「いい人」を演じる


僕は自分のことを「いい人だなぁ」だと思ったことは一度もない。性格もよくないし、100%の善意で他人に何かしてあげるということも少ない。だけど明確に「みんなから好かれたい」というマインドは物心ついた時からずっと持っている。

長年の経験から僕は周りから好かれるにはいい人を演じるしか方法はないという結論に至った。
今回はそんなめんどくさい性の僕なりの世渡り術について書いていきたいと思う。


1. 根っこにある「嫌われたくない」精神

冒頭でみんなから好かれたいと書いたが、性格には「嫌われたくない」の方が近いかもしれない。僕は人とのコミュニケーションの中で無意識のうちに、相手が怒らないようにや機嫌を損ねないように接してしまうということを中学生の頃くらいに自覚した。

例えば僕の一言によって相手が怒って口喧嘩が始まってしまうとする。そうなるとどんな相手でもなんだか勝てる気がしなくなってしまい、喧嘩そのものが面倒くさくなってしまう。


母親や姉からは「あんたって面倒くさいことからすぐ顔を背けるよね。ちゃんと向き合いなさい」と何度も言われた記憶がある。

ただ単に平和に生きていたいだけなのに何故わざわざお互いの主張をぶつけ合わないといけないのだろうとその時は思っていた。嫌われるくらいなら自分の心にしまっておこう。これが僕のスタンスだった。

良くも悪くも空気を読んだ振る舞いを続けていると、一見は人当たりの良い雰囲気を醸し出すことはできる。周りからは「いい奴」というみられ方はするものの、自分の本心はなかなかさらけ出すことができない。

それゆえ自信を持って親友と呼べる人はおらず、広く浅い交友関係になってしまっていた。お互いのことはなんでも知っているという親友ような関係の人をみると羨ましく思っていた。

しかし大学に入り、ある出会いが僕の価値観を大きく変えた。


2. 僕を救ってくれた6人の恩人たち

大学に入学した直後、僕は同じ学部のサッカー部の同期と行動を共にしていた。
そいつは明るく、コミュニケーション能力も長けているいわゆる「人気者」タイプだった。ある日、その同期のコミュニティについて行ったことがある。いわゆる金魚のフンである。

その時に僕の価値観を大きく変えた6人と出会う

大学1年生の頃はその6人と大学内ではほとんど一緒にいたと思う。一緒の授業を受け、空きコマは何処かへ出かけたりと、とにかく仲が良かった。
しかしそんな中、僕は勝手に疎外感を感じていた。

「もともと同じコミュニティではない僕がここにいていいのだろうか」

出ました自意識過剰、ネガティブ心配性、嫌われたくない精神の塊、どうしようもない男である。そのせいで出かけるところはみんなに決めてもらい、自ら話題の中心になるようなことをすることもなかった。

そんな中、僕の誕生日の時期に誕生日会を開いてくれた事があった。その会で僕は意を決して自分の想いをみんなに伝えた。するとみんなの反応は

「全然意識した事なかった。普通に友達じゃん。別にそんなこと思わなくて大丈夫だから」

となんともあっさりしたものだったのである。

僕はこれまで自分自身で感じていた想いのしょうもなさにその時気が付いた。
と同時にみんなの前で「いい奴」を演じなくても大丈夫なんだという安心感を覚えた。


3. それでも「いい奴」をやめなかった理由

僕はその誕生日会をきっかけに6人の前で自分をさらけ出せるようになったかと言われると答えはNOである。

だが、これまでといい人を演じる理由が大きく変わった。
今までは嫌われないようにとか、相手の様子を伺いながら自分を殺して好かれるために演じてきた。

それからは「どんな自分が相手にとって一番喜ばれるだろうか」という視点でコミュニケーションを取るようになった。
これまで自分視点で考えていたことを相手視点に変えたのだ。

これまで自分を押し殺して無理矢理にいい奴を演じていたのが、自分が選んでその人柄を演じるようになった。これはもう演じるではなくてほぼ素の自分である。

そのおかげでコミュニケーションを取るときに自分も楽になったし、新たな出会いはもちろん、これまで関わってきた人の新たな面も多く見られるようになり、人間関係も以前より豊かになった。


4. まとめ

僕のヒーロー的な存在で大好きな星野源の「さらしもの」という歌の歌詞に、

"滑稽なさらしものの歌
あたりみりゃ 一面のエキストラ
だけど君のその世界じゃ
僕も雇われたエキストラだっけ"

というのがある。
「ひとりひとりが人生という物語の主役である」
という言葉があるが、裏を返せば
「周りから見た自分はその人にとっての脇役である」ということである。

自分の人生を豊かにすることはもちろん重要だけれども、他人の人生にとって重要な役になれることも素敵だなと思うようになった。

一生付き合っていきたいと思わせてくれた6人の恩人たちには本当に感謝している。

これからも僕は「いい人」を演じ続けるだろう。
自分にとって、誰かにとって「いい人」でいられるよう、僕は今日も生活という舞台に立とうと思う。


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