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穏やかで奇麗な海

午前中、市内の銀行で色々と手続きをしていたとき、ふと見たスマホのFacebookで、震災によって行方不明になっている小学1年からの大親友の画像が流れてきて驚く。
現在の両親の想いが書かれていた週刊誌(web版)の記事だった。

なんだか彼に呼ばれた気がして、お昼を食べた後、妻と二人で、南三陸町志津川の被災した防災庁舎の献花台に白い花を手向け、手を合わせる。

彼は、一旦、会議で来ていた職場の同僚を避難させた後、防災担当だからと防災庁舎に向かったという。
昔から律儀で正義感が強かった。今でも彼が居なくなったことを信じられないし、信じたくない。

志津川は母の実家があったので、幼少の頃から、父の運転する車や、母と弟と気仙沼線に乗って何度も来た町。
祖母が入院していた公立病院や、よく遊びに行ったサンポートや松原公園、中学の時に陸上部の親友たちと出場したシーサイドマラソン大会など、思い出のある町。
あまり馴染みのない妻に思い出話をしながら、震災前の街の様子を語る。
僕の父は陸前高田の出身で、両親の実家の中間地点である宮城県気仙沼市で生まれた僕は、三陸沿岸一帯が故郷なんだと改めて思う。

震災発生時刻の14時46分は、志津川の袖浜で迎えた。
町の防災無線から黙祷を促すサイレンが鳴り響き、海に向かって夫婦で手を合わせた。
不思議と涙が溢れた。
悲しいとか、そんな感情ではなく、虚無感の中ただ涙が止まらない。なんとも言えない不思議な感情。

サイレンが止んでから、しばらくして僕の気持ちが少し落ち着き、辺りを見渡すと、まだ周りの人たちは、ずっと砂浜に立ち尽くし海に向かって手を合わせつづけていた。
それぞれ事情は違うだろうけど、静かで緩やかな時間の流れを共有できた気がした。

世界は美しい。 悲しみと涙に満ちてさえ。

今日の海も、とても穏やかで奇麗だった。



※アカウント変えようとしたけど、気が変わってこのアカウントでまた続けます(笑)

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