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長良川ミドルトライアスロン102秋 2023

過去最高に嬉しかったレースでした。成績も最高。レース展開も最高。背景の物語も最高。2023年のトライアスロンシーズンを最高の形で締めくくれました。


【レース結果】

年代別(50-54歳)優勝。
これまで小さな大会での優勝はありましたがJTU(日本トライアスロン連合)の年間ランキング対象大会での優勝は初めてです。この優勝によって今年のJTU年間ランキング3位も確定しました。

【レース展開】

今回の各種目の順位は(50-54クラス)は、スイム3位、バイク2位、ラン6位で、トータルで1位でした。バイクが人生最速でした。

【目標】

去年のこの大会は怪我で途中棄権となってしまったので、今年の第一目標は完走。その次の目標は親友の石川さんに10分以上差を付けられずにゴールすること(それで年間ランキングで石川さんに抜かれない)。3番目の目標は石川さんに勝つこと。でした。石川さんに勝てば上位入賞も果たせるはずなので、3番目の目標はエイジ3位以内と同じです。
最初から最後まで石川さんだけを見ながらのレースでした。ちなみに石川さんは、スイムは(最近だいぶ速くなってきたけど)私よりは遅く、バイクは私より断然速く、ランは私よりちょっと遅い。くらいの感じです。

【スイム2000m】

スイムは、石川さんと隣に並んでスタート。
スタート直後に明らかに自分より速い2名の選手が飛び出しましたが、きっとスイム以外は遅い選手であとで必ず抜ける!大丈夫と自分に言い聞かせて、無理に追いかけずに自分のペースを維持して泳ぎました。
バトルに巻き込まれるとバランスを取るために脚に変な力が入り痙りそうな気配を感じてたので、多少最短コースから外れても泳ぎやすいコースを泳ぎながら、前のウエーブの選手を抜いていきました。1週回目を終えていったん陸に上がり、前を見ると同じウエーブ(同じキャップの色)の選手は思ったよりは近く安心しました。。。。が、自分の次に上がってきたのが石川さん。予定ではスイムで3〜4分の差を付けないと直ぐにバイクで抜かれてしまうのでちょっと焦りました。すれ違うときに「速すぎ😄!」と声をかけて2周回目に突入。

2週回目は選手もばらけていたので、泳ぎやすく、また、余裕もあったので少しペースを上げて泳ぎました。これで多少は石川さんとも差が付いたかなと思いながら2週回目を終了して、トランジットへ。
トランジットでウエットスーツを脱ごうとしてたら、直ぐ後ろに石川さんがもう来てました。あとで分かったのですが、スイムは50−54クラスでは私が3位で石川さんが4位だったので、決して私が遅かったのではなく石川さんがだいぶ速くなったのでした。でもその時はだいぶ焦りました。この差では、バイクで石川さんに抜かれるのは間違いありません。

【バイク80km】

トランジットで1分くらいは差を付けてバイクスタート。
石川さんに抜かれるのは時間の問題だけど、少しでも抜かれるのを遅らせること、を目先の目標にしました。
長良川のバイクコースは平坦直線コースなので、機材の差が大きく影響します。2倍の値段だから2倍速いと言うことはないですが、かなり違います。石川さんのバイクは私の2倍以上はしてます😅
ビジネスの実力(財力)もトライアスロンの実力の内😄
とにかく逃げられるだけ逃げて、差が少なければランで逆転できると信じて、後のことは考えず最初から飛ばしました。
1周目の折り返しで石川さんとの差を測ったら1分ちょっとの差でした。
これは2周目の往路で抜かれるなと思いながら、半周して後ろが見えるところまで来たけど、石川さんが見えない。真後ろ?と思って振り返っても誰もいない。目標を2周回目終了まで抜かれないこと!に変更して、漕ぐ。漕ぐ。漕ぐ。復路は追い風でスピードも40km/h以上になるので、補給もしながら一生懸命漕ぐ。。。気付けば2周回目も終了。まだ抜かれていない😲。また折り返して目視で計測。ちょっと差が広がっている。目標を3周回目終了まで抜かれないこと!に変更して、後でバテることなど考えず漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ。
トライアスロンも人生も、遠い目標だけだと、目標達成執念が薄れてしまうので、目先の小さな目標設定とそれの達成を積み重ねることが重要です。

