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お 「岡山」


小学校5年生の夏に、僕は父親の仕事の都合で愛知県知多市から岡山県倉敷市に引っ越した。「転勤族」だったので、引っ越しは人生において常態化していたが、もしかしたら僕の人生で最もインパクトの大きかった引っ越しは岡山への引っ越しだったかもしれない、と大人になった今、思う。多感な時期の引っ越しは人格形成に大きな影響を与えたし、思春期を過ごしたのが愛知か岡山か、という違いにおいても大きかった。

それが良い変化だったのか悪い変化だったのか、という価値判断はつきかねる。「愛知で思春期を過ごしたバージョンの自分」を、ラノベの転生もののように実験することはできないし、人生というのは複雑系なので、バタフライエフェクトのように、何がどう作用してこうなった、ということを単純に因果づけられないからだ。

ゆえに僕は「ブライトサイド(良い面)」だけを常に見たいと思っている。

去年の秋、僕は人生の節目を感じていて、自分なりに心の整理をつけるために、1週間の岡山旅行に行った。妻が協力してくれて、ひとり旅をすることができた。30年前に思春期を過ごした倉敷を歩き、岡山の空気を吸ったとき、あぁ、こういうところが自分は岡山っぽいんだなぁ、とかいろんな事を考えた。

特に倉敷の美観地区にある大原邸で、大原孫三郎の言葉たちに触れていると、あぁ、これは岡山のスピリットだ、と思った。「人の真似はするな」「伝統は破るためにある」「過半数が賛成するようなことはやる価値がない。2割ぐらいしか賛同者がいない仕事こそやる価値がある」。こういった独立独歩の姿勢が、岡山なんだなぁ、と。

甲本ヒロトも岡山県人。ハチミツ二郎も岡山県人。藤井風も岡山県人。水道橋博士も岡山県人。岡山県人は何か、「誰かを参照していない」という潔さがある。「東京に追いつけ」とか思ってない。隣の大都市広島も、西の中心・大阪も見ていない。「岡山は岡山であることに一生懸命じゃけー、他の人を見てる暇はないんじゃ」という格好良さがある。野武士のような格好良さが。僕は思春期に、そういった岡山の美学を内面化したんだろうなーと思った。「僕の心の岡山県人」は今日も元気だ。


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