた感じです。その頃、友人と建築を見る旅行に頻繁に出かけていたこともあり、旅行先で写真を撮って、それをPCで編集する過程で段々興味を持っていきました。ちょうど、Lightroomとかが出てきた頃ですね。
 その後、写真を撮ることもですが、それ以上に写真をレタッチする方に興味を持ち始め、独学で学びました。その頃には、父もデジタルで仕事をしていたのでその手伝いをしたり、卒業制作ではすごく大きな写真で絵巻物のように合成したり。そうこうしているうちに、就職どうするのかという問題が出てきました。自分は写真で就職したかったけど、写真のちゃんとした教育も受けてないし、技術もなかったのでそのままでは受からないから、当時好きだったレタッチを磨いてレタッチャーで就職を目指すことに。父のツテを辿って、レタッチャーの方に出会い、その方に色々教えてもらって、そのまま彼が転職する際にその会社に引っ張ってもらう形で就職を決めました。

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↑卒業制作発表の時の写真、当時のブログから探しましたw

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↑卒制は、こういう絵巻物的な作品。これ、横4mという、、、星の王子さまの物語になっています。こういうのが3作品あった。

<ここまでのポイント>

1. 自分の持っている環境や条件を活かそう

 そもそも、僕自身は「どういうクリエイティブをしていきたいのか」なんて大学に入る時は全く分かってませんでした。 昔から雑誌は家に大量にあったし、デザインとか建築やインテリアが好きだってことだけ。そういう曖昧な気持ちの中で入学し、そこで初めて自分には何も武器がないことに気づきます。誰だって、武器がないところからスタートです。僕はインテリアが昔からすごく好きだったので、その知識を活かせる方向性をまず考えました。その方向なら学科の中でも自分が有利だなと思ったからです。ただ、インテリアにすごく強い大学でもなかったので、そのまま就職するのも違うかなと感じ、次に、自分が他の人よりも有利だった「カメラの知識」を活かす方向に進みました。といっても、そういう知識が当時から豊富だったわけではなく、父のおかげで色々と聞くことができるし、試すことができる状況だったというのが大きかったです。
 このように、同じような集団で比べた際に、自分が人より有利な方法・手段などは必ずあります。自分よりも圧倒的にレベルの高い人と比べてはダメです。どうせ、そことはまずは勝負になりません(笑) それよりも同じようなレベルだなと思うような人たちの中で、圧倒的に勝てそうなところを選んでいくことはすごく大事だと思います。同時に、それがただ勝てそうなだけではなく、四六時中やっても楽しいと思えるくらい好きであることも重要です。この2つが重なるところをまずは探しましょう。僕は大学の中では写真に関する部分で圧倒的に勝てる位置にいましたが、就職の際には、例えば日芸の写真学科の人とかとは勝負にならないので、デザインの知識を活かせて、かつ仕事の経験も得やすかったレタッチを勝負ポイントに選びました。この考え方はめちゃくちゃ大事で、ただ好きなだけで勝てなさそうなところで勝負し続けるのは、とても辛いです。そこで勝ち抜いていく人もいますが、そういう人はまじでレアケースなので、普通の人は、勝てそうで好きなところで勝負した方がいいと思います。

2. 恥ずかしがらずに、どんどんアタックしよう

 これは当時得た教訓というか、今、当時の自分と同じ立場の人を見てて思うことなんですが、条件が結構良いところを探し当てるまで、いろんな人に聞いたり、お願いしたり、良いところがあったらどんどんアタックしたり、そういうことをした方が良いと思います。どうしても恥ずかしくなっちゃったり、悩んだり、怖がったりしちゃうんですが、そういうのを捨てて、色々とまずはお願いしたり聞いて回ることが、とても大事。そこでもし弾かれても、どうしたら入れますか、とか、どういうことをしたらいいですか、と聞いて再チャレンジすることで道は開かれることって多いと思います。

