う 「海」
「海辺と山の中、住むならどっち?」という質問がある。「沖縄や湘南と、長野や富良野、どっちが好み?」みたいなことだ。僕はいつも分からなくなる。どちらも選べないような気がしている。「人間は幼少期を過ごした環境を結局は求める」とか「生まれた季節を好きになりやすい」とか、そういうのは俗説の類いなのだろうけど、なんか説得力があるなあと思う節もある。
それで言うと僕は「海」にルーツがあるっぽい。母親は愛知県蒲郡市という海の近く生まれで、父は佐賀県の生まれなので、たぶん両親とも「海の近く」がルーツだ。けれど、僕はなぜか「深い森」みたいなものに、たまらなく心惹かれる部分も持ち合わせている。それがなぜなのかはまったく分からないのだけど、帯広に住んでいたときの白樺の森とか、映像作品や童話などで見聞きするドイツやスイスの森の中に、非常に引き込まれる。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活』は自分の理想なのではないかと思えてくる。
僕は海の「開かれた感じ」も好きだし、森の静謐さも好きなのだ。
さっきの生まれと土地の結びつきは俗説だとしても、「海洋性の性格」と「森林性の性格」みたいなものはあるように思う。沖縄やフィリピンなど南国の人の「なんくるない」感じは、やはりあの海に見つめられ育まれたことによる影響が絶対あると思うし、ドイツやスイスのアルプスの森の中から、とんでもなく小難しいことをこねくりまわす哲学者がたくさん出てくるのは、やはり静謐と雪の中に閉じ込められるからこそなのではないかと思う。
僕の中に「沖縄・海人(うみんちゅ)的な部分」と、「ドイツ・観念論哲学者的な部分」が共存しているのだと思う。結論は、どちらも選べない、が答えになる。
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