見出し画像

万博の『目玉』【3/4】

目玉企画がないと酷評される万博のため、私は勤務先のBSC(Biotech Short Circuit)社で、会場の案内役を務めながら警備にも貢献し、しかも未来社会へのレガシーとなり得る ── 『目玉』を開発した。
万博会場で人気パビリオン『O-TA-KU館』に続き『『SA-MU-RAI館』を訪れた私は、開発時の想定をはるかに超える『目玉』の能力を目にする。疑問に思う私に『目玉』は、ニンゲンが知る必要はないと言う。

これまでの話

 BSC社の『目玉プロジェクト』は、万博開幕を前に、開発した技術も意匠も権利は全て国に売り渡し、メンテナンスとトラブル対応業務を除いてチームは解散していた。
 万博期間中、『目玉』の人気はうなぎのぼりで、あの何者かわからないイメージキャラクターに代わり、会場内外で『目玉』グッズの売れ行きは凄まじかった。

 『目玉プロジェクト』の貢献もあり、万博はなんとか赤字を最小限に抑えて終了した。パビリオンは解体され、跡地には大手ディベロッパーが蠅のように群がった。

**********

 「お父さんの会社が造ったっていう『目玉』、ウチの小学校にも来たよ」
 夕食のテーブルで息子がそう言ったのは、万博閉幕から4年が過ぎた頃だった。息子は3年生になっていた。
「そろそろじゃないかって先生が言ってたけど、この市の中では早い方かもね」
 妻が応じた。
「……そういえば、そんな議論があったなあ……いつからそんなことになったんだっけ……」

 思い起こせば、
「未来に向けてへのレガシーにする、という意気込みで国家予算を注ぎ込んだ『目玉』ですが、万博が終わったら『ハイ、さようなら』というわけではないでしょうね?」
 国会で野党議員から尋ねられた首相が、
「今後、性能と安全性をさらに高め、この国の未来にとって不可欠な存在にします」
 と言い切ったのは、まさに閉幕式の翌日だった。

 その後、我々BSC社とは別の企業で『目玉』の高性能化と量産化技術開発が行われている、という噂は時折耳にした。
 そして、量産した『目玉』を地方自治体に無償配布する、と総務省が発表したのは、つい半年前のことだ。使い方は各自治体に一任するということだった。

 私の住む市では、『目玉』を小学校に1台ずつ配布することに決めた。
「教師の目が届かない場所で、『目玉』が児童の安全に配慮するのが目的です」
 市長は胸を張った。
 児童数数百人もの小学校にたった1台の『目玉』じゃ、それこそ『目が行き届かない』のではないか? ── そんな声も上がったが、市長は反対意見を押し切った。 

「……で、どうなの? 『目玉』が来て、何か変わった?」
 息子に尋ねると、
「別に……ただ、いろんな所に顔を出してるみたい。昼休みの運動場だったり、給食時間だったり、トイレだったり……」
「授業中はどうしてるんだろう?」
「時々来てるよ、知らない間に休んでいる子の席に座ってたり、教室後ろでロッカーの上にいたり……あ、それから、職員室にも顔を出してるって、先生言ってた!」
「危ない遊びをしてる子には注意するんじゃないの?」
 妻が尋ねた。
「ううん、何も言わないし、何もしないよ。……ただ、じっと見てるみたいなんだ……あの大きな『目玉』で」
「へえ……なんだか気味が悪いわね」
「……いや、気味悪くはないけどさ、……とにかく、何もしないし、助けてもくれないんだ……」

**********

 それから、2か月ほどが経った頃だった。
「ねえ、マサル君って最近、朝、呼びに来ないわね ── あんなに仲良くていつも一緒に登校していたのに」
 夕食の席で妻が言うと、息子はプイと横を向いた。
「別に仲良くなんかないよ。あんな奴、いなくなってせいせいしているくらいだ」
「え、いなくなった? どういうこと?」

 最初は口をつぐんでいたが、ボツボツ語り始めたのを繋ぎ合わせると……
・マサルとは確かに当初、仲が良かった。
・しかし、気が弱い息子に付け込むことが次第に多くなり、最近では ── 少額ではあるが ── 小遣いをたかられたり、取り巻きを増やしたマサルに意地悪されたり暴力を受けることもあった。
・先生に相談したことがあったが、キミにも問題があるんじゃないか、と言われた上、なぜかイジメはエスカレートした。先生もあてにならない、仕方がない、と諦めていた。

