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万博の『目玉』【4/4】

万博の目玉企画として、私は勤務先のBSC(Biotech Short Circuit)社で、会場の案内役と警備にを兼ねる『目玉』を開発し、会場では人気を博した。
閉幕後、『目玉』は国家プロジェクトとなり、量産されて全自治体に配備された。小学校への配備はいじめをなくし、警察への配備は犯罪件数を減少させた。
そしてある日、『目玉』が家にやって来た。

これまでの話

 『目玉』を至近距離で眺めると、濃い色の瞳孔、その周囲の虹彩、そしてその周り ── 白い眼球部分には黒い点がいくつも見てとれる。
(オレたちが開発したのだから、よくわかってる)
 『目玉』の眼球には、駆動エネルギーとなる高圧水素タンクの外周に数多くの小型カメラ ── 焦点距離の異なるレンズとイメージセンサ素子 ── が設置してある。
(……万博の頃よりも数が増えているようだな)
 だから、『目玉』が顔の ── いや、眼の ── 方向を変えるのは、そちらを見るためではなく、興味や注視の方向を示すためだった ── ニンゲンに。
 『目玉』が白っぽくなよなよした手を出し、ヘッドセットを指した。
「ひとつしかないらしいのよ」
 妻に促され、装着した ── 万博以来だ。
〈久しぶりじゃのう、トミー〉
 鼓膜が振動し、過去が蘇って来た。手が震えた。
「え? 久しぶりって……その……あの時の?」
 付属するマイクが私の呟きを拾った。
〈ワシらはのう……『個体』でありながら『全体』でもあるんじゃよ。全ての情報は、全ての『個体』に共有されておる〉
「……なるほど」
 『個体』であって『全体』でもある ── 確かにそれは、開発プロジェクトのコンセプトだった。
 万博のどこで何が起こっているか、瞬時に全『個体』が情報を共有することにより、より安全な、かつ、より顧客満足度の高い案内ができる ── それはまさに、開発リーダーである私自身が提案したコンセプトであり、『目玉』システムの核心機能だった。
「……時空を超えて共有しているわけですね」
 今度ははっきり口に出した。妻と息子が私を見る。

〈おヌシ、家族に隠し事をしておるじゃろう〉
 突然だった。
「は?」
 聞き返したかったが、口をつぐむしかなかった。
「え? それで今夜、ここに?」
〈ま、ワシらはおヌシが造ったとも言える。警告しておいてやろうと思ってな〉
 アイリッシュパブでの情景を頭に浮かべた。緑色を基調とするその店で、近くの席にどんな客がいたか、想い出そうとしたが、そもそも辺りを気にしてなどいなかったのだろう、他の顔など浮かばない。

「ひとつ、聴いていいですか?」
〈なんじゃ?〉
「『目玉』プロジェクトはどこに行こうとしているのですか?」
〈それは、おヌシが一番よく知っておろう〉
「いえ、 万博のプロジェクトではなく、そのレガシー ── 遺産としての『目玉』プロジェクトです ── 今この国で進行している」
〈それも全て、おヌシたちが企画したことじゃ。この先の世界はどうなるかを想像し、『未来社会に向けてのレガシー』を目指してワシらを開発したんじゃないのか? 現在この国で進んでいるのは、その路線上に ── 正しい路線上にあるものじゃ〉
「いや、犯罪防止だけならまだしも……その……そう、プライバシーに関わるようなことまで……」
 妻と息子が私を注視していたが、この表現なら問題ないだろう。
〈犯罪と犯罪になる以前の行為行動とは、どこかで色彩が突然ガラリと変化するわけではない。徐々に色が濃くなっていくグラデーションじゃ。じゃから、犯罪になる前 ── 問題行動の段階から、 ── いや、それ以前から情報を集める必要がある〉
 そして、『目玉』はフッと息を抜いたように視線を逸らした後、続けた。
〈あの取引先の女、どういう意図で近づいてくるのか、おヌシにはわかっておらんだろう〉
「意図って……」
〈この国で今一番話題になっているワシら ── 『目玉』は海外からも注視されておる。一体どんなシステムなのか、知りたがっている国も多い ── 敵対国家はもちろんじゃ。おヌシが元々の万博プロジェクトの開発リーダーだったことぐらい調べ上げておろう〉
「なっ! ……はあ……いや、まさか……」
〈あの女が誰と連絡を取っておるか、銀行口座にどんな振り込みがあるか、既に幾ばくかの『異常値』が検出されておる〉
「……そんなことまで……」
〈言ったじゃろう。今日は単なる警告じゃ。わしは帰る〉

「……ねえ、あのコ、お父さんに何を話していたの?」
 『目玉』を1階まで送った後、家に戻ると息子が問うた。
「……マサルのこと、何か言ってた?」
「いや、それについては何も話さなかったな」
 背筋がゾク、と震えた。
「さ、もう遅いから休みなさい」
 妻は息子を寝かせた後も、私に何か尋ねることはなく、先に休むから、と寝室に消えた。

