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「約34年ぶりに…」の喧騒から離れ、その時自分はどうしていたか?に想いを馳せる

なんだか大騒ぎをしています:

バブル経済期だった1989年12月29日の水準を上回り、約34年ぶりに史上最高値を付けた。

東証が史上最高値3万9098円 34年ぶり、バブル期超え(共同通信) - Yahoo!ニュース

でも、34年前とは物価も違うし、たまたま円建ての数字が同じだっていうだけで大騒ぎし過ぎじゃないか。そもそも為替レートが違うんだから、ドル建てで比較すれば……と
1989年12月29日の為替レートを調べてみると……
 1ドル=約144円
今日2024年2月22日のレートが、
 1ドル=約150円

なので、意外や意外、その差は4%程度と、けっこう近い値なんですね。
じゃ、米国の株価はどうかといえば、NYダウは1989年12月末の2,753ドル→38,612.24(昨日2024年2月21日の終値)と約14倍に値上がりしています。
(日経平均もNYダウも入れ替えがあるので単純比較はできませんが)
うーむ、この差は大きい!

私は翌1990年5月に家族と渡米したので、向こうでダウ平均に連動する投資信託でも買っておけば14倍になったわけだ!

……しかし、冷静に考えれば、その頃はようやく借金(育英会奨学金)を返済し終えたばかりでまったく余裕がなく、どうしても移動に車が必要だとわかり日本の両親にSOSを送ったくらいで原資はなし ── ありえない仮定であった……。

ともかく、日本が34年前の経済水準に戻ったわけでもなんでもなく、比較すること自体、意味はない。
いや、マクロな経済的視点での比較は、プロの人たちが新聞などで行うでしょう。

ここでは、長く生きている人間の特権として、こうした、
「約34年ぶりに……」
の騒ぎに際しては、
《その時自分はどうしていたか?》
に想いを馳せる好機と捉えたい。

その頃(まで?)、給料はけっこう上がっていました。製造業はたいしたことなかったけれど、商社や銀行、広告代理店などは、ボーナスもすさまじかったようです。
長い低迷期を経て、去年今年と、そんなレベルの賃上げニュースも見ますね。

仕事はとにかく忙しく、残業も青天井で、朝は子供が起きる前に家を出て、夜はもちろん子供が寝た後で帰宅、土日もどちらかは出勤していましたね。
出勤しない日に何をしていたかといえば、地元の飲食店に置かれるフリーペーパー『月刊なごや』など、依頼原稿を書いていました ── もちろん、手書きで。

会社の仕事では、業務報告書も、特許出願の明細書ももちろん手書きで、今から思えば効率の悪い働き方をしていたと思います。会議も多かったですね。

出勤はタイムカードで管理され、朝1分でも遅れると、『遅刻届』を書いて上司に出さなければならなかった。

バブル期という名称から、知らない世代は当時の人びとが全員浮かれていたような印象を持つかもしれませんが、けっこうハードワーク、それも理不尽にハードワーク、非効率ゆえのハードワークも多かったような気がします。

その頃の会社はまさに今、TVドラマ『不適切にもほどがある』に現れる『昭和の世界』にかなり近く、オフィスは煙草でけむり、同じ学歴のエンジニアでも男女で初任給に差があり、部署対抗の運動会があり、飲みに行くと上司だったり先輩だったりがけっこうな額を出してくれたりしていましたね ── 家計、大丈夫だったんだろうか?

88年か89年、労働組合(に準じた組織)の部署代議員のようなものになったのでオフィスの禁煙を提案したら(日本企業で実施しているのはSONYぐらいだった)、組合の幹部に、
「君は受動喫煙が有害だと言うが、それはまだ異論もあり、科学的に立証されているわけではない。その状況でオフィス禁煙を実施したら煙草メーカーに訴えられる可能性がある」
と拒絶され、呆れた。

私の子供世代の働き方は、あの当時に比べるとかなりスマートなように思います。
少なくとも、女性労働者に関わる環境は劇的に改善されました。

当時、同期の女子社員に会社から配られた名刺はなぜか四方の角が丸く(いわゆる、『R』がついていた)、
「なんで、女子社員だけ?」
と不満そうな彼女たちに、
「女のコだからだろ、可愛くていいじゃん」
と言う男を不愉快そうに睨みつけた顔を今も憶えています。

バブル景気、などというと、実価値を越えて不動産価格や株価が高騰したり、高利高リスクの債権が飛ぶように売れたりなど、『マクロ』な環境が語られます。
でも、どんな時代だったかは、『ミクロ』な視点での記録も必要なように思うのです。

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