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テレビ、ラジオ、文章

心の内にあるものを明らかにすれば、
明らかになったものがあなたを救うであろう。
心の内になるものを明らかにしなければ、
明らかにしなかったものがあなたを滅ぼすかもしれない
  ―――グノーシス派 トマスの福音書(アン・ラモットの意訳)


▼▼▼ラジオは陰キャのもの▼▼▼

PodcastやYouTubeを始めて4年が経つ。
誰も聴いてないのではないかと思いながら続けているが、
リスナーは徐々に増えていたみたいで、
この前偶然見つけた「日本Podcastランキング」っていうサイトで、
僕の番組「私塾 陣内義塾」は、
一時的にではあるけど「キリスト教」カテゴリの2位になっていた。
(このことは動画でも話した。アップはこれからだけど)

虚空に向かって話しているようで、
マイクの向こうにリスナーがいる、
という「つながり方」は、
僕にとっては非常に心地が良い。

多分だけど、ラジオがハマるという現象が起きるのは、
発信者も受信者も「内向的」という要素があるときのような気がする。
ラジオの帝王・伊集院さんも、
オールナイトの大御所・岡村隆史さんも、
その本質において極度に内向的だし、
オードリーのオールナイトニッポンは、
若林正恭さんの内向性に人気の理由がある。

僕が愛聴しているラジオ番組たちは、
内向的な人々が、
その内向性の素晴らしさを発揮した結果、
とても魅力的なものになっている。

内向性の素晴らしさとは何か?

内向的が「外交的の否定型」で語られる、
「外交性圧力」が強い現代社会で、
内向性の魅力は肯定型で語られることは少ない。

物事の表面よりも、その奥にある本質に迫りたいと願うこと。
流行や数値化された結果よりも、普遍的な真理に興味があること。
大人数と知り合いになるより、
少数の人と親密な交わりを持ちたいと強く願うこと。
人から承認されることより自分が納得するほうが大切なこと。
何より、自分との対話が豊かで、
自分自身が最高の親友であること。
(だから内向的な人はパーティーが嫌いだ。
 人が嫌いなのではない。
 パーティー的に人とつながるほど暇じゃないのだ。
 少数の親友および自分の内面との対話に忙しいから。
 誤解を恐れずにいえば内向的な人も「人は大好き」だ。
 「好きであり方」が外向的な人と違うだけだ。)

「陰キャ」という言葉と、
僕がここで言っている内向性は、
似ているようで微妙に違う。
でも、大雑把に言えば、
「ラジオは陰キャのもの」というのは正しい。

リスナーも陰キャならパーソナリティーも陰キャ、
そういう場合に、ラジオは成功する。

だからニッポン放送にありがちな、
「テレビの次世代スターを青田買いしてパーソナリティにする」
という目論見は大抵、挫折する。
「スターを目指す」人はその定義から陽キャで外交的だ。
ラジオリスナーはたいてい内向的で内省的なので、
外交的な人の外交的な話を「薄っぺらい」と感じてしまう。

スターがスターと飲んだ話を聞きたいのではない。
ひょんなことからスターと飲んだ後、
「なんであんなこと言っちゃったんだ」と後悔したり、
俺があんな場所にいてきっと全員違和感を感じただろうなー、
と飲む間ずっと感じていて死ぬほど疲れ、
帰りに憂さ晴らしにゲーセンでスト2してたら、
スターと飲むより100倍楽しかった。
何のために芸能界入ったんだ俺!?
みたいな話をラジオリスナーは聞きたいのだ。


▼▼▼書くことと、話すことと▼▼▼

そんなわけで、僕はラジオと相性が良い。
いつか、地上波のラジオに出演したいとすら思っている。
もちろん、ニーズがあるならば、という話だが。
ラジオパーソナリティは僕に合っている。

もうひとつ。

じゃあ、書くことはどうなんだ、と思う。
書くというのはラジオで話すことともまた違う。
非常に似ているのでこの違いを言語化するのは難しい。
難しいからこそ言語化してみようと思う。

そもそも面白いラジオパーソナリティはおしなべて読書家である。

山里亮太さんも、
オードリーの若林正恭さんも、
伊集院光さんも、
「芸人なのになんで本なんか読んでんだ?」
と同僚や先輩から嘲笑された過去を持つ。

そしてこの3人とも面白いラジオ番組を持ち、
なおかつ面白い書籍をたくさん出版している。

じゃあラジオと文章は同じか?

