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風邪を引いた

能力がある人、気力が溢れている人というのは、
体力がある人のことなのです。
       ―――吉越浩一郎



▼▼▼風邪を引いた▼▼▼


風邪を引いている。
一昨日の日記に身体が弱い話を書いたばかりで恐縮だが、
僕は風邪を引いている。

昨日はやるべき仕事もあまり進まず、
早いところ布団に入って寝汗をかき、
ポカリを飲み、風邪薬を飲み、
朝起きてもまだ治らない。

僕は頻繁に風邪を引く。

というより、
流行っている風邪を全部引いている気がする。
スマホももたずテレビもつけない僕は、
流行歌、流行のファッション、流行のタレント、
流行の食べもの、流行の言葉遣い、
あらゆる「流行」と距離を置きながら生きている。
「流行とは言葉の定義により時代遅れだ」
というpatagoniaの創業者、イヴォン・シュイナードの教えに、
僕は忠実に従っているわけだ。

天邪鬼の岡山県人が僕の中に住んでいるので、
「流行っている」といわれると、
本当は興味があったのに、
急に要らなくなるぐらいだ。

それなのに、
流行の風邪は全部キャッチしている。

免疫力が弱いのだ。
陣内俊という70兆個の細胞から成る国家は、
防衛予算がどうやら足りてないらしい。
頻繁に征服者やスパイに侵入され支配される。
この3年間、それでも、
コロナにだけは罹患しなかったのは奇跡みたいなものだ。

自分の身体が嫌になる。
免疫力はなかなか鍛えられない。
いっぱい寝る。
バランスの良い食事。
適度な運動(週5回の筋トレ)。

全部やってる。
でも、見事に風邪を引く。
本質的な身体の弱さというのは、
後天的には変えられないのだ、多分。


▼▼▼人生双六▼▼▼


身体の強い人が本当に羨ましい。
「丈夫な身体に生んでもらった」
というだけで、人生の50%ぐらいは勝っていると思う。
人生双六で、「丈夫な身体」というオプションを引き当てた人というのは、
1~24まで出目があるサイコロを持っているようなものだ。
サクサク前に進める。
「虚弱体質」というオプションを引き当てた僕のような人間は、
1~6までの標準サイコロで、
しかも「1回休み」「3回休み」などのマスを頻繁に踏む。
勝てるわけねーだろ、と思っちゃう。

身体が丈夫な人は、
なぜ僕たちがこんなに苦しんでるのかが分からない。
怠けているのかと思われることすらある。
でも、必死なんだぜ、結構。

そして、身体の弱さを他のものでカヴァーしようと、
知恵を使う。脳みそが引きちぎれるほど考える。
そして、やっと追いついたと思ったら、
相手は「24」の出目をだし、
はるか前方に行ってしまう。

永遠に追いつけないぜ。


▼▼▼成熟の価値▼▼▼


しかも、である。
僕は45歳だ。
40歳以上の人には分かると思うが、
中年を過ぎると、人間の回復力というのは一気に落ちる。
(身体が強い人も同じことを言う。
 でもベースが違うから、
 多分僕の20代が身体の強い人の中年時代、
 僕の40代は身体が強い人の老年期、
 みたいな体力の対応になってる気がする)

いずれにせよ、
どんなに屈強な人でも、
中年期を過ぎれば身体の回復力は相対的に落ちる。
だからイチローだって現役を引退したのだ。

どこでぶつけたか分からない青あざができてたりする。
そしてその青あざが2週間とか経っても消えない。
こんなことは20代にはなかったはずだ。
青あざというのは3日もすれば薄れていた。
それが2週間経っても残るというのは、
代謝が落ちている証拠だ。
細胞が選手交代するスピードが落ちているのだ。
老廃物を排除するスピードが落ちているのだ。

そうすると当然、
風邪だって治りにくくなる。

僕という70兆個の細胞からなる国家は、
いちど侵略されると、
外敵を排除するのが難しくなる。

双六で今までは「1回休み」だったのが、
「4回休み」になってくる。

加齢というのは残酷なのだ。

生物学的に言えば、
45歳を超えた人間というのは、
たぶん「メーカー保証期間」を過ぎている。
いつどんな致命的な疾病や不調に見舞われても、
まったく不思議ではない。

だから医療の発達していない時代、
「人生五十年」だったわけで。

そんなわけで、
半分ゾンビみたいにして生きている中年以降の僕は、
さらに「身体が弱い」というハンディキャップを背負い、
それでも頑張って生きている。

健気ではないか。

せめて自分を慈しんでやりたい。
この自分を愛おしいと思う。
最近は強くそう思う。

ますます思い通りにならなくなる自分の身体と、
それでも折り合いを付けながら、
自分を慈しみながら、
腐らずに粘り強く人生を紡ぐ。
それが「成熟」というものではないかとも、
最近は思うのである。

ジェームズ・フーストンというカナダの神学者は、
こう書いている。

〈人生のそれぞれの段階には、
その段階に応じた適切さがあります。
しかしビンテージワインのように
「成熟したクリスチャン」の証しや生き様を通して、
私たちの人生は最も豊かにされ、
喜びと楽しみが溢れるものとなるのです。〉
(『キリストのうちにある生活』115頁)

キリストのうちにある生活

、、、僕はビンテージワインになれるだろうか。
それとも、発酵に失敗して、
ただの味が悪い赤い酢になってしまうだろうか。

40代をどう生きるかで、
その勝負が決まるような気がしている。

「我々は、他から得ることによって生活するが、
 与えることによって人生を築く」

という格言もフーストン師は紹介している。
ヴィンテージワインになるためには、
「与えながら生きる」ということが大切な気がする。
挑戦していこうと思う。

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参考文献および資料
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『気力より体力』吉越浩一郎
『キリストのうちにある生活』ジェームズ・フーストン


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