東京の有力私大の多様性を考えてみる
書評を書いてます。とか言いつつ一発目がこれである。
しかも書いているのは夜中の3時過ぎ、君明日も仕事だろう。
さて、多様性やダイバーシティが叫ばれて久しい世の中ではあるけど、日に日に不気味さというか気持ち悪さが増している様な気がしてならない。街中を歩いてる時に真夏なのにスーツをビシッと着て笑顔で立っている宗教団体の信者を見た気分に似ている。彼らは陰に日向に同調を押し付けてこない分、多様性の方がタチ悪いかもね。
もちろん、意味なく人を傷つけることはあってはいけない。しかし、
可能な限り多様な属性の人を不快にさせない表現、発言を心がける方向に社会が進んだ結果、最大公約数的な無難な話ばかりになって誰の心にも残らない、なんてケースが増えてやしないか。誰にも嫌われないけど、誰にも好かれない社会ではないですかね。毒になるか、薬になるかは個人の胆力次第でしょう。結果居づらくなって、高山宏や山形浩生に逃げ続けている最近。
【多様性(笑)】
さて、本題。大学にいた時代から思っていたことなのだが、東京の私大はどこも多様性、ダイバーシティブームだ。多分この言葉がパンフレットに出てこない大学は無い。これさえ入れとけば良いでしょう、と言わんばかりにどの大学も多様性、多様性、多様性、、、。
多様じゃないじゃん。
いや、揚げ足を取りたいんじゃない。問題はその中身の話。
僕が通っていた大学は学部生の3割が留学生ということもあって多様性に関する取り組みは活発だったけど、そこを見て思ったことがいくつかあった。
①地方の学生が少ない。(一都三県出身者ばかり)
②多様性の画一化
大きく分けるとこの二つ。以下、順を追って説明。
①地方の学生が少ない
もうこれは多様化を進める上でノックアウトファクターじゃないか。
調べてみると、僕が通っていた大学では堂々と一都三県の出身者の比率が77%を占めていた。(誇るな、恥だろ)
ちなみに、一都三県は2022年の平均年収Best4と被っている。
学費の高額化が進む中で、平均年収が上位の地域から集中するのは当然かもしれない。僕のいた学部の人に石を投げれば3回に1回は世帯の平均収入(額面)が1000万以上の家庭出身者にあたるのではないか。つまり、受験校を絞り込む段階で経済的余裕がない人は足切りをくらう。国公立はセンターが足切りとして機能するが、私大の場合は年収である。
他にも図書館や書店の規模・予備校の選択肢、オープンキャンパスへのアクセスなど一都三県とその他の地域の学生はかなり差がある。
ちなみに僕の出身は茨城のやや北寄りの中央部だけど、オーキャンは1日がかりの一大イベント、地元の書店はコスメと携帯ショップと、CDレンタルが全部複合していた。(本なんかほとんど無い。)
育つ地域や、家庭の年収が変われば必然的に価値観や視点にも違いは出てくる。これを階級的にも地域的にもこれを幅広く吸収すると大きく変わると思っている。だが、これを無視して一部の地域の出身者が集まって多様性を語っても出てくるものは画一性が高いものじゃないか?
所属ゼミの先生に、卒業間近に一都三県出身者が多すぎるから今後ゼミ生採用の時には、もっと一都三県外出身者を増やすことと、入室希望者に親の所得書かせてみてはと提案したらドン引きされたっけ。
②多様性の画一化
①と関連しているけど、そりゃそうだよな。同じ様な人ばかり集まるんだから。どの大学のパンフレット見ても一つの机を男性・女性・分かりやすい留学生と外国出身の先生・時たま車椅子の人たちに囲わせたり、横一列に並んで歩かせたりしてる。満足そうだ。これで多様性を担保しましたと言わんばかりに。
しかも、学生の紹介に限って地方の人引っ張ってくるんだよね。
上手いな、本当に。
人間言葉を聞くと頭の中でそれに関連する情報や像が浮かんだりものだけど、多様性となって思い浮かべるのってそういうのじゃ無いかな。北朝鮮型パンフレット見たいな。捨象され続けた多様性は他にあり得た多様性の選択肢を徹底的に無視して巨大化してく。それに自覚的になり他の多様性に目を向けるにはやっぱり他の人との会話なり、読書なり外部の刺激が必要だけど、周りの人間が金太郎飴で果たしてそれがどこまで機能するのかね。
以上が、東京有力私大の多様性について思うところ。
さて、ここからはより色んなカテゴリの出身者を増やすための提案。
解決策① くじ引き入試
???
大真面目に言ってますよ。
既存の入試制度は全廃。(指定校も、内部進学も全部。ただしスポーツだけはちょっと特殊なのでそこだけは推薦を残す。)
その上で入学希望者は、就活サイトみたいに情報を登録してIDとPW作っておわり。出願費用も高くて2万円くらいにして、バイトでどうにかなる額にする。あとは、合格発表日にログインして確認すれば合否が決まるっていうのはどうだろう。東大理三に余裕で受かる人が落ちることもあるし、バイクで走り回っていたヤンキーが合格することもあり得る。だから代によっては、全員東京とかもありうるし、北海道9割なんてのもあるかもしれない。それは取らないといけないリスクだが、中長期のスパンで多様なら良いんじゃ無いか?
一点例外。社会人経験枠を設ける。一定期間以上社会人を経験した人がその証明を提出すれば出願できるようにする。もちろんこれもくじ引き。
ここで発生するのは学力差と、受かっても東京に残り続けることが出来るかという経済的なリスク。
解決策② 家庭の年収に応じた学費
??????
例えば、年収300万円以下の人は学費は基準の半分とか。1500万の人には1.5倍くらい払ってもらうようにしてもらう。奨学金も収入に応じて応募できるものを分けるとかね。成績別奨学金は2年目からで良いでしょう。学費は社会人になってからの後払いとかさ。
③卒業基準の厳格化
いや、無試験で入れたら学生の質が。となるので、卒業要件をめちゃくちゃ厳しくするってのはどうでしょう。アメリカや欧米の大学みたいに。
勉強に集中する環境は金の安定っていうならまず学生寮とかの整備が先か。
結局、企業なり大学院が求めているのは卒業時点での学生の能力なので、今まで全く勉強してこなかった人が勉強の面白さに目覚めるっていう副次効果もあるかもしれない。内部のチューターバイトとかもっと活性化させられるんじゃないか。
【まとめ】
ここで書いたものが実行されるとは正直思わない。
ただ、国公立と違って私大は企業なんだからスピード感を持ってできる可能性はまだ持っているはず。同じような学生ばっかり集めて多様性、という前に一旦自分の足場を徹底的に崩してみるのも良いんじゃないでしょうか。
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