廊下の奥に誰が立っていた?
独立を果たしてからは朝起きるのが辛くなくなった。
つい先日の朝まではね。
国家試験に合格して獣医師免許を貰っても、実際の仕事、臨床っていうんだけどね。
その臨床の経験を積むためはインターンのような修行期間が必要になる。
その時期の身分を代診って言うんだけどさ。
代診だった頃の朝が僕にとっては実に辛かったんだよ。
獣医には独立なんか考えないでそのまま勤務医として働く道もあるんだけどね。
僕はなにがなんでも自立してやっていきたかった。
そいつは夢とは少し違う。
きっと僕の性格に関わる問題からくるものだ。
自分の両親や先輩諸姉兄を見て聞いて思ったことだけじゃない。
例のあれだよ。
防衛省のプログラムに参加したことが決定打になったんだ。
現代じゃ戦前みたいに徴兵制度をしいて国民皆兵ってなわけにはいかないからね。
自衛隊は完全な志願制で成り立っている。
まあ時代が時代だからね。
普通に暮らして育つと近視眼的愛国心や国防なんて意識は育たないままで一生を終えそうだ。
それについては一般の国民から大方の官僚、ほとんどの政治家でもそれ程の違いはないだろう。
自衛隊に入隊する動機ってのはどんなものだろう。
災害救助やPKOなんかの活動を知って社会貢献に使命感を見出すことはあるかもしれない。
けれども銃を取って国家と言う抽象的なもやもやのために戦争をするって意識をもつ人間が今時いるのだろうか。
例えば『国破れて山河あり』なんてことを言う。
唐代の詩人、杜甫の詠んだ「春望」の冒頭に置かれた句だよ。
国家が無くなっちまったとしても、愛しく懐かしい郷土は残るってこった。
奈良、平安、鎌倉室町江戸ときて、明治の太政官体制を引きずった大日本帝国もなくなった。
教科書にもそう書いてある。
とりま国家が滅びても日本列島の自然とそこで生きるモブに大した影響はなかったってことだよ。
大多数のモブの人生は、親から子へと切れ間なく続いてるわけだからね。
するってーと、寺山修司って言う詩人なんかは、ちょいと気の利いた短歌を詠んだものさ。
『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』
なんてね。
自衛隊に入隊する意味が良く良くわからなくなる。
現在進行形の国家の存続に拘るとしたら、政治家や官僚はその最右翼になるだろう。
だけどいわゆる国防族と呼ばれる議員や高級官僚。
彼ら彼女らの子供や孫が、率先して自衛隊に入隊しているかと言えば、そんなこともないだろう。
欧米には昔、ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)って言う道徳観があったらしい。
貴族や上流階級など財産や権力、地位を持つ人達はそれ相応の社会的責任や義務があることを自覚しろってことだ。
貴族や上流階級と言えば、まんま政治家や官僚、軍人だった訳だからね。
ノブレス・オブリージュは納得のなっちゃんだよ?
そういえばケンブリッジ大学やオックスフォード大学の学寮には、世界大戦で戦死した卒業生の名前がずらりと掲げられているなんて話を聞いたことがある。
現代の欧米じゃどうなんだろう。
少なくとも日本は一億総中流社会だなんてみんなで浮かれる時代があったくらいだからね。
過去も現在も、ノブレス・オブリージュなんて道徳観を持つ人がいたことは無いと思うよ?
だからここのところ一貫して自衛隊への志願者が減り続けたのも無理はないかなと思う。
自衛隊の志願者を増やすために「予備自衛官に登録すれば学費を出そうじゃないか」。
なんて制度をつくったのは。政府としては窮余の策だったんだろうね。
学校に行きたいのに学費が心もとない。
そんな生徒や学生にとっては有難い制度だよ。
実は僕も大学に入学したときに登録したんだ。
獣医学科の学費は高いからね。
大学の六年間、夏休みとか冬休みの最中に実地訓練を受けて月に二回座学の講座をこなす。
これで学費を出してもらえるなら安いものだよ?
少なくとも僕はそう考えた。
世界の各地では紛争が絶えないけどさ。
先進諸国はかつての冷戦時代みたいにブロック化して、もう長らく三竦みみたいな状態にある。
政治学者や経済学者に言わせれば盤石の三竦みだそうな。
日本はほぼ一世紀近く戦争をしてないからね。
今の世界情勢なら兵隊が前線に展開するような戦いに日本が参加するとも思えないよね。
予備自衛官への学費支給なんて制度ができたのも、志願者の減少で自衛隊の存続が真剣に危うくなったことからきてる。
なまじ定員なんてものがあるからね。
防衛省と言うお役所としては、組織維持のために志願者を増やす必要があったわけだよ。
まあ戦闘機一機買うのに百億円以上掛かるとしたら、学費の支給なんてお安いものだろう。
僕にとっての学費支給は本当に助かった。
正直この制度がなければ学校を続けられたとは思えない。
それでもだよ。
訓練は辛かった。
肉体的にハードであることは言うに及ばず。
どんな局面であっても求められる姿勢が“Aye, aye, sir!”だの“Sir, Yes, Sir!”だのに限定ってのには心底まいった。
あれだよ。
僕は生まれ付き、命令されるだの命令するだのには全く向いてないんだ。
ボーダーコリーじゃなくてシバイヌってことさ。
「お前は考えが甘く、秩序と規律を守って現実に立ち向かう勇気のないひ弱で我儘な小僧だ!」
そんな揶揄を受けたとしても反論の一言も浮かばない。
「お説ごもっとも!」ってジャンピング土下座でもするしか術を思いつかないよ?
