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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #198

第十三章 終幕:6

 つい先だって第七音羽丸で航空航過した時に、インディアナポリス号のあで姿は存分に堪能した。

空と海を塗り上げる清冽な青に映えた彼女の帆と船体の白は、目に痛い程鮮やかだった。

風に乗り波を切る彼女の滑らかな姿態は惚れ惚れする程優美で、艦船オタクとは言えないわたしにとっても忘れ得ぬ景観となった。

ところがその時わたしは、意外とも思える一幕を目の当たりにしたのだった。

船乗りならときめいて当たり前の貴婦人を目の前にしながらだよ?

いつも明るくて、屈託の影なんてまるで無いお姉様方の形相が変わったのだ。

どのお姉様方も口々に『ぼんくらチェスターの奴め!』なんてね。

皆さん今まで見たことの無い悪相で、聞いた事も無い悪口を、毒づいていらしたのだ。

それは、こちとらの興が覚めるほどに、しんねりむっつりと陰気な感じでしたとも。

高名な別嬪さんを目撃しちゃった興奮をきゃぴきゃぴと分かち合いたい。

お姉様方の闇落ち具合は、そう思ったわたしや武装行儀見習いの同輩どもを少しく戸惑わせたものでしたとさ。

 インディアナポリス号を目の当たりにしたお姉様方の脳裏には、きっと想像を絶するげろげろ体験が蘇ったのだろうな。

ぼんくらチェスターの御尊顔を拝したわたしは、その時には今一つ実感の湧かなかったお姉様方の屈辱感と無念にあらためて思いを馳せた。


『お姉様方をゲロゲロ沼に叩き込んだ件の艦長があのおっさんかぁ!』


あの時お姉様方の悪態を聞いていたわたしは『公平に見て、見事過ぎる戦歴を重ねるフリゲート艦の艦長がぼんくらな訳ないじゃん』と思った。

お姉様方の悔し紛れの悪口雑言と恨み節に、同情こそしたものの、ちょっとあまのじゃくな反発も覚えていたのだ。

けれどもね。

敵味方の誰しもが認める、ぼんくらチェスターの神がかった優秀さを考慮せずにだよ。


『あそこで剣を振るっている風采の上がらないおっさんの見てくれはどうよ?』


誰かにそう問われれば、いかなへそ曲がりなわたしだって、もうかばいようがない。

わたしのような口さがない乙女にしてみればね。


『ぼんくらチェスター?

確かに見たまんま!

笑っちゃう』


そんな印象の域を出なかったのは、何気に衝撃の事実だった。

わたし的には、たとえぼんくらのふたつなを押し頂いているとしてもだよ。

ぼんくらチェスターは業界では評判の高い、折り紙付きの有名人なんだからさ。

実際に会ってみれば、存外カッコイイ青年だったりするはず。

そんな風に勝手に思い込んでいた。

そこんところばかりは若気の至りだった。

 わたしは身を低くして遊歩道に出ると、そのままタケちゃんとディアナの後を追った。

おそらくシャーロットさん達と一緒だった時の方が、守りも固く危険が少なかったはずだ。

だがしかし、タケちゃんの背中が意外に広いことに気が付いて。

思わずポッとなったわたしの乙女心が、ホンワリとまるまったのも確かだった。

さっきまで強烈に自己主張していたわたしの恐怖心が、タケちゃん効果で少しトーンを落として大人しくなったのだ。

安全と安心。

ライクとラブ。

難しい仕分けだと思う。


『たけちゃんってばとっても頼もしくみえるわ。

“士別れて三日なれば、即ち更に刮目して相待すべし”って言うからね。

それともこれって、つり橋効果ってやつかしら?』


それこそ本気で頬を染めつつ嘆じた瞬間のこと。

タケちゃんに手を引かれたディアナが突然振り返りガウッと吠えた。


『チッ。

うざいくらい、察しの良い娘だよ』


わたしは思わず舌打ちをした。

「タケオさんのおフネの艦長さんって、荒事が不得意そうにお見受けしますけど、実は結構な使い手でいらっしゃるんですね。

ちょっと意外」

ディアナをけん制する必要に駆られたわたしは、話の切っ掛けをぼんくらチェスターに持ってくることにした。

さすがにのっけからタケちゃんの上司を、ぼんくら呼ばわりする訳にもいかなかったからね。

好感度アップを狙って、頼もしい背中にこそっとお世辞をかましてみた訳だ。

するとディアナが、わたしとタケちゃんには金輪際会話をさせまいと決意したのだろうか。

出典“行儀見習いの為の帆船生活”と言うノリで、わたしとタケちゃんの間をぶった切るようにして、ズバッと博識をぶっこんで来た。

「チェスター・アリガ・ヨーステン海佐。

ナイメーヘン海軍兵学校を首席で卒業。

海上艦勤務一筋の現場人間。

卒後最初の航海での目覚ましい功績を認められ海豚付殊勲十字章を授けられ・・・」


『チェスター・アリガ・ヨーステン、アリガ・ヨーステン、ヨーステン・・・・・・。

ヨーステン?!』


タケちゃんの背中を見つめる眼球の裏側辺りから全身に電気が走り、自分がもつインデックス能力が緊急警戒警報の金切り声を上げた。

ディアナが垂れる小生意気な講釈も恐ろしい戦場の喧騒も、わたしの意識から瞬時にぶっ飛んだ。

タケちゃんに抱いたそこはかとない思慕の念すら、あっという間にフリーズドライされて水気を失い、息が詰まった。

いや息が出来なくなった。

めったに生まれることのないヨーステンをラストネームに持つ男の子。

ヨーステン家の男性は索引者・インデックスの守護者・ガーディアンであり、それと同時に削除執行者・イレイザーなのだとわたしの能力が教えてくれた。

特にわたしを巡る現在のこんな状況下では、守護より削除の可能性の方が、高いものになるだろうと読み取れた。

ロージナの未来を虚心に考えれば、ターゲットであるわたしだってその結論に辿り着く。

この首からぶら下がっているロケットの意味を考えれば、火を見るより明らかなことだ。

反論の余地はない。

なんたって血を分けた実の祖母すら、腹の内じゃそう考えてるんだからさ。

そんなことまでが芋づる式に理解できてしまったのだ。

わたしは自分のくそったれな能力をこの時ほど呪ったことはない。


『守り人なんだけど場合によっては介錯人って、なにそれ』


『ずっと晴天だったのにいきなり雷雨ー!』


みたいな気安さで引導渡された日にゃ、わたしの人生ってあまりにも可哀想過ぎる。

でしょ?




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