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生き残るのは俺かお前か

新型コロナウイルスの猛威は未だ衰えを知らず、世界を席巻中だ。国内でも第3波が押し寄せ、これまでにないほど感染が拡大している。

興味深いのが、この新型のウイルスに対する人々の反応の違いだ。

慎重派 vs. 楽観派

【慎重派】

新型コロナウイルスは未知のウイルスであり、非常に危険である。このままでは国内でも数十万人の死者が出る可能性がある。外出なんてとんでもないし、外食する人は常軌を逸している。政府は強制力を持ったロックダウンをすべき。

【楽観派】

新型コロナウイルスと言っても、症状はただの風邪である。インフルエンザと比較しても大騒ぎするようなものではなく、特に若年層の致死率を考えると取るに足らない。それよりも、経済活動の停滞によって生活が困窮した人たちの自殺者数の方に目を向けるべきである。

もちろん、慎重派と楽観派の中間というポジションを取る人もいるだろうが、大別すると概ねこの両派に分けられるのではないだろうか。これだけ分かりやすく意見が分かれるのは、私が知る限りパクチーの好き嫌い論争くらいである。

そして、マスコミは常に視聴率が取れる方にポジションを取るので、基本的には「悲観」的なトーンで報道し、公共の電波を使って「慎重派」の心配を増幅させ、「楽観派」の反発心を煽る。更に、SNSが普及した現代においては、お茶の間での論争に止まらず「慎重派」と「楽観派」の対立はネット空間で可視化され、更なる対立へと繋がっていくのである。

生化学物質による幸福感度

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(下)』226項(化学から見た幸福)にこのような記述がある。

生物学者の主張によると、私たちの精神的・感情的世界は、何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。他のあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのようなさまざまな生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される。

人間が幸福と感じるかどうかは外部要因ではなく、さまざまな生化学物質によるところが多い。という話で、この後には生化学物質による「幸福度調節システムの設定も、一人ひとり異なる」と続く。

幸福度に1 〜 10の段階があるとすると、陽気な生化学システムの設定は、その気分がレベル6 〜 10の間で揺れ動き、時とともにレベル8に落ち着く。(中略) 一方、運悪く陰鬱な生化学システムを生まれて待つ人もいて、その気分はレベル3 〜 7の間を揺れ動き、レベル5に落ち着く。

幸福度調整システムが生化学物質によるものだとすると、それはつまり遺伝子レベルで幸福の感度が“予め”決められているということになる。

なぜそのような違いがあるのかは、本書では触れられてはいない。

相容れないで当たり前

生化学物質と主観の関係を新型ウイルスに対する「慎重派」と「楽観派」に仮に当てはめて考えてみるとどうなるだろうか。

つまり、何らかの危機的状況に陥った際、人の反応は遺伝子レベルで悲観的か楽観的かが決められているという論だ。もちろん何の裏付けもないので飽くまで妄想の域を越えないが、そのように仮定すると個人的には色々スッキリする。

危機的な状況に陥った時、人類が種を残すために最優先すべきは「全滅しないこと」だ。AとBという選択肢があれば、どちらか一方に賭けるのではなく、どちらかが生き残れるようにリスクヘッジをする必要がある。その為に、人の反応は予め遺伝子にコードされた生化学物質の分泌によって悲観的(慎重)か楽観的か二分されるようになっているとしたら。

こう考えると、双方が自らの正しさを相手に分からそうとムキになっても無駄である。人類全てが慎重か楽観のどちらかに寄れば、人類は全滅する可能性がかつてはあったのだ。成熟した現代国家では自らの行動を必ずしも自分だけで決められず、そこには法律や政治が介在する。それでもやはり、人々の反応は遺伝子にコードされた型に応じた反応をする。

愛おしき論争

上記のような仮説を立ててみると、私は「慎重派」と「楽観派」の言い争に人類がここまで生きながらえてこられた所以を感じるのだ。種を繋ぐ為の戦術を遺伝子コードに忍ばせて。なんと愛おしいのだ。

人類は700万年前にチンパンジーと袂を分かって、比較的安全な森を離れて草原へと歩み出した。ヒョウのような大型捕食動物に食べられた形跡のある人骨がいくつも出土していることからも、アフリカの草原は相当過酷な環境だっただろう。

なぜ、そんな草原に歩み出したのかは分からない。森に残る者と森を出る者。そこに論争があったとは思えない。何らかの性質の違いが残る側と出る側を自然と分けたのだろう。

旅立ちの日、もしそこに言葉があったのならどんな会話があっただろうか。

「俺たちはもう行くよ。できたらまたどこかで会おう。どうか元気で。」




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