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コーシャクを垂れる侯爵(短編小説;4,000文字)

「キミ、ちょっと」
 それは、青果コーナーのヘルプに出ていたアタシが、ちょうどカートから舞茸を取り出して、ゴンドラ(陳列棚)に積み上げている時だった。
「それは舞茸マイタケだ」
「……はい、そうですが(って、そう書いてあるし……誰でも知ってるし)」
 そのお客様は、年齢は60がらみ、ブラウンチェックのジャケット、臙脂色のアスコットタイ、ウールの中折れ帽からはグレイの髪がのぞく。眼鏡は薄い銀縁で、とにかく知的な感じだ。
「その横にあるのはヒラタケだ。似ているが、異なる種類だ」
「……はあ」
 そりゃ、そうでしょ、同じなら区別なんかしない。
「舞茸とヒラタケの違いを知ってるかね?」
 今、忙しいんですけど、と言いたいが、ここはスーパー・らくだ、客商売だ。
「舞茸はカサの色が濃くって薄い感じ、ヒラタケは色が薄くてカサは分厚い ── ですかね?」
 紳士は悲しそうに首を振った。
「答えになってないな。舞茸はサルノコシカケ科マイタケ属、ヒラタケはヒラタケ科ヒラタケ属だ。『科』からして違うんだ。このヒラタケも、もとは『シメジ』の名前でとして売られていたんだ。それが今は……
 こりゃいかん、長くなりそう。
「そうなんですかあ! ありがとうございますう! では!」
 ちょうどマイタケを陳列し終えたところだったので、100%の作り笑いを浮かべながら、カートを押して下がった……やれやれ。
 バックヤードに戻ったアタシに、先輩バイトの優子さんが声をかけた。
歩美あゆみちゃん、運悪く《侯爵》に捕まっちゃったわね!」
「え、侯爵って?」
 でも、優子さんは忙しいらしく、ピーマンのカートを押して売り場に出て行った。

 この日はよほどついていないらしく、その後本職のレジに戻ったら、またこのオジサン ── 《侯爵》に遭遇した。
「これさあ ──」
 《侯爵》がバスケットから刺身パックを取り出した時、既に嫌な予感はあった ── その後ろには4人のお客が順番を待っているのに。
「『本マグロ』って貼ってあるだろ?」
 アタシの目の前に突き付けられたのは、確かに中トロマグロだ ── 美味しそう! ……いやいや、そうじゃない。
この『本マグロ』ってなんだい?
「は?」
『本マグロ』の『本』ってなんだい?
 《侯爵》は首を少しひねり、かつ少し傾け、唇を少し曲げ、視線の端でアタシを見下ろしている……。
(なんだいって、難題? ── これは罠かもしれない。ストレートに答えない方が良さそうだ)
「えーと、ホントのマグロってことですかあ?」
 《侯爵》は首を振った。
「じゃ、質問を変えよう。この魚、正しくはなんていう?」
 ……長くなりそうだった。
「『本マグロ』……じゃないんですよね、きっと?」
「クロマグロだ。どうして正しい名称を記載しないのかな?
「そんなこと……アタシに言われても……あの、次のお客さんが待っておられますので……」
 気配を察して他のレジに並び変える客も現れた。
「いや、これは大事なことだよ……おう!」
 アタシは構わず『本マグロ』を《侯爵》から引ったくり、コードリーダーを通した。
「はい、全部で3684円になりまあす!」
 ところが、これにもからんでくる。
『…になります』」って物言い、日本語としておかしいでしょ。『3684円です』じゃないか?
「はあい、申し訳ありませーん、3684円でーす。1番セルフレジでお願いしまーす!」
「だいたい、最近の若者は……」
「ありがとうございまーす。はい、次のお客様、どうぞ!」
 強引に視界から追い払った。

「なんですか、あの《侯爵》ってオジサン? やたらからんでくるんですけど」
 休憩室で文句を言うと、優子さんが反応した。
「だから《侯爵》なのよ! やたらコーシャクを垂れるの!」
「あ、そっちのコーシャク? 『講釈を垂れる侯爵』ってわけ!」
 アタシは絶句した。
「私もこないだ、やられたわよ」
 鮮魚担当の石川さんが割り込んできた。
「最近出回るようになったメヒカリを並べていたらね、《侯爵》がやってきて言うのよ ── 『メヒカリってのは俗称だ、正式名称のアオメエソを使うべきではないかね』って」
「で、どうしたんですか?」
「面倒だから、『ありがとうございます、上司に伝えておきます』って言って追い払ったのよ。そしたら……」
「そしたら?」
「別の日にまた現れて、『まだメヒカリって書いてるじゃないか、先日ボクが教えてあげたのに』って!」
「教えてあげた! ── 上から目線!」
「そうなの! ホント、嫌になっちゃう!」
「私は、商品名で漢字間違いを指摘されたことがある! 簡略字を使うんじゃないって!
「こちとら客商売だから、喧嘩するわけにもいかないしね」
「……ったく、相手してたら時間とられるし、偉そうで腹立ってくるし……
「ムシ、ムシ」
「完全な無視はマズイっしょ! ねえ、チーフ」
「そうねえ……」
 中島チーフにも難題だった。
「あのオジサン、服装は上品だし、ことば遣いも丁寧ではありますよね、講釈垂れるからってだけじゃなくって、《侯爵》ってニックネーム、なんだかぴったりしていますよね、ヤンゴトナキ人、なんですかあ?」
「……そういう噂はあるのよ。ほら、三丁目の坂を登ったところに洋館みたいな家、あるじゃない? 大倉さんっていうんだけど、大学の先生だったみたい」
「奥さん、いないのかしら。いつもひとりだけど」
「うーん、そこまではわからないわ。でもね、家族がいるかいないかわからないけど、ああやってウンチクを垂れるのは、淋しいんじゃないかしら」
「うーん」
 みんな考え込んでしまった。