「……そんなこと、あなた、今まで全然話さなかったじゃないの!」
 妻も私も動揺していた ── これまで、まったく気付いていなかったのだから。
「でも、マサル、学校からいなくなったんだ。マサルがいなくなったのはいじめっ子だったから罰が下ったんだって噂が流れてね、それで取り巻き連中も、ボクにはもう何もしなくなったんだ」
「それって……あの……?」
 万博の『O-TA-KU館』、それに『SA-MU-RAI館/Edo-City』での捕り物シーンが、記憶の底から鮮やかに浮かび上がった。
「うん、『目玉』が学校に来たことと関係あるんじゃないか、ってみんな言ってる。マサルから嫌なことされている時に、遠くから ── グラウンドの隅とか、校舎の4階窓とか、本当に遠くからだけど ── 『目玉』が見ていること、何度かあったんだ」
「でも、いなくなったって……そのこと、先生は何て言ってるの?」
 妻も初耳らしかった。
「ああ……都合でしばらく学校には来ないことになったって」
「ご家族は?」
「わからない……けど、5年生のお兄ちゃんは学校に来てるよ」

  その時はまだ、自分が開発をリードした『目玉』が、日本社会を根本的に変えるなどとは、思ってもみなかった。

 しかし、それから間もなく、学期の半ばであるにもかかわらず、息子のクラス担任が交代することになった。保護者の間では一部動揺があったものの、それまでの学級経営を懸念していた親が予想以上に多く、むしろ歓迎する声が主流だったそうだ。

「── 昨日、大阪府警は、今年度の府内犯罪件数が昨年同期に比べて半減していることを発表しました。特に顕著なのは大阪市内で、犯罪件数が7割減と、激減しているそうです」
 食事中垂れ流していたニュース番組が耳に引っかかった。
「大阪市って、ひょっとしたら……」
「そうよ、確か……」
 政府から支給された『目玉』の全てを警察に配備した自治体名を忘れるはずがない。
「これって、ドライブレコーダーの普及で煽り運転や危険な割込みが減ったのと同じ現象なのかしら」
「さあなあ……でも、警察に配備ったって、あの時の特集ニュースで見たけどさ、『目玉』は繁華街を歩いていたり、公園のベンチに腰掛けてぼんやり辺りを眺めているだけのようだったけどなあ」 

 『目玉』の利用法は、あらゆることが横並びのこの国には珍しく、それぞれの自治体に完全に任せられていた。
 とはいえ、腕力や脚力がほとんどない『目玉』に、何か作業ができるわけではない。『機能』といえば、見ること、知識があること、それに、話す(というより、イヤフォン・ヘッドフォンを装着した相手に伝える)ことぐらいだった。
 このため、『目玉』が活用されるのは、
1. 主にインバウンド客への観光案内
2. 役所や博物館などの案内
3. 公共の場での安全管理
 が主だった。
 項目1と2では、結構な成果を収めていた。特に海外からの訪問客に対しては、どの言語にも対応できる点が高く評価された。観光業者にレンタルすることにより、かなりの収益を上げる自治体も現れた。
 項目3の一環として、この市のように学校に配備した自治体も少なくなかったが、そこで使われる機能は『見る』ことだけであり、いかに危険を前にしようと、ヘッドセットを装着していない相手に伝えることはできなかったはずだ。

「── しかし、この『見る』だけで大阪の犯罪が減っている、ということは、『見た』ものをどこかに伝えているんだろうね」
「警察に所属しているんだから、警察署に通報しているんでしょ。ほら、万博で『目玉』といた時に捕まった人がいた、って言ってたじゃない」
「うーん、あの時はたぶん、現行犯の証拠をリアルタイムで通報したんだろうけど、……どうなんだろう、この『犯罪件数7割減』って……『目玉』の通報で摘発率が上がったっていうのならわかるけどさ、……それより……犯罪になりそうな『芽』を事前に摘んでいるとか……」
「え、例えば……どういう風に?」
「さあ……」
 小学校の4階校舎窓から昼休みのグラウンドを眺め、そこで行われている全ての『行為』を、『行為者』を特定しながら情報収集している『目玉』について想像してみた。
 あるいは大阪では、今や何百もの『目玉』が、タワーマンションのバルコニーや、消防署の火の見櫓から街を、そして市民を睥睨へいげいし、ありとあらゆる情景を観察し、取得した情報を処理した後、なんらかの指示をしているのかもしれない ── ニンゲンたちに。

(情報処理? ── どのような?)

 考えようとした私の脳裏に、『Edo-City』で私を睨んだ『目玉』の言葉がよみがえった。
〈── そんなこと、ニンゲンは知らん方がいいんじゃよ〉
 さらに、
〈── 悪いことは言わん、いろいろ知りすぎると、ろくな目に合わんのじゃ〉

「あ、そういえばね、隣の人 ── タダノさん ── 引っ越していったわよ」
 脈絡なく、妻が言った。
「隣……? ああ、あのおかしな男か?」
 それは、いつ見ても不機嫌そうな四十過ぎのひとり住まいだった。マンションは彼の両親が買ったものらしいが、数年前に相次いで亡くなっていた。
 たまに廊下ですれ違う時、こちらが頭を下げても知らん顔をしているだけでなく、何か意味のわからないことをつぶやいている。
 妻はこの男のことを気味悪がっていた ── いや、怖れていた。
「髭もろくに剃らないし、すれ違う時臭うし、仕事にも行っているのかどうかわからない ── 生活費はどうしてるのかな。時々、凶悪な顔つきで睨むこともあるの……今に何か仕出かすんじゃないかしら……心配」
 息子のいない所では、そんなことさえ口にしていた。
「引っ越し? 良かったじゃないか……挨拶にでも来たの?」
「来るはずないでしょ。ただ……いなくなったの。自治会の回覧ニュースに『転出者』として出ていた」
「ふうん……ま、いずれにしても良かった」
 隣室の男は ── こちらが大きな音を出しているわけでもないのに ── 壁を何かで叩いてくることさえあり、それも私たちに大きなストレスをもたらし、家族の悩みの種だった。