会社員からフリーランスへ。一回3000円の仕事からのスタート。

 無事、レタッチャーの方(齋藤さん)に引っ張り上げていただき、会社に新卒で入社できました。母体の会社があって、そこはデザイン会社で車のカタログなどを長年やっていました。当時、そこで使う写真のレタッチと一部撮影を手がける子会社ができて、その子会社に入社しました。会社のメンバーは7人くらい(母体の方は3-40人くらい)で、上記の齋藤さんと、少し年上のレタッチャーの方と、社長の息子さんでフォトグラファーの方、それから元々母体のデザイナーだった方、プロデューサーの方2名、あと僕くらいという小さい部隊。ある程度即戦力であることが求められたので、入社前から色々齋藤さんから教えてもらい、入社したらすぐに仕事でした。1週間くらいの課題があって、それが終わったら、すぐにメルセデスのチラシのレタッチを任せてもらいました。

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↑当時はレタッチしてたのはこういうやつ。これはマツダのカタログの写真。

 僕はとにかく毎日同じ時間に同じ場所に通うというのが嫌いでして、高校生の頃から自由に学校に行ったり帰ったりしていたのですが(笑)、クリエイティブ職とはいえ、当然サラリーマンである以上、毎日同じ時間に通勤しないといけないわけです。それがまずめちゃくちゃ苦痛で、入社してすぐからずっと、仕事は好きだけど会社は辞めたいと思っていました(当時の方々には申し訳ないです、、、でも、会社とか会社の人も好きでしたよ)それはさておき、ここで1年間、レタッチャーとして色々教わりながら仕事をして、技術を上げていきました。父の繋がりとかで仕事をいただいてやったり、あとは個人的に受けた仕事も時間外でやったりしていました。この一年で大分、レタッチは鍛えてもらいました。
 入社半年後くらいから、フォトグラファーの方から言われて撮影のアシスタントをしたり、その人の代わりに、母体の会社から降ってくるブツ撮影や、外の雑誌の仕事などを僕が撮ったりしていました。当初は忙しいし、結構イヤイヤだったんですが(笑)、段々と撮影が楽しくなってきてしまって、どんどんそっちがやりたくなっていきました。結局1年ちょっといて、一回大きく身体を壊してしまったタイミングで、会社を退社。この時は、ストレスと忙しさで結構な風邪を引いてしまい、一週間以上寝込みました。その時に父の友人のフォトグラファーの方が以前言っていた「好きなことなら、それを選んで死んでも後悔はない」という言葉を思い出して、写真をすることでもし死んでしまっても、それは悪くないのではないかと心から思って、辞める決心をしました。独立する前はやはり大丈夫か心配で悩んだし、結構会社の方々には引き止めてもらったんですが、やっぱりサラリーマンは向いてないという思いと、撮影をメインに自分の力でやってみたいという気持ちが強かったことが大きかったなと思います。

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↑車の広告の合成背景版としての写真撮影も社長を中心に行っていました。
これは僕が撮らせてもらったやつ。
車はアタリ用に社長のゲレンデを入れてもらってます(笑)

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↑雑誌の切り抜き用の写真とかも、会社の仕事で撮っていました。
めっちゃ時間かかった思い出がある。

