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今さら聞けない尖閣諸島の話を5分で解説!

皆さんこんにちは、shunGoです!


前回は、日本と韓国の間で問題となっている竹島問題についての記事を書きました。

そして今回は、日本と中国の間で起きている領土問題、”尖閣諸島” について簡単に解説しようと思います。

尖閣諸島と聞いて、「日本と中国が領土を巡って争っている」というざっくりとした認識の方も多いかと思います。

今回はもう一歩踏み込み、5分間でこれまでの歴史から現在に至るまでの過程を分かりやすく解説しようと思います。

竹島問題と同様に、sensitiveな話題であり、情報に偏りがある可能性がありますがご意見ある方は優しく教えていただけると幸いです(^^)


①尖閣諸島とは?


誰しも名前だけは聞いたことがある尖閣諸島。まずはこの島の基本情報についてざっくり解説したいと思います。

尖閣諸島は沖縄県の宮古島や石垣島などの北西に位置しており、一つの島ではなく、五つの島と三つの岩礁から成り立っています。

「あれ?一つの島じゃないんだ。」

と思った方は特にこの記事は役立つと思います笑

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尖閣諸島は、古くから中国と日本の貿易において重要な中継地として活用されていました。詳しくは次の章で説明します。


② 尖閣諸島の歴史とは?なぜ問題になっている?


それでは、歴史を振り返りつつこの問題を見ていきましょう。

1、戦前

遠い昔、中国がまだ清や明の時代だった時から尖閣諸島は存在していました。

当時の琉球王国は中国と貿易を行っており、まだテクノロジーや航海技術が発達していなかったため尖閣諸島はお互いの国にとって航海の目印として役に立っていました。

しかし、ただの目印という認識がお互いにあり、島周辺は海産物が豊富であったにも関わらず両国とも尖閣諸島を所有しようという話はありませんでした。


そんな中、1884年に日本人の探検家、古賀辰四郎が尖閣諸島での海産業にビジネスチャンスがあるとみて、事業を起こすために日本政府に島を貸してほしいと訴えかけました。

それを受けた政府は、尖閣諸島が当時誰のものでもないことを入念に確認した上で、1895年に尖閣諸島を日本に編入することを閣議決定し、古賀に島が貸し出されました。


竹島問題と似ていますよね。竹島も、日本が誰のものでもなかった竹島にいち早く目をつけて自分たちのものとしました。


その後尖閣諸島は徐々に開拓され発展していき、200名以上が居住する立派なコミュニティとなりました。

さらに意外かもしれませんが、実は歴史上の書物からも中国側が尖閣諸島を日本のものだと認めていた証拠があると言われています。その書物は、1919年に尖閣諸島の西側に位置する魚釣島で遭難した31人の中国人を日本人が救助した出来事に関係します。

この救助活動を受けて中国側は日本に感謝状を送ります。

その感謝状の中に、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」と記載されており、尖閣諸島が日本のものであると認めていたと言われています。

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また、1953年のある日に中国内で発行された「人民日報」というメディアの記事にも、尖閣諸島が日本のものであったことを示す記載があるとされています。


2、戦後〜現在

第二次世界大戦で敗北した日本は、サンフランシスコ平和条約により日本の領土とされていた尖閣諸島がアメリカの占領下に置かれることになりましたが、1971年に日米間で結ばれた沖縄返還協定により、尖閣諸島は日本に返還されました。

そして、1971年に中国は突然尖閣諸島は自分たちのものだと主張し始めました。

”何でそんな急に?” って思いますよね笑

それは、尖閣諸島周辺の海域に大量の石油が眠っている可能性があると国連が1969年に発表したからだと言われています。

石油あるの!?石油あれば貿易で有利になれる!大金が手に入る!頑張って尖閣諸島を自分たちのものしたい!

という感じでしょうか。


そんな中、1972年に日中共同声明により日中関係の改善が決められました。この時、中国側は尖閣諸島問題について「まあまあ、とりあえずイザコザが起きそうな問題は今は置いておいて仲良くしましょうよ」という姿勢でこの問題は棚上げされました。

さらに、1978年に日中間で調印された日中友好平和条約の際にも中国側のトップは尖閣諸島問題はしばらく棚上げしましょうと発表しています。


ただ、日本側からすると違和感があると言います。

なぜなら日本の見解としては正式な手順で尖閣諸島を領土にし、1970年代に入って急に中国が領土権を主張し始め、中国側が自ら棚上げしたからです。

日本側の意見としては、中国が自ら主張を始め自ら棚上げしているだけであり、尖閣諸島についての問題は一切ない というわけです。

しかし、中国側も正式な声明として1992年の文書の中で、尖閣諸島は中国のものと表記したため、両国の間に緊張が走りました。


③中国側の主張とは?