**********

「あのね、マサルがクラスに戻って来たんだよ」
 息子が話したのは、やはり夕食の席だった。
「ほんと? 休んでたのは……一か月半ぐらいかしらね。大丈夫? また何かやってきたら、今度はちゃんとお母さんに話してよ」
「大丈夫だよ」息子は鼻で笑った。
「すっかり大人しくなっちゃったんだ。最初は様子見てたけど、少しずつ、今度はこっちの方から……」
「やめろ!」
 つい大声が出た。
「いいか、前の仕返しだなんてこと、絶対に考えるんじゃないぞ! そしたら、今度はお前が教室からいなくなる番かもしれないぞ!」
 息子は怯えたように下を向いた。
「うん、……わかったよ」
「で、マサル君、どこに行ってたの?」
「それがね、何も言わないんだ。みんなが尋ねても黙ってる。……いや、なんだかビクビクしているみたい……よく、辺りを見回している……やっぱり、『目玉』を恐れてるのかもしれない」
「先生は何か言ってた? ── ほら、新しい担任の先生?」
「『しばらくお休みしていたマサル君が戻ることになりました』ってそれだけ。あ、それから、『マサル君は生まれ変わったように良い子になったから、みんな仲良くしてあげてね』って……」

(何があったのだろう?)
 想像しようとすると、また、
〈── そんなこと、ニンゲンは知らん方がいいんじゃよ〉
 あの声が聴こえたような気がした。

**********

「今日は仕事で遅くなる。食事は要らない」
 妻にメールを送ったのは、取引先の女性社員から『今夜デートOK』の連絡が入った後だった。
 仕事で会うたびに、指先だったり、手の甲だったり、どこかしらにさりげなく触れてくる女だった。私が軽い冗談を口にすると笑う ── 舌先を唇の間からほんの少し出す、なんとも意味ありげな笑みを見せるのだ。

 終業後に彼女の希望でアイリッシュパブに行き、軽く食事をした。
「この後、まだ大丈夫なんだろ?」
 しかし、彼女はテーブルの上に置いた私の手を握り、
「今日はテストだけ……でも大丈夫、合格よ。次は付き合うわ ── 最後まで」
 舌先を出して首をすくめた後、
「ほら、こちらにも準備があるから」
 と右手で左胸のふくらみを軽く握ってみせた。

 彼女と別れての帰り道、私鉄駅からマンションまで10分ほど歩く ── その途中で、ふと辺りを見渡した。
(……誰かが見ている……?)
 街灯が歩道に白い光を投げていた。異様に白い光の中はもちろん、少し離れた暗がりにも、人影は見当たらなかった。ましてや、5歳児大の『目玉』などいない。
(けれど、実際、今もどこからか見られているのかもしれない)
 誰もいないと油断して立小便とか煙草のポイ捨てなどしたりすれば、その画像情報はどこかに送られ、データとして蓄積されるのかもしれない。
(── 死角は無いのか?)
 もちろん、あるはずだ ── 例えば家の中。
 小学校に配備された『目玉』は、教室や、職員室にさえ現れるそうだが、一般住宅に入り込むことはできないはずだ。
 植え込みの暗がりや駐車場の車の蔭にも目を配りながらマンションにたどり着き、自宅のある5階に上がった。

「ただいま」
「あ、お父さん」
 玄関に出た妻の背後で息子の声がした。
「ああ? まだ寝ていないのか? どうした?」
 リビングに入ると、ソファの上に、息子と、 ── 電車を降りた時から予想していたのかもしれない ── 『目玉』がいた。
 『目玉』は息子の隣、ソファに浅く腰をかけ、顔を ── いや、目玉を ── こちらに向けた。
「今日、学校の帰りにボクに付いてきたんだよ」
「それでね、あなたに会いたい、帰るまで待つ、って言うの」
 妻が付け加えた。
「言う ── って、どうやって?」
「このヘッドセットを渡されたんだ ── いつも学校では、こんなの持ってないのに」
「まあ、座ったら? お茶いれるから」
 私がテーブルに着くと、『目玉』も ── よっこらしょ、という感じで ── ソファから移って来た。部屋の隅にあった、息子が以前使っていた幼児用チェアを妻が持ってくると、その上によじ登った。

 ── テーブルをはさんで見つめ合った。

【4/4につづく】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?