そんなわけで僕は予備自衛官の訓練を受け、人に使われたり人を使うことにうんざりなことを悟ったんだ。
自衛隊の訓練も厳しかったけどね。
代診の生活もきつかった。
朝の八時から夜の八時まで。
仕事が押せば午前様も珍しくはないんだよ。
代診の日々は独立を目指すものにとっては修行の時代だからね。
坊主だろうが職人だろうが修行の場は、理不尽が横車を押して踏ん反り返る世界であることに変わりはないだろうさ。
僕の頃はさすがにそんなことは無かったけどね。
何世代も前の時代には無理偏にげん骨と書いて院長と読むなんて病院もあったらしい。
僕にとっては、仕事の辛さが朝の辛さの原因ではなかった。
この世界でも代診に求められる理想の姿は予備自衛官と同じ。
“Aye, aye, sir!”だの“Sir, Yes, Sir!”だのだったってことだ。
予備自衛官の訓練も代診の仕事も苦しいや辛いのはあたりまえだ。
そこは良い。
全然良い。
そんなことは納得しての選択だ。
だがああしろこうしろと命じられるのは疲れるし、ああしろこうしろと命じるのはもっと疲れる。
それまで僕は自分が協調性に欠ける人間だなんて思ってなかったけどね。
ワンマンソルジャーかひとり院長なら楽しくやっていけそうだ。
予備自衛官の訓練と代診生活で僕はそう確信したのさ。
朝目覚めると僕はまずTシャツと短パンという寝間着姿のまま新聞を取りに出る。
ネットの普及で今どき紙の新聞を読む人間は、僕の年代ならほぼ絶滅危惧種と言えるだろう。
発行部数が減ってしまったせいで新聞は朝刊だけだ。
夕刊なんてもう死語になってしまった。
僕はまず病院の窓を全開にしてから各種機械のスイッチを入れる。
それからドアの取っ手に差し込まれた朝刊を手にする。
タオルや白衣など洗濯物を籠に入れ、新聞をもって居住スペースに戻ると、始業までの時間がゆっくり流れだす。
リビングキッチンの窓を開けお湯を沸かす。
もちろんコーヒーを入れるためだ。
豆は大抵はマンデリン。
今朝は少し細引きにしてステンレスメッシュを使い抽出する。
リビングキッチンはいつになく清潔でいつもの見慣れたカオスがリセットされた状態だ。
昨日遊びに来た彼女による恩寵だ。
カウンターではカスミソウとピンクスイートピーが“幸福な恋の楽しみ”とはこのことと自己アピールに余念がない。
いかにも彼女らしい記号の設置だ。
彼女はこの部屋に訪れるたび何かひとつ忘れ物をしていく。
萩原朔太郎の詩集だったり小さな青い猫の置物だったり。
彼女の中にある物語に従っての忘れ物だろう。
その物語が起承転結のどのあたりまで進んでいるのか。
いまのところ僕にはさっぱりだ。
昨日は何の装飾もない真っ白なデミタスカップを忘れていった。
僕は少し焦がし気味に焼いたトーストに彼女が手作りしたママレードを塗る。
これがたいそうマンデリンにあう。
朝刊を読みながらコーヒーとトーストの香りを楽しみ簡単な朝餉をとる。
うんと音を絞ったオーディオ装置からはリッチー・バイラークのピアノソロが流れている。
新聞を読み終わったら食器をシンクに置き歯を磨く。
最後に顔を洗って洗濯機を回したらちょうど仕事を始める時間まであと十分。
昼頃、彼女がやってくるのがちょっと待ち遠しい。
今日は日曜日なので診療は午前中まで。
手術もない。
初春のお日様はまだ優しげだ。
南の方から吹くようになった風には、微かに海の気配さえ混ざっている。
そんな気かする。
午後は彼女とドライブに行くのもよし。
近所をブラブラと散歩をするのもよし。
病院は丘陵の中腹にあって周りにあまり家もないけれど、眩しい程の新緑に覆われた坂道がある。
彼女がゆっくりとその坂を上がってくれば僕たちの午後は自由自在だ。
今日の朝は目覚めが悪かった。
ベッドから出たくない。
そうしてぐずぐずと時間を浪費するのは代診の頃以来だったか。
今日は正規の休診日ではない。
だが僕は病院へは出ない。
新聞はもう来ないし窓を開ける必要はない。
缶の中にマンデリンもない。
冷蔵庫の中は空っぽで電源も切ってある。
僕は水を一杯飲んでから歯を磨き顔を洗う。
世界の表舞台で演じられていた三竦みが破綻した。
蛇とナメクジとカエルの誰がしくじったのだろう。
僕は毎日新聞を読んでいたというのに、そこのところが良く分からなかった。
だからこの事態は、僕が良く分からなかったことへの罰なのだろうと思う。
僕はブレーカーを落としボストンバッグを手にして病院を後にする。
もう誰も来ないことは分かっているけれど、鍵はいつもの隠し場所に置く。
僕は制服の胸ポケットを上から軽く叩いてみる。
すると召集令状の分厚い封筒が確認できた。
僕は制帽を目深に被り直すと、すっかり落ち葉に覆われた坂道をゆっくりと下って行く。
風は冷たく乾いた初冬の匂いがして、北向きに変わっている。
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