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よにでし読書会 5月31日開催 解説③

 今月の書籍:『ガンディーの真実』 
 開催日:2024年5月31日金曜日 20:00~22:00




ガンディーの真実


著者:間永次郎(はざま・えいじろう)
出版年:2023年
出版社:ちくま新書

リンク:

https://amzn.asia/d/eRU12Gs


▼▼▼サッティーヤグラハはストライキと何が違うのか▼▼▼


→P147 
 ガンディーは説明した。一般的なボイコットやストライキが非武装であるのは、単に運動者が武器を持たないからであり、物質的力に対する精神的な力(「魂の力」)の優位を自覚しているわけではない。それがゆえに、これらの運動者は武器を与えられれば、すぐに暴力に依拠するようになる。それに対して、サッティヤーグラハ運動者は、仮に武器を与えられてもそれらに依拠せず、むしろ相手がふるう暴力を敢えて自発的に引き受けることで、自分たちが主張しようとしている「真実」のい正当性を示そうとする。もし運動者の言い分が正しいものであるならば、正しい理由のために運動者が殴られている姿は、相手の魂、良心を揺さぶる(つまり、罪悪感を発生させる)はずである。これが魂の力の重要な効果の一つである。真実にしがみつこうとする人々が暴力を被る姿が相手に引き起こす心理作用は、暴力による外面的強制よりもはるかに強力であり、結果的に持続的な社会変容を可能にするという。

 一方で万が一、運動者が主張する真実が単なる思い込みや間違った信念であったとしても、そのような間違った信念によって社会を騒がせた罰を、運動者は既に暴力を引き受けることで科されていることになる。サッティヤーグラハ運動は、仮に運動者が主張する真実が正しくても間違っていても、どちらにしても相手を傷つけないのである。この運動者の魂の力に対する自覚と信念が、サッティヤーグラハ運動と一般的なボイコット・ストライキとを分かつ分水嶺であると説明された(『新しい生命』紙1924年5月18日号)。

ガンディーの真実


、、、サッティーヤグラハと、
ストライキ/ボイコットの違いは何か。
それは「非暴力」の理由だとガンディーは理解していました。
ストライキ/ボイコットは、消極的に非暴力なのだけど、
サッティヤーグラハは積極的に非暴力なのです。

抑圧者に対して異議申し立てをする。
ノーガードで、非武装で。
抑圧者は被抑圧者を逮捕するかもしれない。
警棒で殴るかもしれない。
ときには戦車でひき殺すかもしれない。

しかし、「殴られているその姿」こそが、
魂の力を解き放ち社会を変えるのだとガンディーは主張したのです。
ガンディーらの独立運動が「塩の行進」や「糸紡ぎ」であって、
武装勢力によるクーデターでなかったことはじっさい、
インドの独立を持続可能たらしめました。
もしガンディーの運動が軍事クーデターだったならば、
おそらく「ガンディー政権」を潰すための、
傀儡政権をイギリス政府は擁立し兵器を流し、
「首のすげ替え」が起こっただけでしょう。
かつてニカラグアに米国がしたように。

ガンディーの抵抗が非暴力だったからこそ、
インドの独立は達成されました。
サッティヤーグラハの力が証明されたのです。

また、万が一自分の主張が間違っていた場合、
すでに殴られているから罰を受けている。
正しかったとしても社会を変えられるから正解、
間違っていたら制裁を受けるので正解、
というロジックも面白いですよね。


▼▼▼完全な非暴力>非暴力的暴力>偽善的無抵抗▼▼▼


→P192~193 
 ここで重要なのが、ガンディーはこのようなうわべだけの非暴力よりは、暴力に依拠してでも勇敢に立ち上がって抵抗した方がよっぽど「非暴力的」であると見なしたことであった。ガンディーはこのような、完全な非暴力には至らないが、無抵抗状態には勝る暴力的抵抗を「非暴力的暴力(暴力の中にある非暴力)」と呼んだ。

 つまり、『ギーター』の学びによって彫琢(ちょうたく)されていったガンディーの非暴力思想は、1.完全な非暴力、2.非暴力的暴力、3.偽善的無抵抗という三つのレイヤーによって構成されるものであった。
 加えて、もう一つ重要なことは、ガンディーはこのような完全な非暴力を『ギーター』で説かれる『アナーサクティ・ヨーガ(結果を顧みない行為)』の概念とも結びつけた点である。ガンディーは、もし人間が完全な非暴力に努めているならば、必ず世界は良い方向に向かうはずであり、仮に世界が一時的にそのような良い状況に人間の目からは見えなかったとしても、それは神意に反することはないとした。ゆえに、行為の結果をあれこれ思い煩うことなく、一心不乱に自らの宗教的義務に従事すべきとした。換言すれば、完全な非暴力の行為者はいかなる結果(仮にそれが常人の目から明らかに暴力的な状況に見えても)に対しても道徳的責任が問われないということになる。

