人を出身国でまとめて評価することについて
こんにちは!ハロウィンが終わりいかがお過ごしでしょうか?
僕は🇺🇸アメリカ、シリコンバレーに住んでいるのですが、こちらでもハロウィンがあり、可愛い子供たちが「トリックオワトリートー」って言って歩いていました。
さてさて、今回は少しディープな話題でnoteを書いていきたいと思います。
みなさんは今まで生きてきた中で自分とは違うアイデンティティを持つ方と話したり、行動を共にしたことはあるでしょうか。例えば・・・同じ大学の留学生と一緒にご飯食べにいったとか。ホームステイをしたりとか。
きっとその中で自分と違う価値観に戸惑いを持つことも多くないはずです。俗に言うカルチャーショックと言われるやつですね。
そして今回はそれをもう少し掘り下げて
"人を出身国でまとめて評価することについて"
について考えていきたいと思います。
最初に僕の立場を述べると、僕は、
「その人がどこの出身であれ、その人はその人のパーソナリティがあり、それはその人の出身国でひとくくりにして評価することはできない。」
という考えを持っています。(もちろんこれは議論の余地があるはずで、反対の人もいてもいいと思う。)
もう少し噛み砕いて言うと、例えば僕がめちゃくちゃまじめに勉強して、授業にも遅れず欠席せずちゃんと出席し、テストもいい点を取る生徒だとしましょう。そして、これに対して他の国の方が「日本人ってまじめで、時間守ってさすがだよな。」なんて言ったりします。
そうなると僕は、おいちょっとまった!っとなるわけです。
それは日本人だからではなくて、"僕だからできてること"なんです。
もう一つ例を出しますね。
例えば僕がディスカッションで声を出せずに、うんうんうんうんってずっと言ってるとします。そうすると彼らは、「日本人ってシャイだよな。なんで自分の意見ズバズバ言わないんだよ。」なんて言ったりします。
そうなるとすかさず僕が、おいちょっとまったまった!っとなるわけです笑
これも日本人だからじゃなくて、"僕だからシャイで、意見を出せないんですよね。」
こういったように僕は、なにか素晴らしいことを達成したときや、逆に悪いことをしてしまったときにその人をその国の人だからという風にいってしまうことに対して抵抗感があります。
繰り返しになりますが、それはその人のパーソナリティの問題であって、その人が所属している国の一人だからという問題ではないということです。
いろいろ議論の余地はあると思いますが、どこからその国のイメージが生まれるのでしょうか。
①ニュースや報道番組でその国を誇張しながら迷惑行為を報道から
②教科書などの情報から
③映画や音楽などのエンターテイメントから
他にもあるとは思いますが、これらの要因が大きいのではないかと思います。一回染み付いた固定概念というものはなかなか離れてくれなくて、それが正しいって思い込んじゃうんですよね。そしてそれが、今回僕が話している人をお国柄で判断することに繋がると思います。
もちろんお国柄で、その国の人がある性格、行動を取りやすいというのも事実です。アジア人は数学が得意と言われますし、インド人は踊りたがりと言われます。韓国人は辛いのが好きと言われ、日本人はみんな忍法を使えると言われます。(言われない)
ですが!!!!
僕は日本人だけど数学得意じゃないです!!!
インド人の友達はシャイでシャルウィーダンスしてくれないです!!!
韓国人の友達、キムチ食えないです!!!
僕、忍法使えないです!!!!!!!
このように、その国の概念でとは違う人もいるのが現実です。
ということは、お国柄で括ってしまうのは必ずしも正しいとは言えないということです!!
最後に
みなさん、他の国の自分と違うアイデンティティを持った方について話すときに、その国だからとか、その人種だからとか言うのをやめませんか?
その人がそういう人っていうのは、その人だからなんです。
インド人だからカレーが好きなんじゃないです。彼だからカレーが好きなんです。
日本人だから寿司が好きじゃないんです。彼女だから寿司が好きなんです。
その人のパーソナリティにもっともっと着目しましょうよ。そうしたら見えてくる世界って絶対変わってきますよ。
違う文化に接するっていうことはとても面白いことなのですが、とても怖いと感じる人もいます。
ですが、それ以前に一人の人としてみてあげればお互いを知ることのできるいい機会になることは間違いないです。
最後の最後に、僕の中で最近めちゃくちゃアツいアーティストをお届けします。最後まで読んでいただいてありがとうございました!
是非みなさんの意見をコメントに書いていただけると幸いです!
ブルーハーツで青空
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