コースの途中に大きな水たまりがあって、何人かそこで落車してるのを見てからは、水たまり付近は、ブレーキもハンドル操作もしなくてよいように、他の選手との位置関係を事前に調整しながら、進みました。
いつもなら何人もの選手に抜かれるバイクパートですが、早い段階でスイムで先行していた2名の50−54クラスの選手(ゼッケン番号が50xx)を抜いたけど、同じクラスの選手に抜かれたことを確認できませんでした。気付いていないだけで何人かには抜かれているのだろうと思いつつも、少なくとも石川さんには抜かれずに、最後の8周回目に突入。
ここまで来れば抜かれても差は3分以内だろうし、それなら十分にランで逆転できると思ってちょっと気がラクになりました。ちょっと気と漕ぐ脚を緩めたら、もの凄い勢いで同じクラスの選手に抜かれていきました。あっ、と思ったけど、石川さんではない!無理には追わず自分のペースでバイクパート終了しトランジットへ。

【自分史上最速】

あとでリザルトを見て分かりましたが、私自身は過去最速でした。天気や風の影響があるのでタイムの比較はあまりあてになりませんが、順位は参考にできます。
バイクパートのタイムは、年代別2位でした。1位は最終周回でぶっちぎられた選手でした。そして、石川さんは3位でした。決して石川さんが遅かったわけではなく、私が速かったようです。

DHバーの幅や角度を変えたり、ケイデンスを大幅に変えたの影響もありますが、最大の要因は石川さんの存在でした。折り返しのたびに「あと半周だけ抜かれないように頑張ろう」と思い続けて、最初から力をセーブせずに力を出し切り、バイクパート過去最高タイム&順位につながりました。
バイク終了時点での通過順位は、私が2位、石川さんが3位でした。前の選手との差はその時点では分かりませんでしたが、抜けると信じてランをスタートしました。

【ラン20km】

ランに入ったときに、自分の前には最終周で抜かれた一人のみ(のはず)。ただ、どれくらいの差かはわかりません。今日の目標の石川さんは自分のちょっと後ろにいる。大失速さえしなければ石川さんに抜かれることは無い、と言い聞かせて、走り始めました。トライアスロンのランは、みんな限界を超えた状態なので、脚の痙攣や関節の激痛で走れなくなってしまうことが少なくありません。とにかく最後まで走り続けられることが重要です。

【追われる苦しさ】

ランは、4kmの5周回です。バイクでいつもよりかなり頑張った影響で、大腿四頭筋が痛みましたが、リズム良く走り始めることができて1周回目は4'40"/kmのペースで走れました。1周回目の折り返し後の目視計測で石川さんとの差は3分以上になり、少しペースを落として2周回目完了。

3周回目に入ったくらいから脚が動かなくなりました。苦しさも限界ギリギリな状態を維持してます。石川さんとはすれ違うたびに、ハイタッチしながら声を掛け合ってました。自分のペースが落ちていることは明確でしたが、石川さんもそれ以上にペースが落ちていたので、石川さんとの勝負という点では「もう力を緩めても大丈夫かな?」という悪魔のささやきが聞こえ始めてきました。

それをかき消すように聞こえてきたのは会場内のアナウンス「最激戦区の50代前半クラスは、2位でランスタートした柴田選手がトップに躍り出てゴールを目指しています。それを田島選手と大田選手が追いかける展開」。これを聞いて脳内の天使と悪魔のせめぎ合いで、少しだけ天使の「ガンバレ!」が大きくなって、ペースダウンをせずに粘りました。

しかし、4週目に入ると、脱水とエネルギー切れで、ペースがドンドン落ち始めました。MCの人は周回ごとの通過時間を見ながらアナウンスしてくれているのですが「50代前半クラスのトップ柴田選手が4周回目に入り、それを2名の選手が追いかけています。その差がどれくらいになっているか、ちょっと確認できませんが。。。」明らかに自分のペースが落ちていることは分かっていたので、ランの速い選手がいつも通りのペースで走っているとドンドン追い上げられているはず。

【限界突破】

もうダメかな。何てことを朦朧とする頭で考えていたときに、前方から、苦しそうな顔の石川さんが近づいてくるのが見えてきました。石川さんとの差は十分あることを確認して「もう大丈夫、力を緩めても石川さんには勝てるよ」との悪魔のささやきが、脳内の大勢を占めそうになった時に、石川さんに大きな声で「俊君!行ける!行けるよ!ガンバレ!」と言われ、我に返りました。悪魔に占領されそうだった脳内を天使が取り返して、ペースの低下に必死に抗いながら走り続けられました。

