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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #14

第二章 航過:2

わたしは舷側の手すりにしがみついて、アンノウンが見えやしないかと左舷前方の水平線近くを見つめていた。

すると視界をぐるり取り巻く天と海の狭間で、空間の青と水面の青が溶け合いながら、境目が分からないほどに輝いているのが分かった。

目に入る青が、全方位を染め上げるブルーグラデーションとなっていることに改めて気付かされ、胸がぎゅっと締め付けられるような感じになった。

それは太陽と大気が宇宙に付けた色だった。

けれどもこの圧倒的な青が星の世界と地を隔てる薄いベールに過ぎないことも、同時にわたしは知っていた。

わたしはアンノウンよりむしろそのことに心を奪われた。

その青は航海船からみる世界の色とは趣がまるで違っていたろう。

目に映る蒼穹は、わたしたち航空船乗りが、ロージナの対流圏に直に対峙している高揚感を抱かせてくれるほど、壮麗で心を震わせるものだった。

わたしの目にはまだ船らしき影は見えず、退屈凌ぎに脳内で自分の審美眼を自賛していたというわけだ。

 お目当ての船がいっこうに見えないままダラダラ時が経ち、みんなの上気していた顔さえ、少し平常に戻りかけていたろうか。

風向きが変わり帆がバタついて耳障りな音を立てた刹那、フォアマストのトップ台で、双眼鏡を手に警戒観測をしていたシンクレア・カーク・マグリット予備役兵曹長さんの叫ぶ声が甲板を走った。

「方位三三〇アンノウンはフリゲート艦でーす。三十八門艦。識別旗は赤色黒十字。

東の船です。

元老院暫定統治機構の・・・おそらくミズーリ級フリゲート艦です」

「艦名は分かるか」

モンゴメリー副長がメガホンを手に問いかけた。

声音がいつもの副長より硬い感じがした。

ブラウニング船長は、何かぶつぶつ言いながら双眼鏡を目に当てていた。

マリアさんに至っては恐ろしいことに、がんぜない少女のような愛らしい微笑みを浮かべていらっしゃった。

不運にもそのご尊顔を拝してしまった者は、わたしと同様、蒼白になったはずだ。

甲板長の恐ろしい笑みに気付かないまま、左舷の野次馬娘たちは『エーッどこ?どこ?』と、水平線を指差したり手のひらでこしらえたまびさしの下で目を細めたりと大忙しだった。

そうしてしばらくの間、うるさいまでのお喋りと、風の音、帆の心地よい唸り声や策具のぶつかり合いで、上甲板は結構明るく華やかな感じに賑わった。

変化は突然だった。

「虹色の長流旗、船体には白に青の斜線。

あれは、あれはインディアナポリスです!

元老院暫定統治機構海軍所属三十八門フリゲート艦インディアナポリス号、艦長チェスター・アリガ・ヨーステン海佐!

間違いありません!

ぼんくらチェスターです!」

シンクレアさんの美しいソプラノが硬質な響きとなって甲板を駆け抜けると、そこかしこから何かを押し殺すようなため息、悲鳴のような叫声が聞こえてきた。

年頃の娘が発しているとはとても思えない怒号すら上がった。

ついでにスキッパーまで尻尾を丸めながら自信なさげに吠えだした。

いつもの偉そうな勢いは微塵も無かった。

「えっ。何です?

この不人気というか、お姉さま方の暗黒ビビットな反応は?」

わたしは反射的にクララさんに問いかけ、顔色を窺った。

ついさっきまで姦しくも楽しげだった場に何か嫌な雰囲気が生まれていた。

水平線を注視しあるいは睨みつけ顔が強張り緊張しているのは、ひとり残らず少し年のいった予備役のお姉様方だった。

クララさんも険しい表情で、普段の彼女からは想像もつかないあけすけさで、不愉快と言う感情を露わにしていた。

 幼馴染のミリオタ、海軍兵学校志望のディアナからの受け売りだけれど、フリゲート艦は何処の海軍に所属している船でも例外なくスマートで美しいらしい。

『形式は機能に従う』と古代の建築家が言ったそうだけれど、所詮は人殺しの機械が、最高の仕事をする為に獲得した美貌がそれとしたら、何とも皮肉なことではないか。

青く高い空の元、純白の総帆に風を孕み白波を蹴立てて巡航するその姿は、洋上の貴婦人にも例えられると言うが、とんだ貴婦人が居たものだ。

 ディアナは彼女の座右の書、“武装行儀見習いの為の帆船生活”を引きながら何かと講釈を垂れるのが好きだった。

しかしミリオタの面目躍如というべきか、ことフリゲート艦について熱く語るときには、座右の書にも用が無いようだった。

正直ディアナから話を聞かされているときには全く興味が湧かなかったのだが、こうして航走するフリゲート艦を見物する機会を得ると、否定的な思いとは別に胸が高鳴った。


『外洋で海上艦と行き会い、しかもあいてはスタイル抜群の美女なんだよ!良く分かんないけどこれは凄いことかも』


度重なるディアナによる洗脳が原因に違いないのだけれど、ミリオタならぬわたしでさえ、ワクワクしながらそう思ったのは恥ずかしながら本当の事だ。

わたしの隣で手すりを握りしめているディアナと言えば、目が完全に逝っていた。

航走するフリーゲート艦の優美な姿を、実際に見ることができた恍惚に我を忘れ、感極まったのだろうね。

自律神経がおかしくなったのか、顔の色が雪の様に真っ白だった。

 ところが退屈な船上生活に、こうして降ってわいたせっかくのお楽しみだと言うのにさ。

殺気すら漂わせるクララさんを始めとしたお姉様方の様子はどうしたことだろう。

スキッパーの吠え声にも敵意?

怯え?

が感じられたしね。

どうやら、海上の優美なフリゲート艦とお姉様方の間に、何か浅からぬ因縁があることは確かなようだった。



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