見出し画像

「あんなモノはXXXではない」という《言葉の卓袱台返し》

昔、「木村家の人びと」という表題のコメディ小説(といっておきます)を書いて雑誌に掲載された時のこと、知人が読んだというので感想を訊いたら、
「あんなモノは小説ではない」
と言われたことがあります。
まあ、そういう人もいるだろうな、とその時は思っただけですが、その後、様々な場面でこの呪文じゅもんに出会いました。

斬新な箱型デザインで人気の車種を、
「あんなモノはクルマじゃない」
と言ったエライ人。彼は流線型の《カッコいい》車にこそ価値がある、と考えていたようです。

「身長170センチ以下の男には人権がない」
とブログに書いて炎上した人もいましたね。

人は誰でもそれぞれが「嗜好」や「価値」を置く「範疇」を持ち、その枠外にあるモノやコトに「違和感」を抱く。その「違和感」を表現したい。
でも、
「私のテイストには合わない」
なんていう生ぬるい表現では物足りない。
そこで、この《呪文》の出番です。

創作料理を口にして、
「こんなモノは寿司とは言えない」
「これはホントのイタリアンじゃない」

と嘆くグルメもいましたね。
この場合は、テイストというより、自分の中の《定義》に固執しているのでしょう。

卓袱ちゃぶ台返し》は、する側はけっこう快感なのでしょうが、散らばった食器やおかずなどの後片づけはたいへんです。

《言葉の卓袱ちゃぶ台返し》も、その瞬間は気持ちのいい「否定」ですが、その後の人間関係だったり、ひっくり返した人に対する評価だったりが《後片付けができないほど散らかってしまう》ことって、あるのでしょうね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?