 ふと気になってリビングの電気を消し、裸足のままベランダに出ると、ちょうど雲が流れ、姿を現した月がこちらを見下ろしていた。
(右側が欠けている……十三夜ぐらいか……)
 まだ真円でないことに、なぜか安堵していた。
 マンションから、通りを隔てて斜め向かいにあったガソリンスタンドが、少し前に水素ステーションに代わっていた。
(FCVがさほど増えているわけじゃない。カーボンニュートラル促進を謳い文句に、国策として業態転換に補助金を出しているという……実際は『目玉』のためなのだろう)
 目を凝らして見たが、水素ステーションにその小さな姿は無かった。
(……しかし、この夜の中で、どこからかオレを見ているかもしれない)
 そしてそれは ── たった今送り出したのと同じ『個体』かどうかはわからない。

 『目玉』を1階のエントランスまで送る途中、エレベーターの中での会話を想った。
 そう、私はまだヘッドセットを装着していた。

「もし、グレイゾーンの問題行動が一線を越えたら、どういうことになるのかな?」
 『目玉』は瞳孔をはっきり私に向けた。
〈例えば、家族の顔ぶれが変わるかもしれんな〉
「え? 変わる ── って、どういうこと?」
〈おヌシは新たな家族と人生をやり直すことになるかもしれん ── 今の家族に管理能力が不足している、と見なされてな〉
「……よくわからない。今の家族と引き離される、ということ?」
〈そういうことじゃ。彼らには新しい家族が与えられ、おヌシは新しい家族と暮らすことになる ── 一時的かもしれんし、永遠かもしれん。期間は罪の重さによって違う〉
「え? よくわからない。そうなったら、オレはどんな家族と暮らすことになるの?」
〈ワシらじゃ ── お前たちニンゲンの言葉で言えば、お前の家族は『目玉』に替わる〉
「ええ? ……その、新しい家族って、オレに対して何か……」
〈心配無用じゃ。特に危害を加えることなどない。おヌシも知っておろう ── ただ見ているだけじゃ〉
(……ただ、見ている……?)
 新たな『家族』との生活を想像しようとしたが、うまくはいかなかった。
(家族とは……ヘッドセットを付けて会話するのか……?)
〈そうなるな。お前の家族にも、お前の代りが与えられる〉
「はあ? あ、じゃあ、学校で息子をいじめてたとかいう子も……そうやって?」
〈ああ。……効果があれば元の家族に戻されるが……戻れない場合もある〉
「戻れない場合は? ── どうなる?」
 答えは予想できた ── 案の定。
〈── そんなこと、ニンゲンは知らん方がいいんじゃよ〉

 エレベーターが開くと、『目玉』はヘッドセットを受け取り、後は一度も振り返ることなく、エントランスの自動扉から出て行った。

 けれど、私は知っている ── 『目玉』には、瞳孔や虹彩とは反対側 ── ニンゲンでいえば後頭部にもいくつものイメージセンサ付きレンズがあり、『目玉』を見送る私の表情も、── そう、全てを見ていることを。

**********

 それは、『目玉』が家に来てからふた月ほど経った朝だった。目覚めた時、既に違和感があった。
 ひどい二日酔いのように頭が重く、見渡せば、ベッドの幅は狭く、左のベッドサイドに時計はなかった ── というより、サイドテーブル自体がなかった。枕も低い ── こんな代物でよく眠れたものだ。
 起き上がって部屋 ── ベッド以外何も置いてない、壁もただ白いだけの小部屋 ── から廊下に出た。
 廊下を歩くとすぐにリビングに出た。
 そしてそこには ── 小さなテーブルに着いていたふたりの ── ふたつの ── 『目玉』がこちらに顔を向けた。
 テーブルの上には ── もちろん ── ヘッドセットが置いてあった。
〈おはよう、あなた〉
〈遅かったね、お父さん〉
 合成音声とはわからないほど、声の質は『元・妻』と『元・息子』に似ていた。
(……こうなることはわかっていた)

**********

 結局、取引先の女とは、別れるどころか、深みにはまっていった。

 昨晩は仕事を定時で終えると、女との待ち合わせに使っているアイリッシュパブに行った。そこで30分待ったが、彼女が現れることはなかった。
 メールにも反応はなく、電話には、現在使われていない旨の機械音声が返答した。
(……つまり、一線を越えた、と判断されたわけだ)

 女とは既に何度か寝ていたが、『目玉』に関わるような話題を向けられたのは、ふたりが会った最後の夜だった。
「……ねえ、あなた」
 それは、女のからだに分け入ろうとする、まさにその時だった。
「……最近、いつも何かに見られてる気がするの……そんなこと、ない?」
「いや……ないけど」
「……会社の人に聞いたんだけど、あの『目玉』を作ったのって、あなたなの?」
 それには応えず、無言で覆いかぶさっていった。
「……ああ、なんだか今も……見られてる気がする……」
 その言葉を聞くと、本当にベッドの周囲に、小さな観客があふれているような気がした。そして、まるで演技するかのように自分を奮い立たせ、いつもよりオーバージェスチャーに振る舞った。