 以上のようなガンディーの非暴力思想の特殊性は、ラージチャンドラやトルストイには見られないものである。ガンディーの力強い非暴力思想の教えは、武力を有しない多くのインド人一般大衆にイギリス人に打ち勝つ希望を与え、彼らの心を奮い立たせた。〉

同上

、、、「非暴力的暴力」っていう言葉も面白いですよね。

1.完全な非暴力
2.非暴力的暴力
3.偽善的無抵抗

前回の解説でも紹介しましたが、
ガンディーは1を最も良いもの、
そして3を最も駄目なもの、
と思っていました。

構造的差別がそこに存在する場合、
最も勇気がある人は非暴力の抵抗を選ぶ。
次に勇気がある人は暴力によってでも抵抗する。
最も勇気がない人が抵抗せずに現状を肯定する。

よく「無投票は自民党への一票と同じ」と言われますが、
構造的差別があるときに、
「黙っていること=中立」ではありません。
「黙っていること」は、差別する側に加担することと同じなのです。
この部分を分かっていない人が、
冷笑主義的に「どっちもどっちだよね」と自分を超越的な位置に置き、
運動している人の運動を無意味だと言ったりします。
しかしその人は実際には、
「何も言わないこと」によって暴力に加担しているのと同じ事だ、
とガンディーは看破したのです。

さらに、「目的を達成すること」が必ずしも大事ではない、
というのも面白いですよね。
「真理への絶対的な信頼」がガンディーにはありました。
これは限りなくキリスト教徒の神への帰依の感覚に近いものでした。
だから、もし運動した結果、
社会が変わらなくても、「真実にしがみついた」
ということ自体に価値があると考えたのです。
ここがガンディーの「プラグマティスト」とは違う魅力です。
これもまた、キリスト教の殉教や従順の精神と似ています。
私たちは愛します。
その結果何も変わらないかもしれない。
その結果、何の実も見ないかもしれない。
それでも、愛するのだ。

報いは「向こう側」にちゃんとあるのだから。
ヘブル書11章とかの考え方に近いですね。


▼▼▼ヒンドゥトゥヴァとは▼▼▼


→P205~206 
 従来の歴史家の間では、チャウリー・チャウラー事件(インドの貧農による警察への暴行のときは非暴力を貫き、ガンディーは抵抗を休止した)に対するガンディーの「非暴力」対応ばかりが語られ、モープラー事件(ムスリムによるヒンドゥー教徒の1万人の虐殺に際し、ガンディーは宥和という目的のために手厳しく批判せずスルーした)に対するガンディーの「非暴力的」対応はほとんど語られてこなかった。これにより、近代インドの宗教対立をあおってきたヒンドゥー至上主義のイデオロギーである「ヒンドゥトゥヴァ」を掲げる民族奉仕団(Rashtriya Swayamsevak Sangh 通称RSS)の設立背景にガンディーの非暴力政策が密接に関連していたことが指摘されることは管見の限り皆無である(現在インドの与党であるヒンドゥー右派政党のインド人民党はRSSを支持母体とする)。

 ガンディーは1948年1月30日に、かつて地下テロ組織として活動していたRSSの元メンバーに銃弾三発を受けて暗殺された。ガンディーを殺害したナトゥラーム・ゴードセーはその殺害理由をガンディーの「ムスリムに対する頑強な宥和政策」に求めている(『恐れながら申し上げる』1979年)。
 第一次独立運動が終了してから3年後の1925年に、ヒンドゥー教徒を武装化し、ムスリムからヒンドゥー教徒を護る目的で、RSSはK・B・ヘードゲーワールという人物によって設立された。このヘードゲーワールにRSSの設立を動機づけたのが、彼が深く尊敬し、密に交流していたV・D・サーヴァルカルというマハーラーシュトラ出身の活動家・知識人が1923年に刊行した『ヒンドゥトゥヴァの本質』という本であった。この本はタイトルにあるとおり、ヒンドゥトゥヴァのイデオロギーを明確な宗教的対立概念として打ち出して、その概念を広く世に広めた著作であり、しばしばヒンドゥー・ナショナリズムの種本として知られる。

 実のところ、サーヴァルカルは、この本が書かれた同じ時期に(『モープラー、なぜ気にかけねばならないか』)と題する小説をも執筆している。この本の前書きでサーヴァルカルは「ガンディー氏のような指導者たちがこの(ヒンドゥー教徒の)統一に永遠の脅威を与えた」と記した。サーヴァルカルはモープラー暴動を機に、インド人ムスリムが手に負えないほど凶暴化したと見なした。そして、ムスリムの脅威に対してガンディーが無力・無責任であるがゆえに、ヒンドゥー教徒は自らを武装化して守らなければならないと訴えたのであった。〉

