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「社会起業家とビジネス倫理」の発表を聞いての考察

前回記事で、「日本におけるソーシャルビジネスの非営利セクターへの功罪」について触れました。

先の2021年6月19日、20日で行われたNPO学会の年次大会において、
「Social Entrepreneurship and Business Ethic(社会起業家とビジネス倫理)」という洋書の概要とそれに基づく考察が発表されました。

こちらの図は、学会で発表された小池達也氏(一般社団法人よだか総合研究所、理事)が作成したものです。(掲載にあたって本人の許可を得ています。)

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この中でも、特にA(市場化・収益化・の追求によって本来の目的を失う。)、B(事業規模の拡大は新自由主義の影響を強く受ける)、C(脱商品化が進まず、スタッフや組織が疲弊する)、D(ヒーロー化したリーダーに依存し、非民主的になる)が非常に共感性も高かったのでそこを中心に紹介させてもらいつつ、私自身の考えも書いていきます。

A.市場化・収益化の追求によって本来の目的を失う

そもそも、NPOが追求する多様な価値と、収益化は両立するのか。市場で解決できないものを、市場的手段で解決するというのは矛盾ではないのか。お金が足らないために、目的を見失うのではないか。

と紹介されていました。先の記事でも書きましたがソーシャルビジネスだけでは解決できない問題が社会にはあります。ソーシャルビジネスの風潮が強くなりすぎたことでNPOも収益化すべきという論調が強くなりすぎることで、収益化できない問題が見過ごされたり、活動が多岐にわたり、複雑化・不安定化したり、ミッションドリフト(組織の資源や活動が、ミッションとは関係のないことに当てられてしまうこと)が起こりやすくなるなどがあります。

補助金や助成金などを審査する側がソーシャルビジネスを求めすぎれば、無理な申請を書かなければならない場合もあります。そしてそれによって資金は得たとしても、団体への負荷は当然高くなりますし、地域に対して、負の影響が出る場合もあります。これは真に気をつけなければならないことだなと思っています。現在休眠預金などでソーシャルセクターに資金が流れるように少しずつなっていますが、ロジックモデルなどを求められます。事業の評価方法はロジックモデルだけではなく、150以上はあるのに、日本ではロジックモデルばかりが注目されるのはいかがなものかと思います。

B.事業規模の拡大は新自由主義の影響を強く受ける

多くの資金提供者や支援組織によって、規模の拡大(スケーリング)が無批判に促進されている。新自由主 義の影響を受けずにスケーリングすることは困難であり、本質的な価値を毀損しているのではないか。

資金調達するとき、助成金を書くとき、寄付者に説明をする、右肩上がりの事業計画書、インパクトの右肩上がりを常に求められるということは私も経験してきました。定常型の社会で、ある一定の範囲で、継続して価値を出していくために右肩上がりである必要はないのに、です。その結果、規模を拡大する必要性が出てきて、無理が生じる。また規模の拡大の論理になると新自由主義、資本主義の論理にNPOの活動も則っていく必要があるのでAの問題につながるとなります。またスケールの拡大のためには標準化が求められます。A町でやったのだからB町でも同じような成果を出すことが求められます。マニュアル化、標準化していく必要があり、効率化は促されますが、偶発性、イノベーションは起きづらくなる傾向があります。行政では手の届かない、多様化した問題に、カスタマイズしながら対応できるのがNPOのいいところなのに、その可能性が少なくなってしまうのは非常に問題だとも思います。(一方で行政側からすれば、費用対効果を求められるので必ず成果を出してもらわないと困るというのもわかります)

C.脱商品化が進まず、スタッフや組織が疲弊する

社会構造を変えない限り(=脱商品化が進まない限り)、社会的起業は「無理ゲー」でしかないのではない か。この分野は、普通のことを普通にやれない状況に置かれているのではないか。

これは少しこのままだとわかりづらいのですが、小池さんの発表をまとめると、
・NPOのビジネス志向が、公共の撤退を促進してしまう。
→NPOが社会課題解決のイノベーションに成功すると、政府は自分たちがやらないでも良くなるので、その問題から撤退する。その場合、結果的にはNPOは行政の「安価な外注先」に位置付けられる。(だから疲弊する。)

・イノベーションが自己目的化し、組織が疲弊する。
→多くの民間資金や支援プロジェクトが、革新的なプロジェクトのみを対象する。そして短期的な成果を求めるので、NPOのプロジェクトは短命のものが多い。その結果財源が不安定でスタッフの育成が不十分、組織の持続可能性が高まらなくなる。(だから疲弊する)

