札幌に、なぜ「俊カフェ」ができたか (1)

2017年5月3日、札幌市の中心街にほど近い、狸小路7丁目の1本南側に、詩人・谷川俊太郎さん公認「俊カフェ」をオープンしました。

なぜあなたが? なぜ札幌に? どういう経緯で?

お客様からも、取材をしてくださった方々からも、「どうして? どうして?」の質問をたくさんいただきました。

俊太郎さんは東京にずっとお住まいなのに、どうして札幌に私が「俊カフェ」を開いたのか。そのことを、まずは簡単に書いてみようと思います。

私の通っていた札幌開成高校(現在の市立札幌開成中等教育学校)の校歌の作詞は、谷川俊太郎さんでした。その当時はあまりそのありがたさを理解していない、残念な生徒でした。

その後東京で勤め始めた頃のこと。テレビCMで「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」というコピーを見て、その世界観に一目惚れ。後日入った書店で、同じタイトルの詩集と出会いました。著者は谷川俊太郎。

「あ、校歌の人だ」

そう思い迷わず購入し、すぐに読み、俊太郎さんの詩にハマりました。★

その数年後、今度は札幌の雑誌社で編集をしていた頃、俊太郎さんの息子である谷川賢作さんがバンマスを務めるDiVaと出会います。現代詩を歌うグループ。なんと素敵なんだろう。今度は歌にはまりました。★

この出会いで、私はDiVaのボーカル高瀬“makoring”麻里子さん(通称まこりん)と仲良くなり、俊太郎さんの話を聞くようになります。

そしてさらに月日が流れ2012年、高校の50周年記念式典に、校歌と50周年記念歌を作詞されたご縁で、俊太郎さんが来賓でいらっしゃいました。そしてその時、校長先生をされていたのが、私の高校時代の恩師。

俊太郎さんにお会いしたいです!とお願いし、お見送りの時に1時間ほどの対面が叶いました。奇跡! その数日後、俊太郎さんからoblaatという「詩を本の外に開くプロジェクト」の鉛筆を送っていただき、グッズにハマりました。★


こうして詩、音楽、グッズにハマった私は、2015年、友人のギャラリーで『とても個人的な谷川俊太郎展』を開催。延べ1000人以上の方が来場され、「常設の場を持ちたい」と思うようになりました。 続く。

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