有料記事が売れない夜
ただ怖くて 逃げ出した。
私の敵は 私です
―――――「ファイト!」中島みゆき
▼▼▼メルマガの有料記事はあまり売れなかった▼▼▼
先週のメルマガで、
2つの有料記事を販売した。
結果、買ってくれたのは、
エッセイが5人、
小説が3人だった。
正直、もう少し売れるかと思ってたから、
ちょっと哀しい気持ちになった。
いや、買って下さった方には、
本当に感謝してもしたりないし、
そもそも僕は頼まれて書いたわけではないのだから、
忙しい皆さんから時間だけでなくお金までいただいて、
読んでもらおうということに、
終始恐縮していなければならない立場なのは分かっている。
それでも、
300人の人が購読してくれていて、
お金を払って完全版を読みたい人は、
そのうちの2%に満たないというのは、
なんか、世界に求められてないような感情になる。
これは、皆さん、やってみると分かるよ。
まぁ、やらないだろうけど笑。
いや、泣き言を言いたいのではない。
、、、
、、、
、、、
泣き言を言いたいのである。
、、、で、
だいぶ心が折れたので、
今週は有料記事を書く気力がなかった。
ただ、僕は心に決めていることがあって、
自分の仕事を「自己目的的」な状態に持っていくことを、
妥協しないことに決めている。
メルマガも僕にとってはゆるぎなく仕事だ。
このメルマガはFVIの発信でもあるし、
支援してくれてる人への報告の延長線上にあることでもあるし、
個人事業主としての文筆業でもある。
そうなんだけど、
書くことが僕にとって、
楽しいことである限りにおいて書く、
というところで譲りたくなかったので、
シーズン制にさせてもらった。
書くというのは楽じゃない。
皆さんも毎週2万字書くと分かる。
やってみれば分かる。
まぁ、やらないだろうけど笑。
2万字書くのは骨が折れる行為だ。
だけど、本当に楽しいことは、
楽なことじゃない。
「楽じゃないことが楽しい」のだ。
これは筋トレも同じだ。
「楽じゃないんだけど楽しい」
というバランスが大事で、
逆説的だが、
それだからこそ、
お金を払っていただいて、
あるいは貴重なお時間をいただいて、
読んでいただく価値があると思っている。
世の中の大半の人は疲れている。
疲れている皆さんは、
「嫌々ながら書いたもの」を、
読みたいとは思っていない。
書いている人が心から楽しいと思っているものを、
読みたいと思っているのだ。
だからHIKAKINは強いのだ。
彼は内発的動機付けでやっている。
HIKAKINになろうと思った二番煎じが、
1億円稼ごうと思ってYouTuberになっても、
同じことができない理由がここにある。
▼▼▼むつみ荘寄席▼▼▼
さて。
有料記事の話に戻ろう。
有料記事があまりに買っていただけず、
僕は心が折れて今週は書かなかった。
あぁ、あんまり求められてないんだな、と。
そして、こうも思う。
ここからが本当の勝負なのだ、とも。
オードリーのオールナイトニッポン(ANN)の、
僕はヘビーリスナーだ。
若林正恭さんの本も全部読んできた。
オードリーは2008年のM-1グランプリで、
敗者復活から準優勝し、
翌年の2009年から今に至る13年間、
第一線の芸人として売れ続けている。
ちゃんとした会社員の父親から芸人であるということを
あまり良く思われていなかった若林さんは、
30歳になるこの年でダメだったら芸人諦めよう思っていたらしい。
そのタイムリミットラスト1秒で奇跡が起きた。
前年の2007年のサンドウィッチマンも同じで、
彼らも「今年テレビに出られなかったら解散」と決めていた。
あれが敗者復活してなければ、
僕たちにとってサンドウィッチマンとは、
「公告を身体に貼り付ける人間」という、
数ある死語のひとつになっていただろう。
伊達さんは本当に田舎のポン引きになっていただろうし、
富澤さんは「ちょっと何言ってるか分からない」
と上司に言っては怒られながら、