 当時、僕は母と都内で暮らしていたのですが(父は九十九里に家を買ってそっちに住んでいたので)、辞めると言ったら絶対に反対されるから、当日まで何も言わずにいて、もう会社に行かなくていい日に伝えたら、めっちゃ怒られました(笑)でも、どうしても辞めたかったので、そういう手段で辞めました。もちろん、会社の方には1.5ヶ月くらい前には言っていたと思います。引き継ぎもあったので(当時、WEB関係も僕が触れたこともあり、そういう仕事もちょこっとやっており、そういうのも引き継いだ気がします)
 晴れてフリーランスになったわけですが、当然会社からのお仕事の依頼などは一切ありません。当時、25歳手前。今と違って、普通はまだアシスタントとかで下積みするのが当たり前の時代だったので、同い年でフリーの人とかほぼいない状況でした。当然、そのままでは飢え死にしてしまうので、とりあえず夜、TSUTAYA西五反田店でバイトしながら、昼は仕事を探したり、テストシュートしたり、営業ツールを作ったり。当時はまだSNSで一番盛んだったのがmixiだったので、そこの掲示板とか、ネットの告知とかでフォトグラファーの募集を探しては、応募する毎日でした。当時いただいてたお仕事は、父の手伝いのレタッチの仕事がたまーにあったり、あとはmixiで見つけたフリーペーパーの撮影とか、ウェディングの派遣の撮影とか(椿山荘とかでウェディング撮っていました)、ホスト雑誌の撮影とか、カタログやweb用に商品をひたすら撮る仕事とか、本当に何でもやっていましたね。。。撮影から納品までで1万円くらいの単価でした。レタッチがいらないお仕事も多く、それが逆に修行になると思って行っていました(そんな意識でやるな、と怒られそうですが、だからこそ毎回真剣に撮っていました)。もし2万円/日で、かつ数日にわたっていたら、めちゃくちゃお金の良い仕事だ、と思っていました。ちなみに、最低金額は3000円で交通費込みでした(笑)
 お金的にも体力的にも精神的にも、割ときつい時期でしたが、それでも自分で選んでやっているんだという自負と、自由に生きられることへの解放感に支えられていたと思います。それと、自分自身がチャレンジングな状況が好き、というのもあったとは思います。ツタヤの夜のバイトには、同じように何かを目指すクリエイティブ系の人も多くて、夜勤明けに飲みに行ったりしてました。青春ですね〜(笑)その時一緒だったヘアメイクさんとは、今でもたまにご一緒したりします。
 その後、段々と2万円のお仕事が増え、3万、5万のお仕事も本当にポツポツ依頼いただくようになっていきました。思うに、スタートの段階まで来る人って、たくさんいます。写真でも映像でもそうですが、いまは昔よりも格段に多いです。当時の知り合いでも、アシスタントしていた子とかたくさん独立しましたし、既に30代で同じような仕事をしていた人もたくさんいました(カタログの現場とかだと、複数のフォトグラファーが一気に撮影するのですが、大体僕が最年少でした)。そして、その中で少し高い金額の仕事をもらえるようになれる人と、なれない人がいました。この差は何なのか。それを下記でまとめてみたいと思います。

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↑フリーペーパーのお仕事で佐藤琢磨さんをインタビューして、その後ご飯も一緒に食べさせてもらったのは、めっちゃ嬉しかったな。

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↑birdのディレクターである屋敷さんとは、この頃に犬猫のオークションの撮影で出会う。半日-1日で1万円。一緒にやっていた人達がいい人すぎて楽しかったし、こうして今も一緒に仕事をしているという奇跡。