1970年代に入ってから急に尖閣諸島は自分たちの領土だと主張を始めた(あるいは主張が目立ってきた)中国ですが、ここで中国側の主張も見てみましょう。

中国側の主張として、日清戦争後に結ばれた下関条約で日本が尖閣諸島を中国から奪ったと言っています。

日清戦争に勝利した日本は中国と下関条約を締結しました。この条約の中では、「勝ったご褒美に中国側の領土を少し日本に頂戴ね」ということで、台湾全島とその他島々を日本の支配下としますが、この中に尖閣諸島が含まれていたと中国側は主張しています。

ん??どゆこと??

つまり、こういうことです。

日本側の「中国の領土を少し頂戴ねリスト」の中に尖閣諸島が含まれていたでしょ、それってつまり尖閣諸島は中国に属していると認めていたってことですよね!?

という主張です。

もしそれが本当であれば日本の弱みとなってしまうのですが、実際の取り決めの中には尖閣諸島は「頂戴ねリスト」の中には入っていないとされています。

考えてみれば分かるのですが、日本側は1895年の編入から尖閣諸島は自分たちのものだと認識していたため、普通に考えればわざわざリストには入れないわけです。

また、下関条約は両国の同意のもとで成立したわけですが、中国側は敗戦国であったため、領土のことについて抗議しづらい立場だったと主張しています。


④現在はどんな状況なの?

日中共同声明から、お互いに問題を起こさないよう尖閣諸島への一般人の立ち入り禁止がされていましたが、ここ最近では中国側の圧力が強まってきていると言われています。

具体的には、尖閣諸島付近の日本領海への中国船の侵入が年々激しくなっていきました。

2010年に起きた、尖閣諸島付近の日本領海での中国船の違法航行による日本船との衝突事故は知っている方も多いかもしれません。

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また、このような中国側の不審な動きに対処するため、2012年に日本政府は尖閣諸島国有化宣言を発表し、これまで個人の所有物であった尖閣諸島を買い取り、国の所有物としました

これに対し中国側はさらに反発し、また他の外交問題やアメリカを含む政治的な側面の影響もあり、中国の日本領海への侵入はエスカレートしていきます。


⑤まとめ

尖閣諸島問題とは、遥か昔から存在する尖閣諸島の領土権をめぐる日中間の争いです。日本の正式な手続きにより認められた日本への編入ですが、1970年代に入って中国が突如として領土権を主張し始めてから両国の対立が続いています。

ー日本側の主張ー
正式な手続きを踏んで獲得した領土であり、中国側も認めていたはずだ。
中国側が問題を棚上げにしているが、そもそも尖閣諸島についての領土権に関しては議論の余地がない。
許可なく日本の領海に侵入することは違法だ。

ー中国側の主張ー
尖閣諸島は歴史上台湾に属するものであり、日清戦争後の下関条約にて日本が奪っていった領土である。
下関条約では敗戦国として発言権が弱かった。

<注意>

韓国との竹島問題の記事でも記載しましたが、この問題はあくまで政治的な問題であり国家間の問題です。

そのため、この問題を理由に中国人に偏見を持ったり、個人的に差別をするようなことはあってはいけません。

私は学生時代のアルバイト仲間で中国人の女性がいました。年上だったのですが非常に頭が良くて面倒見のいい素敵なお姉さんでした。

政治の問題と個人を結びつけるようなことがないようにしましょう(^^)



では、また!!!!!

【画像出典元】
https://www.spf.org/opri/newsletter/307_1.html
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO47712610U9A720C1000000/
http://senkakusyashintizu.web.fc2.com/page020.html
https://dailynewsagency.com/2010/11/05/senkaku/

【参考資料】
https://www.youtube.com/watch?v=Z--zC4ef6-A&t=607s
https://www.youtube.com/watch?v=W2SGmAJhVoo




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