東北のどこかの中小企業で働いていたかもしれない。
まぁ、彼らならどこの世界でも成功したのかもしれないが。
オードリーはとにかく、
自分たちのラストイヤーである2008年のクリスマスに売れた。
それから13年が経つ。
この13年の間にも、
いろんな紆余曲折があるのだが、
話は2008年より以前に戻る。
2008年より以前、
オードリーは本当に、
箸にも棒にもかからない芸人だった。
、、、と、自分たちでいっている。
僕が言っているのではない。
若林さんは「暗黒の20代」といっているが、
金もなく人気もなく、
社会からゴミ屑のように扱われたあの10年間を、
彼は絶対に忘れられないし、
忘れてはなるものかと思っていると時々話している。
金がなくて洋服も1着しか持っておらず、
ユニクロで買った赤いチェックシャツをいつも着ていた。
不動産屋で風呂なしの安アパートを借りると、
内見のときに、
「うちら家賃30万円の物件紹介しても、
あんたみたいに3万円のアパート紹介しても、
収入一緒なんですよねー」と愚痴られ、
鍵をポンと手渡された。
「あ、自分で勝手に行ってきて」
30万円の客には同じことはしないだろうと思った。
入居してから不動産屋に電話したとき、
保留にされたときに相手が保留音を流すのを忘れ、
事務所内の会話が受話器から漏れ聞こえてきた。
「赤シャツが何かいってるんですけどー」
「あぁ、赤シャツね」
、、、
「大変お待たせしました、トイレの件ですね」
自分に赤シャツというあだ名が付けられていることを、
若林さんは受話器から漏れた会話で知ったが
相手にそれを悟られまいとした。
春日がそこそこテレビに出ている他の芸人と合コンに行くと、
開始30秒で春日だけ女の子から呼び捨てにされた。
社会からゴミ屑と思われる悔しさを、
彼らは胸に抱きながら今、
テレビで戦っている。
彼らに固定客がいるのはその反骨があるからだ。
この暗黒の10年に、
オードリーが芸人史に残る、
野心的な取り組みをしていたことは、
あまり知られていない。
「むつみ荘寄席」だ。
彼らはラジオがしたかった。
今はオールナイトニッポンという看板番組を持っていて、
オールナイトというブランドが危機に瀕したのを、
救ったのは彼らの功績だと言われている。
オードリーのオールナイトニッポンって、
ラジオの聴取率としてはあり得ない数字をたたき出し続けている。
0.7%というのがその数字だが、
これはラジオを聞く人が、
そもそも100人に2、3人ということを考えると、
ちょっと常軌を逸した高聴取率なのだ。
テレビに換算すると、
毎週30%取ってる感じだ。
そんな番組、今の時代、ない。
オードリーがラジオをしたかったのは、
暗黒の10年から変わってない。
当時はYouTubeもPodcastもないから、
彼らは考えた。
春日が住む、
日本で一番有名な安アパートである、
「むつみ荘」の5.3畳に、
ファンを集めた。
そこに座布団を重ねて高座をつくり、
彼らは集まった数人のファン相手に、
フリートークを聞かせた。
入場料を取ったかどうか忘れたが、
多分少額の入場料を取ったのだろう。
採算など合おうはずがない。
それでも彼らには構わなかった。
完全に内発的な行為だった。
芸を買ってくれる人がいない。
でも、芸で生きていきたい。
そのほとばしる「熱」と、
数人のコアなお笑いファンだけが取り結んだ、
奇跡的なライブが、「むつみ荘寄席」だ。
2019年、春日が結婚し、
むつみ荘から引っ越した。
オードリーは、
むつみ荘から「オールナイトニッポン」を放送した。
聴取率から換算すると、
最低でも全国で100万人弱が、
むつみ荘からのオールナイトを聞いた。
ラジコの放送や違法アップロードのYouTubeなんかも含めたら、
聞く人は200万人ぐらいになるかもしれない。
むつみ荘はGoogle検索すると出て来るぐらい、
全国的に場所を知られている。
むつみ荘は日本で唯一、