「今日は……いや、おそらくもう、会うことはないのだろう」
 バーを出てまっすぐ家に帰った。

「遅くなるんじゃなかったの? 夕食、何もないわよ」
 どこまでわかっているのか、妻は冷ややかだった。
「ああ、いいよ。自分でなんとかするから」
 そして、簡単なつまみを用意して、酒を飲み、早めにベッドに入った ── はずだった。

**********

 自宅にあったのよりはるかに小ぶりの冷蔵庫を開け、あり合わせの朝食を用意した。もちろん、いまや『目玉』となった妻子は食事をとらない。
「これを食べたら会社に行って来るよ」
 妻 ── 役だろう ── がこちらを向いた。
〈しばらくの間、会社には行かなくていいよ。休暇手続きは済ませてあるから、心配しないで〉
「え、休暇って……年休はたしか……」
〈言ったでしょ、心配しないでって〉
 語気が強くなった。
「わかった。その……散歩ぐらいならいいかな?」
〈この建物の中ならね〉
 息子 ── 役の『目玉』が椅子から下りた。
〈ボクも一緒に行くよ〉

 それは、巨大なアパートのような建築物だった。廊下の両側にいくつものドアがあり、建物の外を見ることはできなかった。
 その廊下を、息子『目玉』の、なんだかふにゃりとした手を取りながら歩いた。
 思えば、『目玉』から警告を受けながらアイリッシュパブ女と別れず、むしろ関係を深めて行ったのは、その体を抱きたかったわけではなく、警告の向こう側にある世界を見たかったからかもしれなかった。
(本物の妻と息子はどうしているだろうか?)
 彼らの新しい『家族』を思い浮かべようとした。
(それはオレ役の『目玉』だろうか、それとも別のニンゲンか?)

「他の階に行ってもいいのかな?」
 『息子』は私を見上げて即座に答えた。
〈いいよ、お父さん ── この建物から出なければね〉
 エレベーター乗り場でようやく、そこが5階であることがわかった。
(そういえば、あの部屋には上の方に小さな窓があるだけだったな)
「あのさ」息子の手を引っぱって尋ねた。
「この建物って、刑務所みたいなものなのかな?」
〈違うよ〉即答だった。
〈ここは僕たち家族のウチじゃないか〉
 エレベーターに乗って初めて、建物が10階建てであることがわかった。最上階のボタンを押した。
「屋上には行けないのかな」
〈そりゃ、だめだよ、お父さんはまだ、そのステージじゃないからね〉
(そのステージ? どういうことだ……?)

 10階の廊下を『息子』と歩いていると、向こうから中年の男がやって来た。私同様、ヘッドセットを付け、『目玉』と手をつないでいる。男はやわらかく微笑みながら、『目玉』に話しかけていた ── まるで、実の子のように。
(……どこかで会ったような気がするな)
 すれ違う時、男は頬に笑みをたたえたまま、お辞儀をした。私も会釈を返した ── その瞬間、想い出した。
(隣に住んでいたヤバい男 ── タダノに間違いない)
 『今に何か仕出かすかしれない』その男は、ここでは別人のように温和に見えた。
(引っ越しって……ここに、だったのか……?)

 そして、唐突に思い出した ── 『目玉』プロジェクトの概要について社内で議論している時に、自分自身がメンバーに語っていた:

「しかも、万博にやって来たその日だけじゃなく、未来はずっと一緒にいられたら、と想像できるような『目玉』だったら……」

 仲のよい父子おやこ連れとしか見えないふたりの後ろ姿を見送りながら、ああ、あの『目玉』も後ろの『眼』でこちらを観察している、と強く意識した。
 あの『危険人物』 ── いやその『予備軍』かもしれない男 ── は、今は24時間監視されている ── もちろん、あいつだけじゃない。

 さらに廊下を進むと、もうひとつ、エレベーターの乗り場があった。
「あれ?」
 先ほど5階から乗ったエレベーターを降りた時、乗り場には下行きのボタンしかなかった。
(……10階が最上階だからな……)
 けれど、この乗り場には上向きのボタンしかない。
 ボタンを押してみた ── まったく反応はなかった。
〈このエレベーター、ニンゲンには反応しないよ〉
 『息子』の声が聴こえた。
「ひょっとして、これ……?」
 その質問には、不気味な静寂しかなかった。

「あのさ……『目玉プロジェクト』のゴールはどこなのかな」
 思わず口に出た。
 すると、『息子』が顔を ── いや、目玉を上げた。

〈── いつどこで誰が何をしているのか、その全てを把握するのがゴールじゃよ。それによって、この先、誰が何をするだろうかが予測できる。犯罪のかなりの部分が、実行される前に阻止できる ── 素晴らしい世界じゃないか?〉

 懐かしい ── やや甲高い ── 声だった。

 息子の声ではなくなったことが背中を押した。
「……ひとつ、聞いていいかな? 昨夜、アイリッシュパブで会うことになっていた女、どうしてるのかな?」

 すると、『息子』いや『目玉』は、白っぽい右手をまっすぐ上げ、人差し指で真上を指さした。

【完】

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