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任天堂を目指す男

このシリーズの記念すべき第1回目は、僕が最も尊敬する友人の1人に登場していただこうと思う。掲げた夢に向かって彼ほど一直線に着々と進んでいる人物はそうそういないという意味で強く尊敬している。

彼と初めて会ったのは小6の下校途中だった。初めて交わした会話の内容まではっきりと覚えている。

我「森って英語でなんていうの??」

は?である。僕に突然話しかけられた当時の彼も皆さんと同じような顔をしていた。

任「......フォレストだよ。」

我「ありがとう!」

彼はいわゆる帰国子女で小学校5年生の時にアメリカから日本に戻ってきていた(だからと言っていきなりフォレストはないだろというご指摘はもっともである)。

それを最後に小学校の間は話すこともなかったが、彼と僕は中学校受験の末同じ中高一貫校に通うことになる。彼とは実家が徒歩3分だったことや、部活動が同じだったこともあり、中高6年間はかなりの時間を一緒に過ごしていたと思う。

アメリカにいた頃からそうだったのかは定かではないが、彼はゲームが大好きで、とりわけ任天堂への愛で溢れていた。任天堂が好きすぎて、当時任天堂の社長であった(故)岩田聡さんが話すだけの配信の様子を興奮気味に伝えて来る様子には友達ながらに少し引いたのを覚えている。

そして高校に入り大学受験をする頃には、こう宣言していた

『自分は任天堂に入ってゲームに携わる仕事をする』

彼のその宣言に触発される形で、初めて自分が将来何をしたいのかを考えはじめ、「環境問題をマルッと解決するようなすごい発明に携わる」というなんともフワッとした夢を掲げるわけだが、ひとまず今のところは自分も当初の目標から大きくずれることなく進めている。将来に対して考えるきっかけがあのタイミングでなかったとしたら自分の大学選びや受験の結果は悲惨だっただろうと思うので、その点でも彼には大いに感謝している。


大学受験で彼は第一志望の大学には本当に惜しくも落ちてしまうのだが、後期試験で見事に国立大学に合格して見せた。さらに、大学3年生にして院への飛び級を決めた。大学では研究を続ける傍らゲームアプリの開発を既に仲間内で進めておりapp storeにもリリースされている。                                   (少し自慢させて欲しい。彼が作った初めてのゲームをプレイしたのは自分である。確かブロック崩しのようなものであった。彼が有名になったときのために書いておくことにする)

時間が正しく動いていれば僕は、飛び級したはずの彼より一年先に社会人になっていなければおかしいのだが、神様のイタズラによって現在彼と共に就職活動中だ。

もちろん彼の第一志望は任天堂。

先日久しぶりに話したところ、順調に選考のフローを進んでいるようでこちらまで嬉しくなった。

僕に将来について考えるきっかけをくれた男に、感謝と無事に夢へのステップを次へと進むことを心から願っているということを伝えて、このシリーズの第一回を締め括りたいと思う。


最後までご覧いただきありがとうございました。

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