**********

歩美あゆみちゃん! 今日も《侯爵》が何か言ってたみたいじゃない!」
「あ、小池さん、ええ、スルメイカとヤリイカの違いについて、コーシャク、受けていました」
「それ、先週も同じこと言ってたんじゃない? 大丈夫? うまく対応できた?」
「もちろんです!」
「どうしたの? なんだか機嫌いいわねえ。《侯爵》のこと、気にならなくなったの?」
「ええ! 問題ないです!」
「あ、何やってるの?」
「へへ……バレたか!」
 アタシは耳たぶを見せた。そこには、最近買った赤いピアスがぶら下がってる。
「何それ! タ……タコじゃない?」
「そうなんです! 先週ネットで買ったの!」

タコピアス

 《侯爵》が何かコーシャクを垂れるたびにアタシはこのタコに指先で触れる。
(耳タコ、耳タコ、耳タコ……)
 と念じながら。
「それ、『耳にタコができてる』ってわけね!」
「ええ、そう。口には出してないけど。でも、これを始めてから、《侯爵》の垂れるコーシャク、まったく気にならなくなったんです!」
「天才だわ、歩美あゆみちゃん! そ、そ、それ、どの通販? 私にも教えてよ!」
 小池さんはアタシの耳に指を伸ばしてきた。

**********

 スーパー・らくだの女子店員のほとんどに ── といっても、耳に穴をあけるのに抵抗がある鯖木さばきさんのようなシニア層は別にして ── タコピアスが行き渡るのに、ひと月もかからなかった。
 そして、ホントにみんな、《侯爵》の垂れるコーシャクが気にならなくなったのだ。
 コーシャクが始まると誰も、表情はにこやかに、けれど指先は耳のタコをいじり始める。そうすると、タコピアスの魔法なのか、上から目線で何を言われようが、
(ハイハイ、そうですか、勉強になりまあっす)
 という優しい気持ちになるのだ。

**********

「ねえねえ、《侯爵》って、最近、コーシャク垂れなくなった気がしない?」
「あ、アタシにもそう! たまに見るけど、なんだか元気がないみたいで……。アタシたちみんな、戸惑いを見せずにニコニコ対応するから、張り合いがなくなったのかしら」
「私もそう思った!」
 そこに中島チーフが口をはさんだ。
「残念ながら、違うのよ。《侯爵》の方でも様子が変だ、とは感じていたみたい。それに、話を聞きながら、みんな耳のタコピアスをいじっているじゃない? ある時、『ゆっくりレジ』の方に並んで、鯖木さばきさんに尋ねたんだって、『このスーパーではタコを耳に付けるのが流行ってるのかね』って」
「あ、イヤな予感!」
「そう! 鯖木さばきさん、サバサバしてるから、耳タコ魔法について、全部、話しちゃったのよ、本人に!」
「あちゃあ! 怒った……かしら」
「それがね、がっくり項垂うなだれてたって」
「はあ……それ以来、元気なくなっちゃったってことですか?」
「ふうん。……なんだかかわいそうね」
「今さらだけど、実害があったわけじゃないからね」

 一番ショックなのはアタシだった。
 自分が首謀者になってクラスでイジメを行ったような、とっても後味が悪い気分だ。
(なんとか……しなくっちゃ!)

**********

歩美あゆみちゃん、さっき《侯爵》、鮮魚売り場に来てたわよ」
「あ、知ってます。昨日POP案をファイルで送って来たからOKしておいたので」
「なんか、張り切ってたわよう! もう、発表会の日の子供みたい」
「そうですかあ、良かった!」
「あれ、無償でやってくれてるんでしょ?」
「ええ、ボランティアでもやりたいって」

 《侯爵》に依頼した責任者として、一応、鮮魚売り場に見に行った。
 朱色が鮮やかな大振りのタラバガニの横に、その《POP》── 商品説明用のカード ── が掲げてあった。

スーパー・らくだの専属POPライター
『らくだ侯爵』が垂れる『今週のコーシャク』
タラバガニPOP

 少し離れた所に《侯爵》は立ち、腕組みしながらお客が《POP》を読むのを眺めていた。
「おつかれさまです! 評判、いいみたいですよう」
 アタシが声をかけると、照れたように頬を掻いた。
「いや、こういうの、大学にいた頃に学会発表で慣れているからねえ。この字、ボクの好きなフォントなんだ。『HGS創英角ポップ体』っていってね、特徴としては……」

 ……長くなりそうだった。
 アタシは髪をかき上げ、耳たぶに指を伸ばした。



鯖木さばきさんが登場するお話は:

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