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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #201

第十三章 終幕:9

 ヨーステンの存在に気付いたわたしは、彼が削除者であるという一点に捕らわれて、後先考えずスタコラ逃げ出した。

そんな姿を無様に晒したせいで、わたしがアリアズナだと戦場に居た皆さんにお知らせすることになっちまったわけだ。

この際ディアナの不明は問うまい。

 あのときヨーステンを守護者として我が身をゆだねていれば、彼に彼自身が望まぬ殺意を抱かせることはなかったのかもしれない。

考えなしのわたしの行動が、白装束の注目を集めヨーステンともども追い詰められる結果を生んだのだろう。

それなのに追い詰められて逃げ場が無くなったと悟ったときのわたしは、運命に抗うどころか情弱なモブキャラのように自分を投げ捨ててしまった。


『ヨーステンの悲痛な決意を間近に見てしまったからにはもうしょうがない。

コバレフスカヤとヨーステンの間に、昔々のその昔から連綿と続いてきた腐れ縁を考えれば是非もない。

白装束に捕まるわけにもいかないし、削除者が索引者を削除すると決めた以上、“わたし”は生きることは諦めましたよ?

けれど自決しないで済んでその点だけはホッと一安心かな』


なんて調子で、“わたし”はちんまり腹を括っちまった。

常のわたしならこんな奴隷根性で日和る前に、癇癪を起してとっととロケットの中身に仕事をさせていたろう。

“わたし”が生きることをあきらめる?

それだけでも信じられない流れなのに、最後の最後に登場した<わたし>と来た日には、わたしと言う人間が培ってきた了見を全否定しやがった。


『世のため人の為。

さあ、どうぞ今すぐわたしを殺してくださいな』


なんて具合に、ポリアンナ症候群を患ったアンドロメダじゃあるまいし、突拍子もない飛躍をしでかしていきなり自己完結したんだよ?

こんなのどう考えたって常のわたしじゃない。

誰かに崖っぷちまで追い込まれたら『おまえも道連れにしてやる』。

それくらいの事は考えるのが、わたしの良く知るわたしだ。

 わたしの意識はわたしの人となりを踏みにじるプロセスをホップステップジャンプして<わたし>にたどり着いた。

常のわたしから“わたし”をへて<わたし>までメタモルした。

そうしてどういう訳だか、“わたし”が<わたし>になった途端に、時の流れが急にゆっくりになっちまった。

加えておまけの極めつけ、これから殺されるって言うのに、場違いにも程があるルンルン気分に満たされたのだからこれはもうあれだろう。

脳内麻薬で極まっちまった末のラリだろう。

 いきなり周囲の時間がゆっくりと流れ出し、いざ殺されようかって局面で場違いなルンルン気分になってしまう。

わたしは薬を使ったことなんてないけれど、これはアキちゃんに借りた本で読んだトリップってやつだろうなとしみじみ思うね。

名付けてセルフトリップラリラリ!

ラリホーラリホーラリルレロってなもんだよ?