これが同じじゃないのだ。

テレビスターが地上のステージのうえだとすると、
ラジオパーソナリティは地下一階で活動している。
そして、文筆というのは、地下二階で行われる行為だ、
という仮説を僕は立てている。

どういうことか。

文章を書くという行為ほど孤独なものはない。
マイクの前で話すことよりも孤独だ。
Podcastを録音しているとき、
僕は誰かと「対話」しているような気持ちになり、
そしておそらく脳の「対話」の部分が活性化している。

僕は会話は苦手だが対話は得意だ。

・会話能力:0
・対話能力:100(Max)

たぶんプレイヤーがゲームを始めるときに、
ステータスの振り方を間違えたのだ。
コントローラーを持つ手が滑ったのだ。
僕のステータスは本当にいびつだ。
バランスの良い五角形ではなく、
「線」みたいになってる。
この世の中は「五角形ステータス」にとって
生きやすいようにデザインされているから、
とかく生きづらい局面は増える。

そんなわけで対話が得意で、会話が苦手だ。
会話は地獄のように続かないが、
対話は永遠にしていられる。
だからラジオで永遠に話せるのだ。
ラジオは会話ではなく対話だから。
(あ、FMラジオは会話かもしれないが、
 AMラジオは対話だ)

文章を書く行為は対話ですらなく、
静謐な場所で思索に耽るのに近い。
文章を書いているのは座禅を組んでいるのに似ている、
と僕は最近思う。

自分の内面にそっと降りていく。
深海探索調査船のように、
深く、深く、太陽の光が届かない地点まで、
ゆっくりと降りていく。

そこに泳いでいる何かを発見する。
クリーチャー(被造物)として、
デザインがどうかしてる生きものたちを発見する。
姿を見せてくれることもあるが、
まったく見つからないこともある。

でも、太陽の光が届かないその深海で、
自分の呼吸音だけを聞いていると、
僕は精神の自由を感じる。
矛盾しているようだが、
本当の自由に到達するには、
深海の不自由を経由する必要があるのだ。
これも内向的な人間の特徴らしく、
この時間がなくなると内向的な人は、
自分が英語でいうShallow(薄っぺら)に思えてきて、
活力を削がれる。

だから書くことは、
僕にとっては生き抜くための術なのだ。
Podcastで話すこととも違う、
もっと深い部分にある核と、
僕が自己対話するために、
「書く」という行為はあるのだ。

多分。

そしてその「声」を、
文章を読むことを通して聴いてくれる誰かは、
深海で僕と出会う。
これは地下一階での出会いであるラジオとも違う。
地下二階の部屋で出会うのだ。

だからラジオより文章のほうが深い出会いだから良い、
みたいな話ではない。

文章には文章の、
音声には音声の出会い方があるのだ。

どちらが大変か?

もちろん文章を書くことのほうが大変だ。

深海まで降りていかないといけないから。

でも、どちらが実り多いか、
と聴かれると、
即答できない。
そもそも性質が違うから。
でも、書くことでしか得られないものがあるのは確かだ。

書くことでしか到達できない心の深淵ってのがあって、
その部分を探索することが僕は好きなのだ。
「あぁ、自分はこんなことを考えてたのか」ってやつ。
新しい自分とそこで出会える。
名付けられていなかった感情に名前が付けられる。
その瞬間が好きで、僕は書くことがやめられずにいる。

ラジオリスナーはテレビ視聴者の100分の1ぐらいだと思う。
そして文章を日常的に読みたいと願う人間は、
ラジオリスナーのさらに10分の1ぐらいではないかと僕は思う。
だとすると、
文章のニーズ(市場)はテレビの1000分の1、
ってことになる。
だいたい合ってると思う。

テレビって視聴率10%だとしても最低1000万人が見てる。
ラジオは「超人気オバケ番組」でも聴取率は1%以下で100万人以下、
書籍は昨今、10万部で大ヒットと言われる。

ほら、だいたい見立ては合ってるでしょ。

でも、ニッチなところに深く刺されば良いと思う。
「すべての小説はひとりの人間に宛てた手紙である」という言葉を、
スティーブン・キングは紹介している。

ひとりが読めば良い。
そのひとりに向けて書く。
そう思って僕は書く。

その最初の受益者は僕で、
次の受益者がこれを読んでいるあなただ。
それでいい。

書くことは楽しい。
苦しいけれど、それでも楽しい。
書くことで僕はこの人生を生き抜いてきた。
これからもそうやって生き抜いていく。
そういう人種なのだ。
もしそういう奇特な人が僕以外にいるのなら、
ご一報いただきたい。
友だちになろう。


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参考文献および資料
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・『内向的な人こそ、強い人』ローリー・ヘルゴー
・『書くことについて』スティーブン・キング
・『ひとつずつ、ひとつずつ、書くことで人は癒やされる』アン・ラモット

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