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魅惑の洞穴(短編小説;2000文字)

  ── 目が覚めた時、洞穴どうけつの中にいた。

(う……いかんな。仕事中に……)
 あたりは薄暗かった。
(あれ? ……たしか……オフィスで……)
 しかし、なぜか体は仰向けに横たわっている。
(……暑いな)
 体の下には草のような物があった。
(この暖かさは……床暖房?)
 しかし、草の下は弾力があり、しかも、平らではない。

(ここは……会社……じゃないな……妙な形の……部屋だ)
 目が慣れて来た。その部屋は、円筒を横に倒したような……洞窟のような形だった。
 起き上がってみると、確かにそこは ── 洞窟 ── なのかどうかはわからないが ── 少なくとも円筒の一方がふさがり、もう一方が開いていて ── 柔らかな光がもれてくる。
 天井の高さは俺の背よりいくらか高い。

 草は、いや、草のようなもの ── は確かに床からも、壁からも ── 生えていた。けもののような匂いがした。
(……何かの巣穴だろうか)
 だとすれば、逃げ出さなくては ── 壁伝いに光の方向に進んだ。
 壁も暖かく、弾力があった。
(洞穴といっても、岩山にあいたようなものじゃないな……)
 『洞穴』の口の部分まで出て下を見た。そこには、テラスのような『床』があった。上方から黒っぽい草が ── こちらは太く長く密集した草が覆い被さっていた。この『草』が陽光のほとんどをさえぎっている。
(テラスも柔らかそうだ……飛び降りても大丈夫だろう)
 とにかく脱出しよう ── 洞穴の口から降りようとした、まさにその時だった。

「うわわわっ!」
 何か巨大なものが、覆い被さった草を払いのけた。
 眩しい光が差し込むと同時に、洞穴の入り口に巨大な物体が飛んできた。
 反射的に穴の奥に飛び込み ── かろうじて逃れた。
 物体は穴を塞ぎ、世界は闇と化した。
 入口を塞いだその先端は、洞穴に侵入しようとうごめいていた。世界全体を圧迫する気配があった。
「何だ、こいつは? ── 俺を捕えようとしているのか?」
 けれど『怪物』は大きすぎて、中に入れない。
 どれほどの間、息をひそめていたのか ── 『怪物』はすっといなくなり、淡い光が洞穴に戻った。

(あれは……一体?)
 何物かはわからなかったが、穴の中に入ろうとしていたのは間違いないようだった。
(穴の口が小さくて諦めたようだが、またいつ来るか……)

 ── 今日は午前中、ずっと外回りだった。
 昼食後、オフィスに戻り、報告書を書きながら……。
(そうか、何かを眺めているうちに、うとうとしてきたんだ……)
 それは ── PC画面じゃない。
(なんだっけな……)
 もう少しで思い出せそうなんだが。

(奥は一体、どうなっているのだろう……)
 洞穴の入り口近くには草が多かったが、突きあたりに行くにつれ、土くれのようなものが増えた。熱もこもっている。
 風が通らないためだろう、けものめいた匂いがより強い。
(うーん……この匂い……どこかで嗅いだような気が……)
 洞穴の突き当りは、他より柔らかく、なんだかぶよぶよしていた。

 もう一度、眠り込む前のことを考えた。
(……何かを眺めていた……俺の席から……斜め右前だ……そこには……3か月前に係に配属された新人がいる……永井咲良サクラだ……そうだ!)

 確かに昼食後、睡魔はゆっくりとのしかかってきた。
 俺の席と直角に配列した部下の席で、PCに向かって仕事をしている永井咲良サクラの横顔 ── いや、肩まで垂れた髪を見ていた ── 近頃では珍しい、完璧な黒髪を。
(いや、違うな……髪じゃない)
 彼女はある周期で髪をかき上げた。左手で横髪をかき上げる ── 輪郭が美しい耳が見え、そしてまた ── 髪が隠す。
(……完璧な造形美……)
 しかし、曲線だけで造られたその『完璧さ』は、一瞬しか現れない。
(もう1度見たい ── その繰り返しで、目が離せなかった)
 永井咲良サクラは髪をかき上げ、耳を見せ、また髪が覆い、……そしてまた……。
 その美しい耳の曲線を見たい ── いや、その奥にある ──。
(……そうしたら、いつの間にか……)

 もう1度、洞穴の中を見渡した。
(……ひょっとしたら)
 静かに洞穴の入口に戻り、左側に張り出した平たい『岩』越しに背伸びした。上から垂れ下がる『草』で何も見えない。

  ── 俺は待った。
 入口近くでは、けものめいた匂いは薄れ、別の香りが強く混じってくる。
けもの……それも『雌』の匂いだ……そして、外の世界から来る香りは……)
 『周期』を想い出そうとした。
(……そろそろ、か?)

(今だ!)
 突然、巨大な『何か』が『草』を掻き上げた。
 『世界』に光があふれ、そのはるかかなたに『俺』がいた。

 俺が ── 係長席からこちらを ── この洞穴を見ていた

<完>

*****

<長めの小説を書いていましたが、「#どこでも住めるとしたら」応募用に短いバージョンの作品を創りました>


#どこでも住めるとしたら

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