 太古の昔、同時に何人もの人の声を聴き分けて対応できた賢人が居たそうだけどさ。

あの時のわたしの思考は賢人宜しく、同時多発的に展開した群像劇のそれぞれにシンクロして、それぞれをリアルタイムで鑑賞できるところまで加速されていたと思う。

時の流れがゆっくりに感じられたって事は、多分そう言うことだ。

わたしってば金輪際、賢人なんて御大層な者には成れそうにないからね。

考えてみれば思考の加速は、セルフトリップラリラリで辿り着いた殉教者モードのオプションサービスっぽかったな。


 「あなたー、だめー!」

それはタケちゃんが剣の使い手だと、自慢げに教えてくれた副長さんの絶叫。

副長さんの叫びが<わたし>の耳朶を打ったのは、両手を広げてヨーステンに殺されて死ぬその瞬間を、ルンルン気分で今か今かと待ち構えていた刹那。

ヨーステンが鋭く突き入れたサーベルの切っ先が、<わたし>のささやかなバストを貫く寸前のこと。

得物を握りしめたヨーステンの右腕に、何処から現れたのか、なんとスキッパーが唸り声を上げながらかぶりつく。

それとほぼ時を同じくして副長さんの刀が一閃し、スキッパーは切り飛ばされた腕と共に宙を舞う。

ルンルン気分で死を待ちわびる<わたし>にヨーステンがサーベルを突き入れるまで、<わたし>とヨーステンは恋人同士みたいにずーっと見つめ合ったまま。

<わたし>を殺すことに失敗し、突きを入れた姿勢のまま体の動きを止めて静止したヨーステンの目。

その目が安堵に和らぎ、同時に胸が痛くなる程優し気な色に変わるのが、<わたし>にはありありと分かってしまう。

「チェースッ!」

返り血をたくさん浴びたのだろう。

朱に染まったシャーロットさんが、進路に立ち塞がる白装束を撫で切りにしながら、必死の形相で駈け寄って来ようとする。

叫んだ名前がアリスでもアリーでもなくチェスだからね。

どういういきさつだか知らないけれど、シャーロットさんとヨーステンは仲良しこよしの間柄だってのは丸分かり。

シャーロットさんが<わたし>のことなんかそっちのけにして、ヨーステンの事だけを強く気遣っていたことは見え見えのバレバレ。


『恋か?恋だろ!』


何がどうなっているのやら。

大人の世界は複雑怪奇。

 ぶっ飛んで宙を舞ったスキッパーだが、素早く立ち直ると剣を握りしめたままのヨーステンの右腕を吐き捨て、<わたし>の足元に駆け戻るなり歯を剥いて四方に殺気を飛ばす。


『ういやつめ!』


今度お給金が出たら、カワウシのステーキに目の無いスキッパーには、それこそお腹がはち切れるまで存分にご馳走しちゃる。

そのことを<わたし>は心に固く誓う。


「アリー!!」

ありゃま。

お懐かしや。

ブラウニング艦長の力強い、それでもなんだかお母さんっぽいテノールが耳に心地よい。

艦長の脇と背後を固めたモンゴメリー副長にマリア様までが、ほんの十メートル先に迫って来ていらっしゃる。

乱戦の中、橋を無理矢理押し渡ってきたのだろうな。

皆さん得物を手にして意気軒高。

お元気そうで何より。

<わたし>なんかの為に、こんなところまで助けに来ていただきありがとうございます。

それから本当にごめんなさい。

土下座でも何でもしてお礼とお詫びをしたいところ。

背後にディアナを庇うタケちゃんがこちらを見て呆然としている。


『しっかりしろ小僧。

恋か?恋だろ!

ディアナの手を放すんじゃねーぞ』


ヨーステンの右腕を切り飛ばした副長さんは、まるでいたいけな童女の様に泣きじゃくっている。

大粒の涙をポロポロこぼしながら、刀を投げ捨てたその小さな両手で切断面から迸る血液を止めようとしている。

めちゃめちゃ痛いだろうに、ヨーステンは残った左の手で副長さんの頭を撫でながら、穏やかに何か語りかけている。


『恋か?恋だろ!』


あれほど優しい表情のできる男の人を今まで見たことがない。

見てるこっちまで胸がキュンと痛くなる。

ふたりの近くまで駆け寄ったシャーロットさんがサーベルを取り落とし、胸と口に手を当てて立ち尽くしている。


『恋か?恋だろ?』


こっちもこっちで、別な意味で今にも泣き出しそう。

貴様二股か?

どこがぼんくらだ!

ヨーステン!

展開がシュールすぎるぜ。

時の流れを驚く程遅く感じていたせいなのだろう。

そんなこんなの全てが<わたし>の目と耳にほとんど同時に飛び込んできた。

古代の賢人の脳は四六時中、こうした複数の外部情報を同時並列処理していたのだろうか。

分かってしまうという状態は実際に体験しなければ理解できないことなのかもしれない。

<わたし>はそれぞれの状況に無意味な突っ込みまで入れちまっていたからね。

どんだけだよ。

あの時は本当に賢人みたく、同時に全ての事が分かってしまっていたのだと思うよ。

セルフトリップラリラリのせいに違いないけどね。



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