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再勉生活! 「I don't need your help」Baby sitter を見つけられなかった助教授は教室で学生がまだ写し終えていない板書を消した小学生の娘に言った

渡米して数か月が経った頃、私と妻は3歳と5歳の子供をアパートに置いて出かけたスーパーマーケットで、米国人の知り合いに会った。
「子供たちはどうしたの?」
「2人で家にいるよ」
「2人だけで?」
「ええ」
すると、知人は怖い顔で,
「It's against law(法律違反だ)」
と宣告した。
イリノイ州では12歳以下の子供だけを家に残すのは犯罪なのだそうだ。
「早く帰った方がいい。もし隣人が警察に通報したら、逮捕されるよ」
硬い表情に促され、我々は急ぎ帰宅した。

このような背景のもと、Baby sitting が中高生アルバイトの王者として君臨することになる。
私たちも逮捕されたくはない。子供を置いて外出しなければならない時には、同じアパートに住む中学生の女の子に、娘たちと遊んでもらうよう頼んだ。

「とかく Baby sitter というものは ──」
大学の友人たちは言った。
「中学生のほとんどは、親が家を出ると一目散に冷蔵庫に突進して中の物を食い荒らすぜ。ビールなどは入れておかない方がいい」
「高校生になると、デート相手を家に連れ込んで、子供を寝かしつけた後、ベッドでニャンニャン始めるのまでいるぞ」
しかし、我々の Baby sitter は実に無邪気な少女で、幼い娘たちと真剣にゲームをしていた。

忙しい共働きの夫婦にはおそらく、複数の Baby sitter がいるのだろう。彼ら全員の都合が合わない時には、当然、困ったことになる。

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私の所属する学科に、30代後半の助教授(♂)がいた。ぶっきら棒だが、わかりやすい授業と読みやすい黒板の文字は、悪くなかった。

ところが、ある日のこと、彼は7歳くらいの金髪少女を連れて教室に入って来た。そして、彼女を後方の空席に坐らせ、ひとことの説明もなく授業を始めた。
紙と筆記用具をバッグから出した女の子は、最初、大人しく絵を描いているようだった。しかし、授業が後半に差しかかった頃、その席から異音が聞こえ始めた。退屈した少女が机を叩き始めたのである。
机を叩く回数と自分の方を振り返る学生数に一定の法則を見出した彼女は、叩く頻度を増した。
先生は少女の側まで歩いて行き、ただ一言、
「Stop it!」
と命じた。
少女は直ちに自己表現を中止したが、間もなく再開した。
他の若い学生たちとは異なり、自分も似た年頃のお調子者を娘として持つ私がひやひやする中、終業のチャイムが鳴った。

「今日、こんなことがあったよ」
校舎屋根裏のオフィスに戻って院生仲間に話してみた。
「あの先生の奥さんは Springfield(州都)の腕きき弁護士で、年収は彼の数倍だっていう噂だ。今日はリンカーン(イリノイ出身)の誕生日だろ? 祝日で小学校は休みなのに大学は営業中だ。多分、Baby sitter を雇えなかったんだろう」
自身、幼子を抱えた留学生である友人はそう言った後、付け足した。
「しかし、教室にまで連れてくるとは、これまで聞かなかった話だな」
「娘を教授室に残して授業に出るのも《犯罪》か?」

この助教授と世間話をしたことがある。
「私にも2人、娘がいる。あなたは他に子供は?」
彼は実に険しい顔で答えた。
「One child is enough!(子供はひとりで十分!)」

2度目に彼が娘を伴って教室に来たのは、1か月ほど後のことだ。
今度はなんと、教壇の横に空き机を持ってきて、娘をそこに坐らせたのである! 彼が彼女に言ったのは一言だけであった。
「You should be quiet(静かにしてろよ)」
彼女は壇上で《お絵描き》を始めた。

この先生の講義スタイルは、黒板を左右2分割して片方ずつ板書で埋めていき、全面が一杯になると最初の半分を消してそこに次の半分を書く、というオーソドックスなものだった。
私たち学生は、目の前の子供が気にはなるものの、スピーディーな板書をノートに写そうと必死だった。
そして、彼が《左半分》を消し始めた時である。少女は颯爽さっそうと立ち上がってもうひとつの黒板消しを取り、父親に習って残り ── つまり、今書き終えたばかりの《右半分》を、背伸びしながら消し始めたのである!

まだノートに写しきれていない板書が消されようとしている《悲劇》を目にした学生たちも、横にいる父親も、しばし呆然と彼女の《活躍》を眺めた。
そして先生は、実にぶっきらぼうにこう言ったのである。
「I don't need your help.(手伝いは要らない)」
実に、それだけだった。
少女は、
「あら、そう?」
というような軽い反応で教壇横の席に戻った。

この先生は学期の終わりに、Tenure(教員としてその大学で永年勤続できる権利;通常は准教授への昇格と同時)を取り損ねた。
Tenure は、助教授就任以来数年間の
(1)研究成果
(2)教育実績
(3)社会貢献
が委員会で評価された結果で決まる。
当時のイリノイ大学では、評価の重みはここに書いた順であり、(2)には学期末に学生が教官を《採点》した結果も含まれる。
学生からの評価に娘の『Help』が影響したか? ── それはわからない。
Tenure を取り損なった教員には1年間の猶予が与えられ、その間に次の職を探さねばならない。
次の1年、かの助教授は講義のある時間帯を除いてはほとんど大学に顔を見せなかった。

「この大学で Tenure が取れなくても、彼なら他の1流か1流半に移れるだろう」
私がそう言うと、友人は首を振った。
「離婚しない限り、無理だな。彼の奥さんはここの地盤から離れられない。だから、この近辺の2,3流に行くしかない」

大リーグ中継で、選手が自分の子供をベンチに入れている光景を目にすることがある。
あれはただの公私混同だと見ていたが、案外、Baby sitter が見つからなかっただけなのかもしれない、── とも、思うのである。

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〈以前、別アカウントに書いた記事の改稿です〉

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