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垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達~

第8話 少女ひとり 9

 駅前での一件以降、あたしがあらためて森要の気配や存在を感じることは無かった。

学校の行き帰りで顔を合わせるボディガードさん以外にも、常時あたしを見守っているスタッフさんがいるはずだ。

けれども、その人達を目にすることも無い。

 自宅には女性のスタッフさんが交代で常駐するようになった。

警察か自衛隊出身の女性ボディガードさんが四五人でローテーションを組み、付かず離れずあたしを警護してくださる。

 森要の行方を追っている興信所のことまで考えると、莫大な費用が掛かっているだろう。

あたしはあらためて、そこまで弁護士事務所にさせる父のビジネスと経済力に感謝した。

今後低いレベルだろうが監視の目はマドカとユキにまで及ぶ。

冷静になって考えて見れば大事ではある。

 公権力が森要を予防検束でもしてくれればことは簡単なのだ。

けれど民主主義の社会ではそんなこと望むべくもないし望んじゃいけない。

一人の市民としてのあたしは、予防検束が日常的に行われる国で暮したいとは思わない。

 個人の自由と権利を重んじる社会の正義とはなんと脆いものだろう。

民主主義は性善説をよりどころにしていることはあたしも承知している。

だが、いざ自分や自分の大切な人が危険に晒されるとなれば、あたしの理想主義は簡単にご都合主義へと寝返る。

例え善人九九九九人分の自由や権利を侵害することになったとしても。

それが違法と分かっていても。

悪人一人の自由や権利なぞ根こそぎ奪い取って、そいつをこの世から削除してしまえ。

そんなふうに思ってしまう。

森要以前のあたしであれば、そんな考え方には嫌悪感を抱いただろうな。

 性善説を肯定する理想主義的なあたし。

森要以降のファッショでご都合主義的なあたし。

ふたりのあたしはいったいどう折り合いを付けたら良いのだろう。

 これが他人事であればあたしは断然こう思う。

『万民が享受する未来永劫の自由と権利の為ならば。

そいつが例え悪人であろうとも、法の下でそいつの自由と権利も守られてしかるべし』

疑いもなくそう考えるリベラルな自分は健在なのだ。

 あたしの頭の中は、何種類もの野菜をミキサーで粉々に砕いて撹拌した時の様。

個々の考えが形も色も失いごちゃ混ぜになってしまった。

これが憎しみと言う感情だろうか。

森要への名状し難いどす黒い何かが問答無用とあたしの心に囁きかける。

『問答無用ってなに?

斬り捨て御免と言う事?』

あたしは自分の事が大嫌いになりそうだ。

あたしはマドカに会いたい。

一分ごとに何度も何度も切実にそう思う。


 弁護士事務所の実行しているオペレーションは攻勢防御が基本みたいだ。

だけどあたしには森要に対する勝利条件がまるで見えてこない。

どういう方法を使うのかは分からない。

大人達は森要の行動を監視して証拠を揃え、ある時点で警察に通報し逮捕収監まで持って行くということらしい。

やり手の弁護士事務所が指揮統制を行っているので、検察辺りにはすでに話を通してあるのかもしれない。


 自分の心を見つめ直してそれを吟味し、マドカには頭を下げてごめんなさいを言おう。

ユキにはありがとうと伝えよう。

なるべく早くそうしたいあたしが居るはずだ。

だけどマドカが、ユキが、大切であれば大切であるほど・・・。

あたしはふたりから距離を置かなければならない。

今のあたしはふたりに謝罪も感謝も告げることができない。

 哀しく辛かった。






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