挑戦を続ければチャンスはやってくる【プペル渋谷ツアー奮闘記2】
えんとつ町のプペル渋谷フリーツアー奮闘記1ではえんとつ町のプペル渋谷フリーツアーをなぜつくろうと思ったのかをメインでお伝えしましたが、今回はどのように本格的につくることになったかをお話していこうと思います。
西野亮廣さんとの出会い
僕が西野亮廣さんの影響を受け始めたのは2016年8月に発売された『魔法のコンパス 道なき道の歩き方』という本との出会いがきっかけです。
キングコングの西野さん自体はもちろん知っていましたが、僕自身も大学生になってからはテレビを見なくなってしまっていたのと西野さん自体テレビに出なくなっていたので、何をしているのか知らなかったし、正直に言うと存在自体を忘れていました。
なぜ僕がこの本を手に取ったのか覚えていませんが、この本を読み始めた瞬間に「西野さんってこんなに面白い人だったの?!」と寝るのを忘れて明け方まで読み込んだのははっきりと覚えています。お笑い的な面白さはもちろんですが、それ以上にビジネス的な面白さが衝撃的でした。ちょうど僕が法人を設立する直前のことだったので、余計に興奮したのだと思います。
この本と出会った翌年には西野さんのオンラインサロンにも入りました。
西野さんからとことん吸収する日々
そこから西野さんのサロン記事や著書を読み、出演している番組は確認しました。西野さんの考え方やビジネスモデルを個人はもちろん会社にも取り入れました。
「西野さんと仕事がしたいけど、今無理矢理行くのではなく少しでも貢献できるように今は力をつけよう」
そんなことを考えながら会社を大きくしていきました。
どんなことがきっかけでチャンスが舞い込むがわからないので、オンラインサロンの中で何度か「えんとつ町のプペルツアーを作りたいです」と書き込んだりするなどジャブを打ちながらチャンスを伺う日々を送ります。
思いがけないチャンス到来
そんなことを考えながら月日は流れてきましたが、突然予想外のところからチャンスはやってきました。僕の会社は2019年12月にオープンした渋谷の商業ビル「フクラス(東急プラザ)」1階にある観光案内所「shibuya-san」とオープン直後からコラボレーションで外国人向けのツアーをつくってきました。お互いにインバウンド向けのサービスを提供している会社同志ずっと協力してやってきたんですね。
ただ、このnoteでも何度もお伝えしている通り、新型コロナウイルスの影響で2020年4月にはインバウンドは前年比99.9%減になるなど壊滅的な状況でした。
そんな中で夏頃にshibuya-sanの責任者のお二人と会議をしました。JTBコミュニケーションデザインの滝川さんとワン・ステップの石川さんです。
インバウンドがいない中で、どのようにshibuya-sanを盛り上げられるかという会議でした。
僕はすぐさま「えんとつ町のプペルの映画が12月に公開されるので、えんとつ町のプペル展をやりませんか」と提案しました。
えんとつ町のモデルである渋谷にある施設だからこそ、渋谷えんとつ町のプペル展は盛り上がると思いましたし、えんとつ町のプペル展ができればプペルツアーをつくることもできると考えたからです。何よりえんとつ町のプペル(西野さん)にはコアなファンが付いています。外国人が集まらない中で日本人の人たちに足を運んでもらうことができる。
滝川さんは最初ビジネスマン(または絵本作家)としての西野さんのこともえんとつ町のプペルのこともほとんど知りませんでしたが、奇跡的にもう一人の現場を仕切っている石川さんも西野さんのサロンメンバーで、えんとつ町のプペル展をやりたいと考え既に動き出していたそうです。さらに奇跡だったのは石川さんが元吉本興行で働いていたということです。
最初西野さんのことをあまり知らなかった滝川さんもそこからすぐに西野さんのすごさを理解し、信じられないスピードで企画は進んでいきます。
僕はただやりたいことを口にしていただけで、実際には仕事のできるshibuya-sanのお二人が企画を進めてくださり(たくさんの苦労があったそうです)、えんとつ町のプペル展が決まり、その関連企画として「えんとつ町のプペル渋谷フリーツアー」をできることが10月頃に決まりました。
そこからえんとつ町のプペルの調査やスポット選び、台本づくりなど具体的なツアー作りが進んでいきました。
プペルツアーができたのは運?
僕はよく周りの人から運がいいと言われますし、僕自身もそう思います。
ただ、運と片付けてしまうと再現性がないので、改めて今回もなぜ自分のやりたい企画が実現したかを考えてみると、大きく二つの要因がありました。「挑戦を続けてきた歴史とそこから生まれる信頼」と「仕事できる人たちが周りにいた」こと。
僕はずっと様々な挑戦を続けてきました。
今回のつながりでいうと、長年渋谷で外国人を案内してきた実績があったからこそ、shibuya-sanがオープンする前から声をかけて頂き、新型コロナで苦しい中でも様々な挑戦をともにしてきました。それによってshibuya-sanの人々からある程度の信頼を得ていたのだと思います。
信頼を得ていたからこそ、やりたい企画も全力で応援して頂けて実現した。
改めて人から信頼してもらうことの重要性を感じています。
もう一つ大きかったのは先輩方にこんな言い方は失礼かもしれませんが、shibuya-sanのお二人が仕事ができる方々だったこと。
やりたい企画があったとしてもそれを実現するのは簡単ではありません。
今回で言うと大きな組織がたくさん関わっているので、調整もとても大変だったはずです。そんな中でもお二人を中心に進めてくださったからこそ、「えんとつ町のプペル展」が実現し、プペルツアーも実現しました。
こういう方々が周りにいたのは運とも言えますが、挑戦してきたからこそ周りにいたとも言えます。
とにかく、えんとつ町のプペル渋谷フリーツアーが現実的になった瞬間でした。
『えんとつ町のプペル渋谷フリーツアー奮闘記3』へつづく
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