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恵那山を仰ぐ;藤村、子供キャンプ、木曽谷など

長野県と岐阜県の県境、木曽山脈の最南端に位置する恵那山は、日本百名山のひとつでもあり、標高は2191 mですが、それほど険しくはなく、私は中学時代に1回、高校時代に2回登っています。
名古屋地域の子供が日帰りで登山したり1泊ぐらいのキャンプに出ようとすると、中央線で北東方面に向かい、恵那山など東濃・木曽方面に出かけるか、あるいは近鉄などで南西に向かい、鈴鹿山脈に行くか、の選択になります。

このところ、2週間に1度ぐらいの頻度で名古屋から中央高速を使って恵那峡の辺りを訪れますが、今週はかなり紅葉が美しくなってきました。
はるか北には雪を被った御嶽山も見えましたが、残念ながら撮り忘れました。

中津川市街の向こうに恵那山が。
馬籠宿はこの視界の左手奥(のはず)。

全国的にはそれほど知られた山ではありませんが、
『木曾路はすべて山の中である』
で始まる島崎藤村の『夜明け前』には、しばしばこの山が象徴的な形で登場し、中山道の宿場・馬籠まごめで生まれ、9歳まで恵那山を見上げて育った藤村にとって、重要なアイコンだったことがわかります。
こんな具合に:

 熊は鈴の音をさせながら、おまんやお民の行くところへついて来た。二人が西向きの仲の間の障子の方へ行けば、そこへも来た。この黒毛の猫は新来の人をもおそれないで、まだ半分お客さまのようなお民の裾すそにもまといついて戯れた。
「お民、来てごらん。きょうは恵那山がよく見えますよ。妻籠の方はどうかねえ、木曾川の音が聞こえるかねえ。」
「えゝ、日によってよく聞こえます。わたしどもの家は河かわのすぐそばでもありませんけれど。」
「妻籠じゃそうだろうねえ。ここでは河の音は聞こえない。そのかわり、恵那山の方で鳴る風の音が手に取るように聞こえますよ。」
「それでも、まあよいながめですこと。」

島崎藤村「夜明け前」より

まったく個人的な想い出ですが、木曽川/恵那峡から恵那山に登る途中にYMCAの根ノ上高原キャンプ場があり、小学校3年の時から毎年夏休みに参加していました。
大学生がリーダーで、同じ年頃の子供たちがいくつかのチームに分かれ、バンガローやテントに寝泊まりします。ここで小さな『社会』が形成され、自分の『立ち位置』や『駆け引き』を学ぶ重要な『場』でした。
また、YMCAの『C』はクリスチャンなので、山中の林を拓いた青空チャペルのような所で聖書を読んだりします。食事の前には讃美歌を唄います。
宗教云々ではなく、エスニックな雰囲気を楽しみました。
この経験の後、自分で聖書を購入し、かなり純粋に物語として(つまり、『ジーザスの大冒険』的に)これを読破しましたね。
『純粋物語』として、なので、結果的にクリスチャンに改宗した、なんてことにはなっていません。

このキャンプ中、やはり『恵那山登山』が企画されるのですが、この時だけは大学生リーダーなしで、つまりバンガローごとの子供チームだけで、オリエンテーリング的に山中を歩きます。これはけっこう不安な『旅』でもあり、途中で分かれ道があったりすると仲間うちで揉めたりしましたね。
リーダーシップを発揮するボス的キャラ、それに逆らう対立キャラ、追従キャラなど、既に人生の『縮図』のようなものが見られました。
日が暮れかけても戻ってこないチームなどもあり、運営側には相当なリスクがあったことでしょう。
今は熊リスクもあるし、おそらくGPSも付けた上で送り出すのでしょうね。

塩尻から始まり中津川で終わる木曽谷は、本当に狭く深い。その狭さは東隣に位置する天竜川沿いの伊那谷に比べれば明らかです。
狭く深い谷の崖途中にへばりつくように鉄道(中央線)と国道(19号線)が走る。高速道路などとても通すことができず、小牧からの中央高速は中津川から長大な恵那山トンネルを経て伊那谷の方に行ってしまった。

木曽路は中山道六十九次の一番の難所だったことでしょう。
会社員時代、木曽谷出身の上司がいて、ある時、木曽谷の耕地面積と人口を比較したら、自給自足経済が不可能だという結論に達した、と言っていました。

妻籠宿や馬籠宿では『蜂の子』が売られています。一般的なのはスズメバチの幼虫を甘露煮にしたもので、現代では珍味扱いですが、かつては貴重な蛋白源だったことでしょう。

本当に、
『木曾路はすべて山の中である』

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