最終周の前半も、苦しさと痛みがピークに達していますが、その状態を維持し続けて前に進みます。
2位の選手にどれくらい迫られているのかわかりません。なぜ分からないの?と思われる方もいるかもしれませんが、トライアスロンはウエーブスタートで、年代毎にスタート時間がずれているし、周回の多いランコースの場合、周回遅れの人も多いし、ゼッケンを前に付けているので後ろからはゼッケンが見えません。そして、脱水、エネルギー枯渇、疲労困憊で、思考力も低下しているので、自分が争っている選手との差が分からなくなるのです。
そんな中でも今回は先頭を走っていたおかげで時々MCから状況のアナウンスがあって、状況が把握できていた方でした。最終周の折り返しを過ぎた後に、MCのアナウンスで「いよいよ50代前半の優勝者が間もなくゴールとなります。柴田選手がトップで最終周に入りましたが、追いかける田島選手との差がどれくらい縮まったのかは不明です。。。」って、周回ごとに迫られていることを認識し、最後の力を振り絞りペースが少し上がりました。4周回目で5'30"/kmくらいまで落ちてたペースは、残り1kmを切って5'00"/kmくらいまで戻りました。

そして、カーペットの敷かれたヴィクトリーロードに入り、後ろを振り返って直ぐ後ろには誰も選手がいないことを確認し、握った両手を頭上に掲げ、苦しさから解放される喜びと、1位でゴールできた喜びを噛みしめてゴールしました。

ゴールイメージ

あとで記録を見たら、2位の田島選手にはランで1分40秒追い上げられて、1分30秒差まで迫られていました。4時間44分のレースでたったの1分半の差、100m走に換算すると100分の4秒差です。途中で悪魔のささやきに従って失速していたら抜かれていた僅差です。

賞状

【勝てた理由】

悪魔のささやきを吹っ飛ばす激励をしてくれた石川さんは6位でゴール。ゴール後、倒れ込む石川さんを支えて救護テントに行き、しばらく休みながら二人で健闘をたたえ合いました。
本当に石川さんのおかげで勝てたレースでした。石川さんがバイクで1分くらい後ろでずっと追いかけてくれたおかげで「あと半周だけ追いつかれないように」と頑張れ、バイクで(私にしては)驚異的なタイムで走り切れました。ランでは、すれ違うたびに励まし合い、苦しい顔を見て勇気をもらい、最も重要なポイントで活を入れてもらえたので、ギリギリのところで気持ちを切らさずにゴールできました。
本当に嬉しい。。。結果と過程どちらも最高に嬉しいレースでした。

表彰式のあと

【年間ランキング3位確定】

このレースがJTU(日本トライアスロン連合)の年間ランキング対象の最終レースでした。今回の結果により、2023年の年間ランキング50-54クラスは、私の3位、石川さんの4位が確定しました。年間ランキング上位入賞は初めてです。来年8月、日本の3位と4位として、胸を張って世界選手権に行きたいと思います。
来年の世界選手権はオーストラリアです。これも運命を感じます。

【約束の地】

石川さんと私の出会いは、30年前のオーストラリアでした。
大手商社の駐在員としてオーストラリアに来た石川さんと、オーストラリアで3年ほどぷらぷらしながら起業したけど、ホームレスの人と真夜中に水族館の裏で、魚を釣ってタンパク質補給するくらいの自由で貧乏な生活をしていた私が出会いました。
当時のオーストラリアの駐在員は40代以上の人がほとんどで、独身で20代の石川さんは異色でした。たぶん、相当優秀だったのだと思いますが、そんなエリートが、怪しさ満載の私と仲良くしてくれたのは石川さんの器の広さを表していると思います。

20代の頃の二人(私の帰国前日)

仲良くなって、毎週末いっしょに遊んでいました。貧乏な私は、お腹が空くと石川さんの部屋に行って食べて飢えをしのいでました😅
その後、1年ほどで私は日本に帰りましたが、翌年私が結婚式をオーストラリアで挙げたときは、石川さんも駆け付けてくれました。
その後少しずつ付き合いが薄くなっていきましたが、5年くらい前に再会。
石川さんは商社を辞めて実業家となっていました。そして、お互いにトライアスロンを始めていたことを知りました。ビジネスで悩んだときこそ、仕事と関係の無い夢中になれるものが、心を救ってくれます。石川さんも何度か苦しいときがあっ たそうですが、そこで踏ん張り、更に成長して今では大きなビジネスをされています。
そんな二人が、年間ランキングで3位と4位に入り、オーストラリアで開催される世界選手権に日本のユニフォームを着て出ることになるとは、人生本当におもしろい。
20代の無茶苦茶していた二人が、その後二人とも経営者となり、経営者としての悩みや孤独を語り、励まし合うようになるとは夢にも思っていませんでした。さらには、50歳を越えてオッサンとなって、フラフラになりながら歯を食いしばって励まし合いながらトライアスロンをやっているとは、夢のまた夢のできごとです。
ビジネスでは大きく差を付けられていますが、トライアスロンでは今年は私が勝ちました。
これからもお互いに高め合いながら、終わらない青春時代を楽しんでいきたいと思います。
30年間を思い出し感慨深い「長良川ミドルトライアスロン102秋」でした。

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