写真史の稀書・奇書・寄所(1)ー『L'art en photographie』1905年夏の特別号

 20代の頃、なによりも心待ちにしていた読み物がANAの機内誌『翼の王国』に鹿島茂さんが連載していた「稀書探訪」。毎月手に入れることができたので、ほとんど全部読んでいると思う。

 稀代の古書マニアとして知られる仏文学者・鹿島茂さんのコレクションから毎月一冊、19世紀フランスを中心とした稀書や奇書が紹介され、なによりこころ踊るのはその入手経緯の逸話だ。「稀書探訪」は書籍化されていないのだが、『子供より古書が大事と思いたい』などは同じ路線のエッセイである。

 わたしの夢は本気で、自分もどこかに「稀書探訪」を連載することである。とはいえ、すでに傾いている家計をこれ以上傾けると潰れるので、鹿島さんのようなコレクションは形成しようもないが、写真関係の本なら何回かは書けるかなと思った次第だ。

 まんまなタイトルを付けてしまって鹿島さんに見つかったら怒られるかもしれないが、本当にこれは"探訪"としかいいようがない。「海の男は港港に女がいる」ではないが、研究者はその街その街にお気に入りの古書店がある。

 こんかい紹介するのは、パリで一番最初に買った思い出の本。『L'art en photographie(写真芸術)』1905年夏の特別号。鹿島さんはパリで古書蒐集にめざめたというが、それを知っていた僕は古書蒐集にめざめるためにパリに渡ったようなものだ。買ったのはフランス国立図書館リシュリュー館近くの某古書店。

 まだフランス語などロクにできやしないのに、しぶいショーウィンドウの中にこの本を見つけた。主人に片言で裏のウィンドウにある本を見せてくれと言ったら、「こっから中に入ってウィンドウから取ってきて見てくれ」と、アンシャン・レジーム期からゆうに200年は使われてるんじゃないかっていう気さえする書棚が並ぶ、店の裏側のウィンドウに通ずる部屋の扉が開く。

 半革装の重厚な本。小口は金色に塗られている。開いてみると、写真集のようだ。なんと、研究している19世紀末〜20世紀初頭のヨーロッパ・アメリカの芸術写真家(ピクトリアリスト)たちの傑作集。いきなりいい本は見つけるわ、これまたエモい書庫には入れてもらえるわ、すでに十分なビギナーズラック。

 値段は250ユーロ。しかし引っ越したばかり。まだいろいろ買い揃えなくちゃいけない生活必需品もある(まだ船便の荷物が届いてない上に、春先なのに毎日異常に寒かった年でいろいろモノ要り)。こりゃ諦めだなと思ったら、熱心に見ていたからか「200ユーロでいい」と。これで、みごとに古書道に引き込まれて、もとい、よろこんで飛び込んでしまったのである。

 200ユーロなんて、当時の為替レートなら3万近いし、24歳のバイトもしてない留学生にしてみれば大金だ。「ありがたいけど、金ない!」と伝えると、「一ヶ月なら隠しといて(取り置きしといて)やる」と。秋山徳蔵ではないが、一ヶ月じゃがバターとバゲットだけで暮らして節約し、購入。

 しかし、あらためて大した本だ。イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーの6カ国の写真家が国ごとに章立てて説明され、そのあとに作品が1ページに1点ずつ、全112点。直接印刷もあれば、別刷りのグラビア印刷や三色版もあって、おそらく当時から豪華本として作られたものなのだろう。

 気になったのもを何点か紹介しようと思い複写していたら、なんと室内風景を主題にしたものばかりになってしまった。1880年代から第一次大戦ころまで続くピクトリアリズムとよばれる絵画的写真を作っていく動向は、直接間接に印象派との類似が見られる。その一つが主題で、同時代の人々の生活は印象派絵画、ピクトリアリズム双方でよくみられる主題である。

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上から ガードルード・ケーゼビア(米)《コリエ夫人の肖像》/ コンスタン・ピュヨー(仏)《夕暮れに》/ G・ウーリー(伊)《新しい歌》

 これ以外にも、そこそこ作品を知っている写真家の未見の作品なども掲載されている。そして不思議なことに英語・仏語の混合になっている。中扉と巻頭言、サマリーはフランス語なのだが、中の文章やキャプションは英語。別丁扉(下の写真)は「Art in Photography」「Speciel Summer Number of "The Studio" 1905」とあるので、Studio社から出ていたその名も『Studio』誌の特別号の「パリ版」のようだ(同社はパリにも支社があったらしい)。

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 ちなみに、植田正治は同誌が1931に刊行した特別号『Modern Photography』を入手し、マン・レイ、ウンボ、ヘルベルト・バイヤー、マーティン・ムンカッチ、パウル・ヴォルフらの近代的写真表現に惹かれていく。おそらくそのStudioだろう。

 コンディションは美本とまではいかないが、茶色のモロッコ革と緑色のマーブル紙の半革装はなんとも愛おしい。

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