・リーダー、スタッフ、その家族の人生を犠牲にする。
強い使命感を生きるNPOリーダーやスタッフは低賃金・長時間労働で、高い給料を要求することを不道徳とさえ感じる傾向にある。中長期的に本人の健康や家族の生活、子どもの教育などに悪影響を及ぼす可能性がある。(だから中長期的にも疲弊していく)

3番目は少しずつ変わってきていますが、NPO=ボランティア=聖人君主みたいに見られるのは確かに味わってきました。だからって稼げるNPO(ソーシャルビジネスで)になるを目指すのではないはずです。助成金や補助金、行政委託や寄付金などで適正に評価され、持続可能に活動できる人件費が出されるようになることが大切です。(往々にして、時給換算させられ、安くさせられる傾向があるのも事実)

D.ヒーロー化したリーダーに依存し、非民主的になる

自己実現や承認欲求などの野心のために、NPOや社会的起業に参入するリーダーが少なくない。結果的に 当事者が手段化される。リーダーがヒーロー化し、組織内外の⺠主主義・自治が機能しないのではないか。

今までのものは実感値としてもわかるものだったのですが、こちらは、「なるほど」と思いました。NPOのリーダーとしてある一定の成功を収めるとヒーロー化していく(自意識過剰になる)場合があり、その成功バイアスによって、他の社会的手段を軽視する場合にがあり、支援者が社会変革に参加するというより大きな主体性を奪っている可能性があります。また、成功バイアスが強くなることで、組織学習が深刻に困難な状況に陥る場合があります。
ここは私の研究領域である政策起業家にもかなり関連が深いのでそのまま引用します。

【個人裁量型意思決定公共政策との組合せによる弊害】
革新的なソリューションを普及させたいビジネス志向NPOは政策起業家として 活動し、首⻑・中央官庁・国会議員などの裁量権を持った個人にアプローチ して事業を政策化する。このプロセスにおいて、民主的な社会運動・ネットワーク・連携・検討・審議が必要でないため、様々な問題が生じる。

こちらはNPOの倫理、政策起業かの倫理の話に通じるので、別記事で詳しく書きたいと思います。

それ以外は簡単にご紹介しますが非常に重要な点だと思いました。

E.社会的起業という正しさのもたらす弊害

社会的起業/社会課題を解決する事業という正しさ(使命感)にとらわれて、害が目隠しされているので はないか。使命感の影で、犠牲になっているものはないか。
・「手段としての”NPOのビジネス志向”」の理解不足
・社会的使命のネガティブな影響
・社会的使命による盲点(目隠し)の拡大

NPOが万能でもなければ社会起業やソーシャルビジネスが万能なわけではない。もちろん全ての事柄には正のインパクトと負のインパクトがあるわけなのでそこを冷静に見定められると良いかなと思います。

F. 市⺠社会の分断という問題

社会的起業は市⺠社会を分断させるために使われてきたのではないか。NPOという語は市⺠社会と親和性 があるが、ソーシャルビジネスにはない。
・新自由主義的な政府と社会起業が共振する
・社会的起業以外の手段が教えられていない
・境界線を曖昧にして、広い視野を持つべき

こちらは非常に難しいですね。日本の中に市民社会というものがどのように存在し、育まれているのかというのはわからない部分も多いです。

一方でNPOがソーシャルビジネスを行うことで「専門化していく」というのは避けられないことでもあるので、そうすると市民との間に乖離が生まれるというのもその通りだと思います。

G. 批判的視点の欠如という問題

NPOには、そもそも両義性(良い面と悪い面)があるという認識がなかったことが問題で、この認識を基 に今後の議論をすべきではないか。成功事例ばかりが語られ、失敗については語られてこなかった。失敗事例の分析がもっと行われるべきではないか。
・成功バイアスは、失敗から得るべき学びを失わせる
・無限の進歩ではなく、「開かれた発展」として認識すべき

何を持って失敗と定義するのか?は非常に難しいです。これは成功を定義することが難しいのと同じですが。

売上目標を達成すれば成功という世界ではなくて、
どれだけ困っている人を救えたか?
困っている人が生み出される構造を変えたか?
その結果、他のところに負の影響が大きく出てないか?
短中長期で見てどうか?
などを考えていくと、どれを成功とし、どれを失敗とするかは非常に難しい問題ですよね。
ここについてはもっと議論を深めていくことが大切かなと思います。

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