<ここまでのポイント>

1. わかりやすい「売り」があること

 僕の場合は、レタッチというのがこの段階では相当武器になりました。正直、撮影技術としては当時の自分は全然でしたし、スタジオのアシスタントとかもしてなかったので、色々と知らないことだらけでした。ただ、他のフォトグラファーよりも遥かにレタッチが上手かったので、それが圧倒的な武器として売りになっていたと思います。現像やレタッチに特化しているフォトグラファーが今のように多くなかったんですよね。だから、売りになっていました。
 まずは、誰かが自分のことを他者に紹介するときに、なんて紹介してもらえるかを考えましょう。例えば当時の僕なら、「レタッチの技術がすごい、若いカメラマン」というような紹介のされ方になると思います。この「紹介のされ方」を先に考えることで、自分の技術や属性の中で売りになるところのポイントを掴んでいきましょう。そこで他者よりも抜きん出ていれば、仕事に必ず繋がっていきます。
 ポイントは、同じカテゴリー(フォトグラファー、デザイナーetc)のなかで、自分の売りがTOPである必要はない、ということです。同じ価格帯の人の中で頭ひとつ抜けているだけで十分です。ここで誰よりもすごいものを求めると、自滅します(笑)また、わかりやすい「売り」が有効なのって、意外に短期間かつ単価が低い仕事メインの時だけだったりします。短期間というのは、例えば上で書いてるように、現像やレタッチが得意なフォトグラファーって今はそんなに売りになりにくいんですよ、出来る人が多いから。ある時期だけ有効ってものは多いんですよね。タイミングの問題です。あと、高単価になってくると、わかりやすい売りは通用しなくなります。極端な話、レタッチ出来るフォトグラファーは広告写真の世界ではいらないわけです。レタッチャーがやるので(さらに、皆それなりにレタッチも出来たりするのが現実で、さらに厳しいわけです)。高い値段でお仕事を依頼していただける人たちの武器は、差別化ではなく独自性が大事な世界になるので、もっと複雑にいろんな要因が絡んでいます。つまり、この人しかいない!となる人になる必要があります。ですが、この段階ではまだそこまでの要素は必要ないと思います。

2. 社会性、社交性を身につける

 正直な話、単価が低い場合、それをやる人は誰でもいいという場合が多いです。。これは悲しいことだけど、事実だったり。もちろん、その中でも上手い人に頼みたい!ってみんな思っているわけですが、実はそれ以上に「一緒に仕事をして楽しい人/楽な人がいい!」と思っているわけです。その要素を分解すると、
「人当たりの良さ」「現場で一所懸命」「文句や愚痴、失礼なことを言わない」「連絡とお金のやりとりがしっかりしてる」
というようなことになります。極端な話、撮影技術はそこそこでも、これらをしっかりと守ってできれば、仕事に困ることはほぼありません。ましてや若い人なら、これが出来るだけで褒められます(笑)会社時代の先輩フォトグラファーは、技術というよりもコミュニケーション技術がすごく長けている人でした。現場で決定権を持つ人を素早く見極めて、その人のOKを取りに行ったり、すごく目端が効く。その人の当時の撮影技術が高かったわけではないと思うのですが、コミュニケーション力は本当に高かったと思います。それを横目で見て、こういう風にしてコミュニケーションとれば、仕事は成立するんだな!というのを学べたのはラッキーでした。
 逆に言えば、こういう基本的なことを出来る人が少ないという話でもあったりします。特に、プライドを持ってると、それが邪魔して出来ないケースがよく見受けられます。なので、しっかりアシスタントとかして独立したのにこの価格帯のオファーしかない人は、この基本的な部分で引っかかっていることが大半ではないかと思います。そういう意味では、あんまり業界に染まってない人の方が素直でいいかも(?)しれませんね。