同上

、、、私は2008年に4か月インドに滞在しました。
そのときにインドの方から「ヒンドゥトゥヴァ」と、
RSSについては初めて教えてもらいました。
滞在中、オリッサ州でヒンドゥー教の暴徒がキリスト教の教会を焼き討ちにする、
という集団虐殺事件がありました。
生きたまま焼かれて生き延びた少女や、
燃やされた聖書や十字架が、
インドの一般の雑誌のカヴァーになっていたりして、
当時はかなりひどい状況でした。
国際社会もそれなりに注目していましたが、
日本ではあまり大々的には触れられなかった印象です。

一番ひどかったのはその二年前、2006年のグジュラト州で起きた、
ヒンドゥー原理主義の武装勢力によるモスク襲撃で、
数百人が犠牲になり、当時グジュラト州知事だった、
現在の首相・モディ氏はブッシュ政権のアメリカから、
「入国禁止措置」を受けます。
彼が原理主義勢力に対して手厳しい制裁をしなかったので、
それが「人道にもとる」とされたためです。

それもそのはずで、
現在のモディ首相はヒンドゥー原理主義の出身で、
ヒンドゥー政策を進めるBJPの政治家、
つまりゴリゴリのヒンドゥトゥヴァ思想の人だからです。
現在、インドではキリスト教を含む他宗教(ヒンドゥー教以外)の宗教者や信者は、
様々な意味で「締め付け」に遭っていると、
2019年の再訪のときにも多く聞かされました。

その「ヒンドゥトゥヴァ」とガンディーの関係について、
本書で言及されていたので私は興味を引かれたのです。

引用箇所に書かれているように、
ガンディーはヒンドゥー原理主義勢力に殺害されました。
その理由は、ガンディーが「ダブルスタンダード」だったのでは、
というヒンドゥー原理主義者たちの怒りでした。

ガンディーはヒンドゥー教徒が警察に対して蜂起したときは、
警察を利するような非暴力をヒンドゥー教徒に対して説き、
逆にイスラム教徒がヒンドゥー教徒を襲うと、
そのときはイスラムを手厳しく批判しなかった。
イスラームにこそ非暴力を説いて、
厳しく批判するべきななんじゃないのか!
というのがRSSの不満で、
結局はガンディーはそのRSSの凶弾に倒れることになります。

これは本当に難しい問題で、
私の分析で合ってるかどうか分かりません。
(間違ってたら指摘してください)
でも敢えてたとえるとしたら、
アメリカで言うとガンディーって、
リンカーンのような「連邦主義者」なんですよね。
なので国内の多民族・多文化・他宗教・多言語をまとめる必要があった。
30以上の言語があり複数民族、宗教が混在するインド亜大陸をひとつにまとめる、
というのはそういうことです。
しかし、ヒンドゥトゥヴァ思想って、
アメリカで言うと共和党のトランプのような思想に近い。
「WASP(白人・アングロサクソン・南部・プロテスタント)」は、
インドで言うとヒンドゥー教徒の北インド系ってことになる。
ちなみに北インド系のインド人には、
アーリア人の血が入っていると信じられていて、
この人たちが「ブラフマン」という、
上位カーストの多くを占めていました。
イギリスがグリップしたのもこの地域およびカーストですね。

ところがガンディーは多民族/他宗教のインドをまとめる必要があったので、
「パワーバランス」を考えて、
敢えてイスラムを「擁護」するように見える行動を取った。
これが国粋主義者には我慢ならなかった、
という構図ではないかと思われます。

話を戻すと、
サーヴァルカルのヒンドゥー原理主義と、
武装してでもそれを成し遂げるという「意志」は、
現代インドでモディ首相とBJPという形で「実現」しています。
私は個人的にあまりインドのためにならないだろうなと観ていますし、
現地のキリスト教徒もそれを憂慮しています。
単純に「ヒンドゥー教=異教=悪」とは私はまったく思いませんし、
「インドが全部キリスト教の国になるべきだ!」
みたいなのは原理主義・帝国主義・文化侵略主義であり、
思想的には皮肉にもヒンドゥトゥヴァ的な「思い上がり」だと思っていますが、
それでもモディ首相の国家ハンドリングは、
宗教うんぬん以前に民主主義や人権を破壊するようなところがあるので、
(抽象度が高い意味の「キリスト教的」にも)マズいと思っています。

余談ですが安倍元首相は、
モディ首相とえらく意気投合したそうです。
……まぁ、「そういうこと」ですよね。


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