冷笑の時代に熱く生きる
もちろん、「部族」から「自由」になった人々は
「ドヂ」な振る舞いによって、
「部族」の「はえぬきのメンバー」からは「不信の念」を抱かれ、
「異分子」として排除されるし、「残酷」に嗤われる。
というのも、コミュニティや集団の多数派は
「テンポ」が「ズレ」ることをなによりも恐れているからだ。
バカの居直りでもなく、シニカルな冷笑主義でもない。
そのあいだとして、ドヂな存在が求められている。
―――『みんな政治でバカになる』綿野恵太
▼▼▼反骨を冷笑する日本▼▼▼
1年前から、本格的にLGBTQアライを前面に打ち出して、
発言し、行動してきた。
レインボープライドパレードにも参加したし、
週に一度、LGBTについて学ぶための動画を発信している。
LGBT当事者の居場所にも参加しているけれど、
僕の行動はアライとして世間や教会一般に働きかける、
という意味でもう少し積極的だ。
すべてのLGBT当事者が僕のような行動を歓迎しているわけではない。
そんなことは分かった上でやっている。
だから「当事者のため」というつもりは僕には実はあまりなく、
むしろ「シスへテロ社会」の一員として、
異性愛規範/男女二分法以外を排除するそのあり方を、
自らの尊厳のために変えたいと心から思っている。
こういった類いの生き方は日本では往々にして理解されず、
歓迎もされないのは知っていたけれど、
ここまで歓迎されないとは実は思っていなかった。
正直、もう無理かもしれないと思うことが年に何度かある。
もうこれ以上進めないかもしれないと思うことが。
その度に同志たちから勇気をもらい、
自分を奮い立たせている。
しかし僕の「奮い立たせ」に、
ほとんどすべての「日本的な人々」は、
冷笑をもって向かえてくれる。
差別や偏見に立ち向かおうとするとき、
日本で最も大きな逆風は、
差別や偏見それ自体ではなく、
「冷笑」なのだとこの1年で僕は学んだ。
「プラカード持って主張してる人とかってアレだよね」
「ああはなりたくないよね」
「自分の正義を振りかざしてイタいよね」
「あれのおかげでむしろ苦しむ人もいるだろうにね」
「本人だって孤立していくだろうにね」
差別/偏見と闘ってきた人々の歴史で、
こういった意見には名前が与えられている。
「宥和路線」だ。
この世界のマジョリティに「宥和」して、
意見をひっこめて、波風立てずに暮らしてくれれば、
私たちマジョリティは差別もせず拒絶もしない。
ちゃんと受け入れます。
受容します。
多様性を認めます。
でも、多少なりとも人権について学んだ人なら分かる。
それを実は多様性とも寛容とも受容とも呼ばないことを知っている。
「マイノリティの沈黙の上に成り立つ、
偽りの平和」を平和とは呼ばない。
キリスト教もそれを平和と呼んでこなかったし、
僕もそれを平和とは呼ばない。
日本には偽りの平和を愛する人がどうにも多くて困る。
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