個人情報保護法が適用されない特区に指定されている。
あと器物損壊罪とか住居侵入罪とかも、
適用されないらしい。
曙がドアを壊す映像はあまりも有名だ。
海外の人があの映像を観たら、
なぜ逮捕者が出ないのかまったく分からないことだろう。
オールドリーANNの、
「さよならむつみ荘スペシャル」の話に戻る。
オードリーのヘビーリスナーの「リトルトゥース」と、
オードリーの信頼関係は厚い。
あの夜、もし放送中にむつみ荘まわりに人だかりができて、
警察に通報されようものなら、
オードリーANNは終了するリスクすらあった。
二人はリトルトゥースに呼びかけた。
「分かってるな。
絶対来ないように。
家で聞くように。」
と念を押した。
ファンはそれに応えた。
この放送は後に、
第57回ギャラクシー賞ラジオ部門を獲得した。
むつみ荘寄席の5、6人のファンは、
今、100万人の規模になった。
オードリーは日本のラジオ界を、
しょって立つ才能と認知された。
しかし、である。
今も彼らは、
「むつみ荘寄席」の続きをしている。
内発的動機付けでラジオをやっている。
テレビで別に興味もないパンケーキを食べ、
「やわらかーい」とコメントする仕事で、
心がどうにかなりそうなとき、
若林さんはラジオだけが救いだったといっている。
彼らは何も変わっていない。
変わったのは世間のほうだ。
世間が彼らを見つけたのだ。
何度も言うが、
「見付かる」のに、
10年かかったのだ。
世間は「見つけるのが遅い」のだ。
さて。
僕は何のためにこんな話をしているのか。
そう。
僕のnoteでの、
小説とエッセイが売れなかった話。
僕はこういう経験をするたびに、
「むつみ荘寄席」のことを思い出すのだ。
僕もまた、「赤シャツ」なのだ。
そしてときどき世間からゴミ屑のように扱われながら、
冷たいふきっさらしの風に当てられながら生きてる。
中島みゆきの「ファイト」でいうなら、
「冷たい水の中を、
震えながら上って」いる。
組織に属さず生きるということは、
既存の集金システムの外で生きるということだ。
誰からも頼まれてないのに。
そんな自分勝手な人間に、
世間は優しくしてくれるはずもないし、
そんなことは期待してはいけないのも、
百も承知で僕は飛び出したのだ。
noteの記事を、
全国で5人の人が買ってくれたとき、
僕は「むつみ荘寄席」を思い出す。
僕の七畳の部屋に5人が集まって、
僕の書いた文章に、
100円払って読んでくれた。
150円払ってPodcastを聞いてくれた。
僕はnoteでコンテンツを細々と売っている。
これは僕なりの「むつみ荘寄席」なのだ。
買ってくれる人は片手で数えられるぐらいかもしれない。
それでも、書き続ける。
そんなふうに僕は自分を鼓舞している。
フリーランスで生きるというのは、
誰からも頼まれてないのに、
自分が必要だと思ったことをする生き方だ。
それを世間が必要だと認識し、
それにお金を払う人が出て来たときに、
フリーランスははじめてお金を得る。
お金が得られない間は、
「赤シャツの屈辱」に耐える。
僕は一生赤シャツのままなのかもしれないし、
一生、むつみ荘寄席のままなのかもしれない。
それでも良い。
5人のひとを幸せにできたのなら、
笑顔にできたのなら、
それでも良いと思える人だけが、
冷たい水の中を、
震えながら上っていける。
この5人の購読者の方を胸に抱いて、
僕は今日も書き続ける。
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参考文献および資料
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・「オードリーのオールナイトニッポン」ニッポン放送
・『フロー体験 喜びの現象学』M・チクセントミハイ
・「ファイト!」中島みゆき
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