3. 人に見つけてもらうのではなく、人に出会う意識を持つ

 クリエイティブの人は、結構な確率で人見知りだったりコミュニケーション下手です。なので、良い作品を作って、それを誰かに見つけてもらう手法をとりがち。でも、よっぽど飛び抜けた作品でもない限り、人は見つけてくれません。だから、あらゆる手段を使って、人に出会いましょう。この出会うというのは、リアルに会うだけではなく、オンライン上での出会いも含みます。当時はオンラインから仕事になるケースはレアでしたが、今はオンラインの方が有利なケースも多いと思います。オンラインでも、単にSNSに作品を掲載してるだけでは、誰もみてくれません。よっぽどヒキがある写真や映像を作れれば別ですが(実力か戦略がないと目につきません)、そうでないのなら、積極的にオンラインでも「コミュニケーション」をとりましょう。僕自身、この頃に多くの人に出会いました。それこそ怪しい商売の人とかアンダーグラウンドの人から、超大金持ちや有名人まで。そこで得た経験が直接、あるいは間接的に自分の仕事を助けてくれたと思っています。
 一つ注意事項。ある場所で出会う努力をして、そこに居場所を作ったとします。仕事も仲間もできて、安住の地を得たわけです。そうなると、一定数の人が途端に他の人に会わなくなります。そうなると、その場所にずっと留まり続けることになってしまいます。もちろん、それが幸せな場合もあるので、それはそれで良いと思います。でも、今までみたケースだと、本当は満足してないけど、そこから抜けられない状況になってしまっている人も多いと感じています。そういう人は、意識してコミュニケーションの幅を出していき、自分の範囲外の人にあうと、すごく広がると思います。
 あとは、早い段階から自分の作品や仕事の実績はしっかりとまとめておいて、人に出会うチャンスではオフラインでもオンラインでもそれを開示していくべきです。そうして人からのフィードバックを目の当たりにしてブラッシュアップしないと、上手くならないです。間違っても、自分の作品を見せないことでミステリアスさを演出したりしないでください(笑)たまに、すごい実績のある方などでそういうのをあまり出さない人もいますが、あれはそういう実績や実力があるから通用するので、参考にしない方がいいかなと思います。

4. 作品を作ろう

 何を当たり前のことを、、、と思うかもしれませんが、これはとても大事です。仕事ではなく、自分でテストシュートをしたり、作品を作ったりすることはとても大事です。安定して仕事をもらえるようになると、1-2万円くらいでお願いしたいお仕事って実はめちゃくちゃ世の中にあるので、めちゃくちゃ忙しくなります。そうなると仕事に忙殺されて、作品作りをしなくなってしまいます。ですが、当然ながらこの価格帯の仕事の中で、自分の作風が出せて、かつ実績として出していけるようなものはあまり多くありません。そうなると、自分の作風や武器を知ってもらう機会が作れませんし、何より自分自身のクリエイティブへの想いが風化していってしまいます。だから、ある程度お仕事をいただけるようになったら、それを少しセーブしてでも、作品を作り続けることが大事です。当然、自分の理想が高ければ納得のいく作品はなかなか作れないですし、リソースもないので上手くいかないことも多いと思います。それでも作り続けることで、クリエイティブ力を上げ、技術を磨き、自分の作風を人に知ってもらうしか、自分を目掛けて頼んでもらえる仕事が来るチャンスは訪れません。
 僕も実際に、たくさん作品を作っていますし、テストもしています。今も時間を見つけて続けています。仕事の合間を縫って作品を作って発表していくことしか、最終的にはクリエイティブにおける突破口はありません。厳しいかもしれませんが、これが楽しんで出来ないのであれば、クリエイティブどっぷりよりも、少し違う角度の仕事をした方が良いかもしれないです。例えば、クリエイティブ会社の営業とかPMとか広報とか。結局良いクリエイティブはチームで作るものなので、写真や映像にも携わっていけますし、作品を作っていくよりも仕事の手法の開発の方が大事な仕事だと思うので、そういうのがあってる人もいると思います。
 そんなの苦じゃないよ!って方は、ぜひどんどん前進していってください!僕自身は、実は作品は結構ゆっくり作りたい派なので、仕事の量が増えていくことに対してストレスに感じていた時期がありました。なので、今は自分で撮影しないケースでもクリエイティブに携わっていける仕組みを作って、バランスをとっています。自身が疲弊せずに長く作品と仕事を両方作っていける仕組みづくりについても後半では触れたいと思います。

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↑当時は色々と細かく展示に出したりもしてました。これはプロジェクションを使った作品。bird立ち上げメンバーである奥村さんの部屋で撮影していますw

 ということで、ここでまでが、フリーランス時代前半までの話でした。この後、イギリス留学、フリーランス後半、bird設立、会社としての現在に至るまでの話やポイントもあるのですが、それはまた次回書きたいと思います。
 もし、今後のキャリアに悩んでいる人にとって、役立つポイントが一つでも提供できていたら嬉しいです。




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